◆
弟の気持ちは、実はわかっていた。
実の姉である私を見る瞳が、ただの長上に対する思慕だけではないと。
気付いていたけれど、気付かないふりをしていた。
鈍感な姉を演じていた。
従妹の気持ちにだって気付いていた。
とはいえこちらには、どう応えていいのかどうか、わからなかったが。
我侭で強気で狡猾で・・・けれど、とても淋しがり屋の可愛い従妹。
彼女の胸の奥に潜む孤独を、私は誰よりも見てきたはずだから。
『磨凛を、お願いね』
そう言ってお師様は息を引き取った。
里を襲う未曾有の聞きを救うために、全身全霊を掛けて戦士として巫女として、
戦った結果の死であった。
18歳。まだうら若き身でありながら、幼い娘を置いて死ぬことが、どれだけ辛かっただろう。
だから私は従妹を可愛がった。
そして、彼女の母がどれだけ立派な方なのか、飽きることなく語って聞かせた・・・。
まだ当時2歳のあの子が、自身の血統について過剰な誇りを持っても、それは当然であった。
けれど私もあの時には、まだたったの9歳でしか無かったのだ。
やがて、妻を亡くしてから仕事をし通しだった若長が、新たな妻となるのだろう女性を連れ帰った。
しかもその時にはもう、彼女との間に既に5歳となる一男を、授かっていた。
ずっと留守がちだった父が、敬うべき・・・里のために散った母を忘れ、新たな妻を迎えること。
まだ10歳にも満たない娘には、納得できないことだったのだろう。
あの子・・・、磨凛は父を拒否し、新しい母を拒否した。
確かに、若長とお師様は里のしきたりで決められた結婚であり、カテリーン様は純粋に恋愛の末の、
結婚だったのだろう。
若長様のカテリーン様贔屓は、磨凛にとって辛いものだったに違いない。母を冒涜されているようで。
しかもその胎内には、さらに新しい命が宿っていると知るやいなや、手段を問わない攻撃に出て、
異国の入り嫁を追い出そうとした。
カテリーン様・・・、異国から来た新しい奥方様は、気性の良さそうな方だったが、
里の言葉もまだあまり話せない上に、日々の生活習慣が全く違っていた。
箸を使わず手指で食事を行おうとするさま、着物をうまく着ることが出来ず着崩してしまうところ、
私たちの常識ではまるで肌着のように見える服一枚で歩く様子・・・。
攻撃の理由はいくらでもあった。そして磨凛は幼いながら女中たちに対しても、
多大な発言力を有していた。
やがて次男を産む頃には、カテリーン様は心を病んでおられた。
若長様は彼女を連れて、その故郷であるエディンという国に、戻ってしまった。
ただし、お子様・・・伽藺と希鈴を連れて行くことは、年寄りたちが許さなかった。
伽藺の教育係には私が任命され、希鈴は乳母の乳で育てられることになった。
勿論、磨凛の憎しみは、その二人の子供に残る。
特に上の伽藺に対しては、時期里長として扱われているということと、
私を取られたと、思う気持ちが混ざったのだろう、随分と複雑な感情があったようである。
あまり可愛がると磨凛のやきもちがひどくなる。
本気になれば、相手の生命さえ脅かすほどの残酷なことを、やってのける娘だ。
私は、自らの手で伽藺を守ることは諦め、弟の威紺を近付かせることにした。
元々似たような背格好であったが、さらにまじないで容姿を近くし、
『其方は伽藺の影武者として、あの子を守る使命を受けたのだ』と・・・。
・・・・・・騙して・・・。
威紺はその通り、伽藺をよく守ってくれた。
けれど元々冒険心の強い子だったのだろう、12になった歳に町に出たいと言い出した。
15になったら、必ず帰ると約束させ、旅立ちを認めた。
さすがにもう伽藺も、自らの身を守る術を覚えただろうし、磨凛とて無茶なことはしないだろうと、
そう思ったのだ。
・・・甘かった。
伽藺は・・・とある事故に巻き込まれ(それが本当に『事故』だったのか、今でも私はわからない)、
その影響で魔力を封じられて、ほぼ軟禁生活になり・・・明るさを失い・・・。
さらに失踪して他国に逃げてしまい(この一件にも磨凛が絡んでいたようである)。
それを知った威紺は悔いて・・・、元の奔放な明朗さを潜めてしまって・・・。
そんな経緯のせいなのか、威紺は里のしきたりや空気を、嫌うようになってしまった。
だからどんなに良い縁談の話があっても、首を縦に振ることは無かった。
さらにいつからか、どんな女性に対する視線よりも、私に向ける視線の方が強くなっていることに、
気がついてしまった。
とはいえ、実の弟からの恋愛感情など、受け止め方も流し方も私は知らない。
磨凛も・・・、父に対する不信感からだろうか、男性への嫌悪感情が強くなってしまった。
同時にその反動なのだろうか、女性への性的興味も持ち始めたようで、常に若い女中を侍らせては、
昼夜を問わずに肌触れ合っていた。
それでも、やはり本気の恋慕というのは、私に対して向けられていた。
実弟と従妹。どちらも私に向ける瞳は似ていながら、その性格は全く違っていた。
そしてまた二人は犬猿の仲でもあった。
決して打ち解けない二人は、同じ里にいてもほぼ話すことはなく、
また威紺はことあるごとに里の外に出たがっていた。
・・・けれど、あの二人が決定的に、決裂したのは・・・。
◆
「阿今? どうかしたのかい、風邪をひくよ」
引き戸が開いて、今はもう聞き慣れた優しい声が、私の耳朶に触れた。
「貴方・・・」
40目前にして結婚に頷いた理由は、弟が多分もう・・・この里で結婚し、
子を設けることはないだろうと踏んだからである。
勿論、自分の結婚を機に変わるだろうかという気持ちも、なくはなかったが。
そもそも、幼い磨凛に間違った優越感を植え付け、それが長じて伽藺や希鈴を苦しめることになり、
結果として威紺が絶望することになった・・・。
その全ての原因である自分が結婚などで、簡単に幸せになってはいけないと、
そう・・・思い込んでいた・・・。
けれど阿今も30半ばを過ぎた。
たった一人の弟である威紺が、跡取りを作らないのだとしたら、
自分が作らなくては八珠堂の家は終わってしまう。
過去は8つあった暮蒔の分家も、今はこの家系のみになってしまった。
数々の古いしきたりは、阿今もあまり好きでは無かったが、それでも絶やすわけにはいかない。
私たちは・・・暮蒔の家を、そして里を・・・守るための・・・、戦士家なのだから・・・。
「大丈夫です、私は鍛えていますゆえ。貴方こそ外に出ては、風邪をひいてしまいますよ」
縁側から呼ぶ夫に近付く。ぴったりと横に寄り添うと、その頭は阿今の肩の下に見える。
180cmを超える阿今に比べて、夫は小男といってもおかしくない、背丈の持ち主であった。
さらには阿今より、年齢も一回り近く上である。彼女のような武術の達人でもない。
けれどもこの男性の包容力と深い叡智を、阿今は尊敬していたし好ましく思っていた。
八珠堂家に婿に来てくれたという事以上に、この男性が自分に与えてくれる安らぎと幸福に、
阿今は感謝していた。
「どうかしたのかい阿今。何だか・・・とても悲しそうだ・・・」
「いいえ、何でもないのですよ、貴方」
作られた笑顔にも気付いたらしい。阿今の夫・遼雲は長身の妻を真っ直ぐに見上げた。
「阿今。君はこの里にとって、どれだけ大切な存在なのかは、僕は知っているつもりだ。
けれどそれ以上に、君には君の生き方に後悔はないように、して欲しいんだよ」
「貴方・・・」
「・・・・・・。暴力よりも絶望よりも。人を真に殺すのは後悔だから」
「ーッ!!」
阿今は、がくりと崩折れて膝をつき、夫の胸にその顔を押し付けた。
「私の・・・大切な子が、・・・大切な子たちが、いがみ合っているのです」
「そうなのか・・・」
夫の手の温もりを後頭部に感じながら、阿今は声を殺して泣き続けていた。
あぁ。涙など流すのは、もう何十年ぶりに、なるのだろうか。
◆
ここが最後だと思った。
城中を覆い尽くす柳枝以外には、不気味なほど障害物が無くて。
だからこそ、誘い込まれているのではないか、などという気にもなる。
・・・いや実際そうなのかも知れない。
何せ『彼女』は、元々自分が不遇だと考えてはいたのだろうが、今となっては確実に、
怨みの感情を里に対して持っているのだろうし・・・。
自分に対しても、持っているのではないか、・・・と思う。
◆
姉の、阿今の縁談を、知らされた、あの日。
目の前が急激に、暗くなったような気がした。
確かに、自分が跡取りを作らなければ、その役目は姉に移ることになる。
それは分かっていたけれど、それでも自分たちは結論を、先延ばしにしていた。
自分はまだ仕事が忙しいからと。姉は巫女としての役割を無碍に出来ないと、そう言い訳を付けて。
実際、実に自分には息子・・・らしき存在・・・がいるのだが・・・。
あれを連れて来れば、全ては丸く収まったのかも、知れないのだが。
それでもやっぱり、この古くて重くて堅苦しい里で、自らの血を継いでいく気にはなれなかった。
『結婚、します』
姉が重々しく、そう告げた。相手は里の長老会のうちの一人。
一番若手であるとはいっても長老だ、自分とは親子ほどの歳の差がある。
いわゆる恋愛結婚でないことは分かっていた。縁談の経緯も成り行きも全て横で見ていたから。
そう、この狭い里の中に連帯心は育っても、恋心が育つことはあまり無い。
大抵の民は年頃になったら、親同士が決めた許嫁と結ばれ、次代の種を残す。
それを、親が早くにいなくなったからといって、こんな歳まで引き延ばして来た自分たちが、
むしろ異端だったのだ。
それでも、もういいだろうと、威紺は思った。
確かに威紺は姉を慕っていたが、だからといって結ばれることは、在り得ないとも知っていた。
だからその気持ちを自覚した12の歳、彼女から距離を置こうと里から出たのだ。
距離を置き続けているうちに、思慕も薄れるかと思ったのだが・・・。
それに姉が嫁がないのは、大きな罪悪感を抱いているからだ、ということも分かっていた。
だから、その罪悪感から開放されてくれるなら、もう・・・威紺はそれで良かった。
生涯、自分のものにならないのなら、せめて幸せに笑って欲しい。
相手の男性、藤代 遼雲のことも、良く知っていた。
目立たない小男ではあるが、何よりも心が広く暖かな、穏やかな人物。
そして長老会では最年少ながらも、思慮深い発言により一目置かれている存在だ。
姉を任せて間違いは無い。そう・・・思った。
◆
「ねぇ」
普段は威紺を毛嫌いして、決して声など掛けて来ない従姉が、その晩は訪ねて来た。
『どういう風の吹き回しだい』と、とぼけては見たが、用件が何なのかは分かっていた。
姉の縁談のことだろう。
「いいの、アナタは。・・・威紺?」
黙って佇んでいれば美女なのだろう白顔が、月光を照り返しながら威紺をじっと見つめていた。
もっとも、女性らしく背も低く童顔気味なので、威紺の好みのタイプではないのだが。
傷みひとつない艶やかな黒髪を掻き上げて、従姉・磨凛の長い睫毛に囲まれた瞳が迫って来る。
「いいのって、決まっちまったのもは、しょうがねぇじゃんか」
わざと茫洋とした声音で、もう眠いのだとばかりに、欠伸交じりに答えると。
その答えが気に食わなかったのだろう、真白い平手が間髪いれずに飛んで来た。
避けることも出来る速さだったが、眠たさを演出するためにあえて、威紺は殴られることにした。
「しょうがなくなんかないわよ! まだ縁談が決まっただけなのよ!?
今からならどうやったって潰せるはずよ。私とアナタが協力すれば・・・!!」
「それで」
唸るような声と、不穏な気配に、磨凛は息を飲んだ。
今までに見たこともない、従弟の殺気立った顔だった。
「それで、姉貴が喜ぶならそうするよ。でも・・・違うだろ!?
あの人は今まで、おれやアンタのために、よく尽くしてくれたよ。
そんで今、おれやアンタができないことを、しようとしてくれてる。
・・・何の問題があるってンだよ!!」
小声ではあったが叫んでいた。
磨凛の前で感情を曝け出すのは、威紺は初めてであったかも知れない。
「アナタが家を継げば良かったじゃない」
「何」
「アナタが普通に結婚して子供を作って、家を継げば良かったんじゃない!」
「それは・・・」
「長男のアナタが逃げてばかりだから、いつも阿今がその役目を負うのよ!」
「待て」
「家を継げるくせに! 男のくせに!! 何がそんなに不満なのよ!!?」
それが本音なのだろう。
『女だから』という理由で、就くべき場所を異人混じりの弟たちに奪われた、屈辱。
尊敬すべき母を、貶められたと感じた、小さな娘の大きな悲鳴。
けれど・・・その我侭は通せない。
幼い頃ならともかく、もう彼女もいい大人だ。そして自分も。
「男だから家を継ぐってのは、ナンセンスで次代遅れだって。
そう考えていたのは誰より、アンタなんじゃなかったのかい?」
「・・・ッ!!」
理論の破綻を指摘されたからか。すべらかな頬に朱が走る。
「そして、そもそも姉貴は家を継ぐこと自体には、嫌悪感を持ってはいない。
おれとは違ってあの人は、この里を、里の民を、そして自分の生家を、愛している」
そう。どれだけ理知的に振舞おうとしても。冷静沈着な巫女として感情を殺しても。
溢れる愛情は抑えられない。それがあの人・・・、威紺のたった一人の姉・阿今なのだ。
「・・・じゃあ。協力は出来ないって、つまりそういう返事な訳ね」
「協力どころか・・・。アンタが縁談の邪魔をするなら、おれは全力でそれを阻止する。
そういうことだ」
「全力・・・。やっぱりアナタとは、最後まで話の合うことは、無かったわね」
「本当にな。いつでもそうだ、なんでこんなに、真逆の選択肢ばっか、選んじまうんだろうな」
磨凛がくるりと背を向ける。
「・・・・・・、弱虫!!」
たたっと走る従姉のその背中に、威紺は幼い頃と同じ強がりを見た。
「弱虫はアンタの方だろ。欲しいものの手に入れ方が、アンタはいつも間違ってンだよ」
◆
それから。やはり何度かの妨害工作を阿今は繰り返し。
威紺と阿今、それから遼雲はその度に、身を削りながらも対応した。
一番大きかったのは、祝言のその場に妖を召喚し、新郎の命を狙おうとしたことだった。
これには、普段温厚な阿今も怒り、磨凛の頬を一つ打った。
長い付き合いの中、阿今が磨凛に手を上げたのは、これが初めてだった。
そして、磨凛は。
◆
バターン! ・・・と、扉が開く。
そこにいたのは、幼い時を共に生きて来た、恋敵でもある従姉であり。
また。
「いらっしゃい、威紺。久し振りね。1年・・・2年? くらいになるかしら??」
「あぁ、姉貴の祝言からだから、大体そのくらいになるな。」
婉然と微笑む磨凛は、和洋折衷の衣装を身に纏い、艶やかさに磨きを掛けていた。
西洋風の化粧を覚えたせいもあるのだろう、記憶の中の姿よりは遥かに大人びていた。
そして・・・。
「『居る』とは思っていたが、まぁなんというか、悪趣味な格好だな?」
旧友・・・悪友・・・、親友・・・。
今となっては親し過ぎて、どの名称を使えばいいのかわからない、紅羽根の鳥人に視線を向けた。
その端麗な輪郭は普段のままだったが、表情からは完全に感情の色が消えていた。
何という・・・、ことだろう・・・。
黒衣と紅羽根に身を包んだ男は、見る見るうちに姿を変えてゆく樹妖を見て、目を見開いていた。
魔法と打撃で攻撃したことは、無論、彼本人の意思ではない。
伽藺は親友が可愛がっている従弟であり、ゆえに彼にとっても弟的存在と言えなくも無かった。
だから支配者の命令とはいえ、扱う中でも最大級の魔法を使おうとした時、
自由にならない体に懸命に力を入れて抵抗したものだった。
けれど魔力は放たれ、さらに当て身までも食らわせた。
見た目通りの、細く頼りない胴に、深々と食い込む拳。
それだけでも彼には辛い感触であったが、本当に驚いたのはその次の瞬間であった。
青年の体がしゅるしゅると縮み、若いというよりは幼く見える、少女の姿へと変わっていった。
「・・・・・・」
短い手足にあどけない顔立ち。こんな小さな娘を・・・自分は全力で殴り付けてしまったのか。
これが、納得して引き受けた『仕事』であったなら、ほろ苦い感情はあったにせよ諦めもついた。
しかし今は違う。体は、妖しげな女に妖術で支配され、納得の出来ない行動を繰り返している。
ぎり、と奥歯を噛み締めるしかない。
それでも少女を『抱えて運べ』といわれたら、体はやはりその指令通りに動いてしまう。
伽藺に化けていた少女を肩に乗せると、上階に彼女を運ぶべく広間を後にした。
「助かった、礼を言うぞ。暮蒔の姫よ」
地響きのような声で、虎人の城主が玉座に話し掛ける。
その後ろから音もなく出てきたのは、倭服をモチーフにしたドレスの女。
黒髪をさらさらと揺らして周囲の状況を視認する。
「すごいことになっていますわね。100年をかけた結果・・・ね、ふふ、怖いこと・・・」
歌うように笑う女とは対照的に、虎人の城主はぐぬぬ・・・と低いうなり声をあげた。
「折角の城が・・・見事にしてやられたのう。外にいた部下共もどうなっているのやら。
起こして回らねばならないか。ほれ、ミュウリーシャ、倒れている場合ではないぞ!」
「その必要はありませんわよ」
女が言うと同時に、柳枝に絡め取られていた兵士たちが、一瞬にしてもがき苦しみ、
大量の水と血泡を吐き出すと、その体から力を失った。
「な・・・!?」
同時に城主も喉を押さえて苦しみ出した。
濃い・・・塩を含んだ水が、胃を喉を鼻を覆い、肺へと流れ込んでゆく。
「もぐ・・・っぐは・・・! は・・・!!」
「私にとっては有難い話。
ゆっくりゆっくり、貴方の協力者を装いながら、全てを奪おうと思っていたけれど。
此処までお膳立てしてくれたなら、それってつまり・・・今やれ、って、ことよね?」
言い切る前にもう、虎人はこと切れていた。
ごふっと吐き出された水と血泡の中には、びちびちと跳ねる大きな蛭のような生物。
どぅん、と大きな音を立てて倒れたその巨体を、虎妖の姫は大きく瞳を見開いて見ていた。
柳枝に締め上げられ、そして開放されたはいいが、次の瞬間・・・目前で父が殺され。
彼女は完全に混乱していた。
『お・・・お前・・・! 一体・・・!! ち、父上をどうした・・・!?』
毛を逆立てた虎妖の姫は、得体の知れない力を持つ女・・・。
【協力者】であった筈の裏切り者に対し、跳び掛かれもしないまま立ち竦んでいた。
敵を排除したいという怒りと、偉大なる存在だと信じて疑わなかった父の死への混乱、
そして、それを受けての本能的な怯えが・・・彼女の足を地に縫い付けていた。
綺麗に結ってあった長い鬣は既に半分解けている。
変化術に堪能な影武者ほどではないが、彼女も多少人好きのする容姿に化けていたようで、
人の目からしてもまぁまぁ、愛らしいと言えないことは無かった。
口元からは鋭い牙が覗いており、両手両足には鋭い爪が現れていたが。
「こういう時、皆殺しにするのが一番、賢いやり方なのでしょうねぇ。
でも私、女の子を苛めるのは、好きじゃないのよ。特に貴女は・・・少しは可愛いからねぇ。
さぁお逃げなさい。そして何処へなりと、助けを求めに行くがいいわ。
その時にはちゃんと伝えるのよ。愚かな筋肉馬鹿の父上が無くなったことと・・・」
ばさり、と。豪華絢爛な羽根扇子を広げて、女が妖しく視線を流す。
「この私、『磨凛』が主になったことを、・・・ね?」
喉の奥から、搾り出すような唸りを1つ上げると、ミュウリーシャはだっと駆け出した。
それを恍惚の瞳で見ていた女・磨凛は、扇子を閉じると甲高く笑った。
「あーっはははははぁ・・・!!
くく・・・快感ね。若い娘の・・・あの、憎しみと怯えが混ざった、悔しそうな顔!」
悪趣味な、と、自由を奪われた男は、その哄笑を眺めていた。
「あらあら、彼女を逃がしたのにはちゃんと、理由があったのよ?
多分あの娘は近隣の、有力妖魔の元に向かうわね。
そして今あったことを、包み隠さず伝えるのだと思うわ。
まぁでも、もしその相手から助力を得られたとしても、こちらには・・・」
ぱしんと扇子で手を打つと。今倒れたはずの兵士たちが、ゆらりと立ち上がっては、
身に絡む柳枝を振り払い始めた。
「兵隊はいくらでも、いるのですもの。
これを幸いにして、力を見せ付けてやればいいのよ、そうしたら私は・・・。
人の身にして・・・妖魔の豪族の仲間入り。ふふっ・・・♪」
それが、どういう仕組みなのか、男は理解していた。
事実、彼自身が操られていたから。
しかしそれと同時に、自分に掛けられている呪いとは、原理は同じでも強度の違うものだと、
理解することが出来た。
目前で泥人形のように動く兵士たちは、明らかに自由意志というものを、失っているようで。
自分は、自由意志を残されたままに、体だけを操られている。
◆
虎妖の王の死体の片付けは、操った兵士たちに任せておいて。
磨凛は何か用があるということで、さらに城の上階へと登っていった。
少女を担いだ男は、先程の姫君の私室だったのだろう、比較的女性らしい豪華な部屋を見付け、
寝台の上に彼女を降ろした。
命じられた通り、手首と足首を枷で留め、鎖のついた首輪を嵌める。
緑の髪がぱらりと広がり寝台を彩った。
「・・・・・・」
長身の青年から小柄な少女に変化したせいか、白い肩や胸元が剥き出しになっている。
ローティーンくらいに見えるが、思ったよりも体のラインは、成長しているらしい。
それを知って照れるほどには、男は幼くも世慣れていなくも無かったが、
さすがに気が引けたか、胸元に手を伸ばしては、きゅっと引っ張って整える。
その程度の行動には制限もかからないらしい。
その瞬間、青紫の双玉に、捕らえられる。
「・・・・・・!」
「・・・・・・」
驚いた顔の男を少女は静かに見上げていた。
正直、気まずかった・・・。
少女の手足を寝台に繋ぎ、肌蹴た着物に手を掛ける。
この構図では普通に考えても、変質者に間違われかねない。
しかも、誤解と伝えられればいいが、今の自分は言葉一つさえ、満足に選ぶことが出来ない。
そんな状態で硬直していると、少女は戒められた手を、胸元にある男のそれに重ねた。
(大丈夫よ、私の声を受け取って)
それは音ではない、純粋なる『情報』として、男の脳に直接響いた。
(貴方・・・伽藺を知っているのね。私は柳伽。あの子の・・・そうね、血縁者です)
それはそうだろう。
緑の髪に青紫の瞳は、どこをどう見ても伽藺の、そして威紺とも同じものだ。
どこか、おっとりとした感じの顔立ちも、よく似ている。
これで無関係な誰かと言われても、説得力が全く無い・・・。
(ふふっ。いやだわ、私はこう見えても、妖怪なんです。
外見の特徴や年齢などは、いくらでも変えられます。
貴方が今思っているよりも、ずっと私は年寄りなんですよ?)
どきっとして、思い直した。
そうだ、精神に直接話し掛けているということは、逆に男の思考が読まれていてもおかしくはない。
(ごめんなさいね。貴方が話すことの出来ない状態だと思って、勝手に夢に侵入したのよ)
(夢・・・?)
(ええ。私の能力の1つに、相手に幻を見せるというものがあるの。
それを応用してその幻に侵入し、意思の疎通を図ることも、やろうと思えば出来る。
つまりね、今この段階で貴方は私の幻術にかかって、白昼夢を見ているのよ)
(・・・夢・・・)
そういえば何か現実感のない視界である。
よく見ると目前の少女の戒めは解け、寝台に座って男の手をそっと握っている。
(貴方は伽藺のお友達? お名前を教えて下さるかしら)
(ティル・・・、ティル・ラー・ポット)
(あらまぁ! では、威紺と仲が良いという、あのティーラ様かしら)
(仲・・・あぁまぁ・・・。良いというか何というか・・・)
親友というにはちょっと辛口で、ライバルというには少し甘い。
威紺とは不思議な関係だと自分でも思う。
年単位会わなくとも、気掛かりでもないし、心配でもない。
けれど仕事で誰と組むかといわれたら、多分お互い指名し合うのだと思うし、
心から困ったことがあったなら、他の誰でもなく互いを頼るのだと思う。
そんな間柄。
(そして、貴方にそんな拘束を施したのは、あの子・・・磨凛なのね)
(あぁ。何を望んでかは知らないが、傭兵として雇われたと思ったら・・・)
(何を・・・それは・・・)
柳伽と名乗った少女が何かを告げようとした時。
白昼夢は終わりを告げた。
「あら。お祖母さまの顔をじっと覗き込んで、どうしたのかしら?」
「お・・・祖母・・・?」
改めて見直すと、柳伽は枷を嵌められたままの姿で、小さな寝息を立てていた。
「そうよ、そんな姿をしているけれど、聞いていたでしょう?
彼女はもう100歳以上になる、私たちのお祖母さま。正しくは曾祖母さまね」
「・・・・・・」
『年寄り』。なるほどな、と、ティーラは納得した。
「私が前に見た時は、もうちょっと大人っぽかった気がするのだけど、
何かの妖術で力でも失ったかしらね?」
近付いて頬をゆっくりと撫でる。
男性より女性を愛する、この女主人の性癖はもう、ティーラは理解していた。
今も自らの曾祖母でありながら、愛らしい容姿をしているこの捕虜を、
どうしてやろうか考えているのだろう。
「一応、長上を敬うのが・・・、暮蒔の一族だから・・・。
ひどいことは出来ないわね。・・・何らかの取引材料に、ならないかしら。
さっきの百年柳が奥の手なのだろうし、どうせもうたいした力はないでしょう。
殺してしまわなきゃならない程じゃ、無いとは思うのだけど・・・??」
問い掛けているように聞こえるが、その実ティーラの意見など求めてはいない。
磨凛の中ではもう、曾祖母の使い道は、決まっているのだろう。
「ほんと、悪戯したいくらい、可愛い寝顔。
でもさすがにお祖母さまだものね、一応は敬って差し上げましょう」
磨凛はそう言うと、ついとベッドから離れた。
「それにしてもこの城は趣味が悪いわ。獣皇殿だって・・・ネーミングセンスも最悪。
まずは調度を私好みに整えていくかしらねぇ・・・」
ひとりごちる磨凛。
・・・侵入者があることに気付いたのはその瞬間であった。
◆
長い長い柳枝まみれの廊下。
それを押し広げ、斬り開いて、威紺は上へと走っていた。
捕らえられている者と、死んでいる者しかいない、気持ちが良いとはいえない景色。
「・・・しかしおかしいな、死者の様子が・・・どう見ても、
枝に巻き付かれての圧死じゃない・・・」
妖怪の死体など、あまりゆっくりと見ていたいものでもない。
しかしそれにしても、この様子はあまりにも、不気味すぎるのだ。
「それに匂いが・・・」
どこかで嗅いだ匂い。生臭い・・・ような・・・。
「まぁいいや、いっちゃん上まで上がったら、何が待ってるのかわかるだろ!」
結局、大雑把な答えを出すと、威紺はその重そうな体を、俊敏に階上へと運んでいった。
・・・と。
「ん・・・? 誰か・・・来る・・・??」
視線の先に何やら、ちらちらと映るものがあった。
濃桃色の布に見えたが、それは単なる衣服の色で、包まれているのは人型の、
何らかの生物・・・妖怪のようである。
「・・・・・・」
敵か味方かはわからない。しかし警戒をするに越したことは無い。
腰に差していた、半ばから折れたような形をした蛮刀を抜くと、周囲の柳枝を斬り落とし、
簡単な立ち回り程度は出来る空間を作り出した。
「さぁて、鬼が出るか蛇が出るか、だねぇ・・・」
スリルシーカーな部分のある威紺は、そう呟くと唇の周りをぺろりと舐め、
近付いて来る人影を待った。
◆
『父・・・上っ・・・! あぁ、兵士たちも・・・、・・・ああッ・・・!!』
虎妖の姫、ミュウリーシャは走っていた。
どこまで・・・どこまで走っても、柳枝は行く手を塞ぐし兵士たちは、こと切れている。
『どうして、どうして・・・こんなことに、・・・あっ・・・!?』
そして、その正面に立ちふさがるは、人間の・・・男・・・。
妙な形の大きな刀を構えている。
その髪は濃緑で瞳は蒼紫、暮蒔から迎えた『入り婿』と、同じ色彩を持っている。
思わず立ち止まり、鋭い爪を構えた。
どれだけ傷付いて怯えていても、妖の将姫だ、戦いの意思を失うことはない。
「・・・おマエ、暮蒔ノ、モノ、か」
剣を構える男と、爪を構える娘。
じりじりと間合いを取って睨み合ってはいたが、先に矛先を収めたのは男の方であった。
「そういうアンタは何者なんだい。見たところ若い娘で、獣人種の妖怪のようだけど」
「ワタシ・・・は、ミュウリーシャ。・・・この城の姫ヨ。・・・姫・・・だッタ、ワ」
それだけをいうと、改めて絶望感が沸いて来たのだろう。
膝ががくりと折れて、濃桃色の錦の上に、涙がいくつかの染みを作った。
「『だった』・・・? ふむ、おれはここの入り婿にするべく、伽藺を送ってきただけのつもりだったが、
いろいろあったようだな」
「送って・・・来た・・・?」
キッ、と姫君が視線を上げる。
『婿などでは無かった! あれはこの城に対する、宣戦布告じゃないか!!
さらにあの協力者の女・・・、協力者を装って近付いてきた、女・・・。
あの女が父上を・・・!!
あいつも暮蒔の者なのだろう!? お前たちはどうなっているんだ!!?』
妖の言葉でまくし立てられるので、完全に理解するには威紺には時間がいった。
あまり得意ではないが彼らの言葉で、コミュニケーションを取ることにする。
『女? ・・・すまない、その話は初耳だ。
簡単にでいいから、説明しちゃあくれねぇか?』
『初耳・・・だと・・・?』
虎と人の、ちょうど中間くらいに見える顔を歪め、鋭く長い牙をむき出しにした姫が、
叩き付けるように事情を述べる。
それを要約すると、こういう事であった。
ある日、父の元にやってきた女。
父は彼女と、以前から懇意であったようで、『暮蒔の姫』と呼んでいた。
単なる妖界の豪族であった父を唆し、力を貸すと言った彼女は、
不思議な力と謎の男を使いこなして、この城の元の持ち主を倒し父へと献上した。
『なら・・・アンタは・・・』
『元々はこの近くで徒党を組んでいた豪族よ。姫と呼ばれる立場になったのは、
この数ヶ月ほどのことよ』
『不思議な力・・・はわかる。水や・・・水棲生物を、操るのだろう?』
『そう! そうよ!! やっぱり知り合いね』
『じゃあ・・・、謎の男って、何だ・・・?』
問われると、ミュウリーシャは、少し首を傾げた。
『よくわからないけど、あの女の部下みたいな立場ね。
でもなんだろう・・・気味が悪い・・・。
ほとんど喋らないし、何より目に生気が無いのよ・・・』
『操られているのだろうな。どんなヤツだ?』
『さぁ。ニンゲンの容姿の区別は、私にはよくわからないわ。
あの女は『男にしておくには勿体無い』とよく言っていたけど。
ええとね、鳥人・・・っていうのかしら、羽根が沢山あるわ。
真っ赤な羽根・・・が、貴方と、耳と、背中に・・・』
『・・・・・・。ま・・・真っ赤な、・・・羽根ェ!?』
思わずあげた叫びに、ミュウリーシャのほうが、獣瞳を丸く見開いた。
『な、何よ・・・』
『・・・いや。ソイツも知ってるヤツだわ、っていうか・・・あー・・・。
くそぉ・・・何ドジ踏んでるんだ・・・』
『アンタ、一体どっちの味方なの? 暮蒔は一体どうなっているの??』
『・・・・・・。恥ずかしい話しだか、それはおれらにも、わからない。
というか、おれらも初耳の情報が、多過ぎるんだ・・・』
『何・・・それ!!』
虎娘が牙を剥き出す様子は、さすがに少し迫力がある。
まだ人間に近い姿に化けているとはいえ、瞳や牙、爪は完全に獣なのである。
『どっちにしても確認したい。いや・・・こうなってしまった以上、
おれ一人じゃ少し・・・荷が重いかも知れんな・・・。
それにもうすぐ、25分、か』
懐中から時計を取り出す。
今から急いで戻ってやっと、30分に間に合うというところだろう。
『・・・よし、嬢ちゃん!
どうせ逃げるつもりだったンなら、ちょっと頼まれてくれや!!』
『え・・・?』
『下におれの仲間たちがいる。
ちっと今のことを伝えて、何人か上がってくるように言ってくれや!
・・・いや、2~3人でいい。多過ぎるとこの状態じゃ、動き回れねぇし。
何より退路を確保する人員の方が重要だ』
『えっ・・・! ニンゲンたちが・・・、沢山いるの・・・?』
先程までの騒動で、すっかり人間が怖くなっているのだろう。
怯える娘の頭を撫でると、威紺は自分の髪留め紐を解き、
その獣毛に覆われた手に握らせた。
『これを見せて、おれの使いだって言やぁいい。
いきなり、攻撃を仕掛ける乱暴者はいないはずだが、それがありゃあ話も、
信用されやすくなるだろう』
それだけを言うと、威紺はさらに先に走り出そうとした。
『まっ、待ちなさい、待って!!』
その背中を、人よりは少しくぐもった声が、呼び止めた。
『お・・・?』
『わ、私・・・貴方の名前を聞いていないわ!
これじゃあ、使いだなんて・・・名乗れないじゃない!!』
『あぁ、そうか』
もう随分と間を開けてしまっていたが、ミュウリーシャに聞こえる声で、
威紺が叫んだ。
『八珠堂 威紺! や・す・ど・う・い・こ・ん、だ!!
頼んだぜミュウ!!』
それだけ告げると、再び駆け出して、階上・・・。
多分、祖母と従姉・・・そして、・・・親友・・・が待っているだろう、
その場所へと走った。
『ミュウって・・・! 馴れ馴れしいわ、父上でもない癖に!!』
頬が赤く染まったことは、顔が獣毛に覆われていたので、
見た目からはわからなかったが。
『やすどう・・・いこん、ね・・・』
もう、自分も泣いて逃げるだけの立場では、なくなったことを悟ったのか。
ミュウリーシャは立ち上がり、威紺とは逆の方向、城の出口を目指して、
再び足を動かし始めた。
「・・・入るがいい、婿殿よ」
重々しく響く声が告げる。
魔城の奥、謁見の間に通された伽藺、いや・・・伽藺に姿を変えた柳伽は、
静かに顔を伏せていた。
ゆっくりゆっくりと歩を進め、そしていたりと足を止めると、・・・顔を上げる。
其処には大きな獣の顔。
全体的な印象は、虎に似ているとでも、言えばいいのだろうか。
ただし牙がひどく鋭く長い。そして曲がりくねった角が生えている。
口元から生えた長い髭は胸元まで落ちている。
仰々しい皇帝服に包まれているため、体がどうなのかはよくわからない。
しかし体型は人間寄りなようだ。
人間の平均よりも遥かに筋肉が発達していて、身の丈2mは軽く越していそうではあったが。
「名は何であったかのう、人と妖の渡し舟たる者よ」
「暮蒔・・・、伽藺と申します、妖の王よ・・・」
静かにひざまづき、瞳を閉じて頭を下げると、「良い」と声が掛かった。
「ほほ、力を抜いて楽にせい。そなたは我が娘と婚姻を結ぶ身よ。
我からしても息子のような存在じゃ」
「はっ・・・、お言葉、光栄に御座います・・・」
視界が開けた瞬間、二つの大きな瞳と、視線が合った。
少し驚いたがなるべく平静を装い、自らの顔を覗き込むその人物を見遣った。
獣のような縦瞳孔の瞳をしているが、人間基準でも美しいと言える、野生的な娘だった。
姫君らしい、煌びやかな装いをしているが、腕や足などは大胆に露出している。
髪は艶のある黄金色で、高々と複雑な形で結い上げてあり、何本もの簪や花飾りで彩られていた。
「これ、ミュウよ。そなたの婿殿とはいえ、まだ祝言を挙げておらぬのだ。あまり近う寄るでないわ」
『あっは、ごめんねぇ父上! どんなヒトなのかなぁと思って!!』
妖たちの言葉で返すと、ミュウと呼ばれた娘は再び、柳伽に向き直った。
「ハジメマシテv アタシ、は、ミュウリーシャ」
『貴女たちの言葉で結構です』
妖界の言葉で返すと、その瞳がきらりときらめいた。
『あら! なら気を使うことはないわね、嬉しいわ!!
・・・ふぅん、ニンゲンの男って初めて見たけど、案外細っこいのね。アタシと大して変わらないかも』
ふんふん、と鼻を鳴らして周囲を回る妖の姫に、困ったような笑顔を向けて答える。
『私は・・・特別脆弱な方です。人間にもいろいろいますから、貴方に似合った体格の男性もいますよ』
『ふぅん・・・』
ぺろりと唇を舐めて、ミュウリーシャ姫が視線を合わせる。
『でも、妖力は申し分ないみたいね。気に入ったわ』
『・・・・・・有難うございます・・・』
「ミュウ、そろそろ戻りなさい」
『はぁい!』
つまらなそうに返すと、姫は素早く身を翻した。
ドレスの腰に結ばれたリボンの下から、霊的な炎を纏った虎縞の三本の尻尾が覗く。
「困った娘で済まぬな。人の世での、礼儀は教えたつもりだが、一向に実践しようとせぬ・・・」
「いいえ。それより・・・思っていたよりも人の姿に近い、美しい姫君であらせられたので、
そちらの方に驚きました」
「ははは、変化の術法だけはどうやら、得意なようでな。ちゃんと人に見えるなら幸いだ」
どうやら今の姿は、変化によって人に近付けているらしい。
本当の姿は多分この王と、似たようなものなのだろう。
「変化ですか。では私も多少なりと姿を、変えた方が宜しいのでしょうか」
「良い。我らは人間ほどに、見た目に拘ることはない。娘は既に妖力の強さが気に入ったようだしのう」
「そうで御座いますか・・・」
「だからな・・・?」
王がゆっくりと近付き、柳伽の肩をがしりと掴んだ。それだけで倒れてしまいそうな、圧倒的な膂力と重量。
『そなたも姿を戻して良いぞ』
『あら。やっぱり、見破られた?』
次の瞬間、しゅるるるるっと柳伽の背中を破り、細くしなる何本もの枝が王の手を薙ぎ払った。
そのまま玉座までたんと跳び、横に控えていた侍女を、ぐるぐる巻きにする。
『は・・・! な、何を・・・』
『大人しくしてくださいな、ミュウリーシャ姫』
『!!』
侍女はぎりり、と唇を噛んだ。そこに、先程ミュウリーシャを名乗った少女が、飛び込んで来る。
『貴様・・・姫を離せ!!』
鉤爪の生えた腕に霊力の炎を纏わせているが、柳伽が繰り出した枝に巻き取られて炎もかき消えてしまう。
『ふぅ、本物の炎だったら樹妖の私には怖かったところだけど、ただの妖力の塊で良かったわ』
『・・・・・・ッッ!!』
もがく少女の頚部に枝を巻き付けると、一瞬にしてかくりと力を失い、倒れた。
みるみるうちにその姿は、角の生えた虎人といった姿に、戻って行く。
『肉体的に脆弱な、か細い人の姿に変化していたのが、命取りだったわねぇ。
ごめんなさいね影武者さん』
そして再び王を見遣る。
『人質を取る・・・とは、あまりスマートなやり方じゃないけれど、多勢に無勢だから仕方がないの。
さて、お姫様が心配ならば、お話を聞いて下さります?』
『ふっ・・・姫が心配ならだと。それは妖の王たる我に、言っているのか?』
『・・・・・・。そうですね、妖の世界は人などよりよほど、弱肉強食。
姫君とはいえ、曲者にやすやすと捕まってしまうようでは、生きる価値もないもの・・・と、
思われて当然ですね・・・』
本物のミュウリーシャは、懸命にもがいていた。
しかし、細くしなる柳の枝で何重にも縛られているため、身動きがとれずにいた。
口も手足も封じられているから、妖術を使うことも出来はしない。
妖としての元の姿に戻れば、運が良くば拘束を破れるかも知れないが、力負けした場合は締め付けられて、
気を失うか骨を折られるかになるだろう。
『ですからね、もっと沢山の人質を、取ることにしたのです』
『ん・・・?』
言うか言わないかのうちに、一瞬にして城全体を柳の枝が覆い、兵士たちを締め上げた。
姫君を捕らわれて、どう動くべきか逡巡していた兵士は、瞬く間に拘束され・・・そして意識を奪われた。
『・・・・・・・っな・・・!!』
『100年、かかりました。此処に戻って来るまでね。
最近このお城を奪った貴方は、気付かなかったのかしら。
100年前から・・・ずっと私は・・・、この辺り一帯に種を蒔いては根を地中深くに伸ばして、
この時を待っていたのですよ・・・?』
『王』を名乗るこの豪族もまた、勢力争いの中でこの城を、手に入れた者だった。
暮蒔との契約についても、多分に前の城主だった豪族に仕えていた妖から、話を聞き出したのだろう。
しかし流石に戦慣れしているだけはあった。
四方八方から襲い来る枝を、刃渡りだけでも人の身長はあるような剣で、斬り払っていった。
そうこうしている間にも、内部にまで根を張られ伸ばされ、組織を崩された城がびしびしとひび割れてゆく。
『・・・往生際が悪いですよ?
純粋な力や妖力では貴方が上でも、ほんの何年か前にここに来たばかりの貴方が、
100年をかけて準備を行った私に、勝てると思うのですか』
「それが勝てちゃうのよねぇ! ふふ、妖力に頼らない炎くらい、こっちも用意してるのよぅ♪」
「・・・ぇ・・・!?」
言うが早いか柳伽の背を、大きな炎の球が焼いた。
伸ばしていた枝は焼き切られ、捕らえていたミュウリーシャを、ごとりと落とした。
「な、何で・・・これは妖力ではない、本物の・・・精霊の火!?」
ネバーランド世界に存在する火は、その大体が精霊力から発したものだ。
それは『妖』と呼ばれる者たちの殆どには、いくら妖力を鍛えても防御出来ないものであり、
強力な弱みとなる。
かの世界では、『清めの炎』と呼ばれるのも、それが所以である。
しかしそれだけに、妖界で精霊力の炎を扱える者は、いたく少ない。
一見すれば炎に見える『狐火』『不知火』なども、実際は妖力が濃縮されて発光しているに過ぎないのだ。
だから柳伽は・・・この城には、精霊力を扱う炎使いは、いるとは思っていなかった。
「どういう・・・!」
背を焼く熱に耐えて振り向いた時には、眼前に黒い影が舞っていた。
黒くて赤い、視界を覆う、影。
「ッッ!!」
「・・・めんな、伽藺・・・」
静かな声を聞いた気がした。何かを噛み潰したような沈痛な声・・・。
そして、的確に鳩尾を狙う衝撃に、柳伽はその意識を手放した。
◆
「あ・・・、はああぁぁあ!?」
城の前に戻った瞬間、威紺は間の抜けた声をあげて、それを見上げた。
あの華やかかつ禍々しかった岩造りの城は、今は何かの植物に覆われ入り口もわからない状態であった。
門番をしていた馬と蝦蟇の兵士も、植物に巻き付かれ意識を失っている。
死んでいる訳では無さそうだったが、気道を圧迫された結果のようだ。
「柳・・・ですね・・・」
まるで蔦のように絡まり合ってはいたが、特徴的な枝葉の形状を見て呟く希鈴。
「柳伽サマですル!」
「・・・・・・ひぃ祖母さんがやったのか。しかし・・・すごいな・・・。
祖母さんが、柳の樹妖だとは聞いていたが、こりゃあ相当な霊力持ちだぜ・・・」
「柳伽サマ自体は、それほど強力な樹妖では、ありませんですル。
ただ・・・この日にために、100年・・・準備をしてきた、と、言われておりましタ」
「100年・・・」
一族の者を妖界に嫁がせる周期が、ちょうど100年に一度である。
「つまりは、前回から用意してたっていう訳か、女は恐ろしいねェ」
「そういえば曾祖母上は、元は前回に嫁いだ方・・・つまり私たちの曾々祖母上の、式であったはず」
「・・・・・・」
主の無念を・・・悲劇を・・・、繰り返させない・・・ために。
生まれた子を託されて、この城を出た時から、数えて100年。
ずっとこの日を待って来たのだろう。
自らの分身である『柳絮』を、この城の周囲に埋めて・・・。
「これが、ひぃ祖母さんの分身とするなら、下手に傷付けない方がいいな」
「けど・・・このままでは、中に入ることさえも、困難ですよ・・・」
「一人ずつなら行けるだろう。まずはおれが行って来るわ」
「威紺殿!?」
頭領補佐の言葉に一行が沸き立つ。
「い、威紺殿が御自ら出向かれなくとも、我らのうちの誰かを、向かわせれば良いでしょう!」
「・・・ってなァ」
ぼりぼり、と、後頭部を掻きながら、威紺。
「考えてもみろよ。ここは・・・敵サンの本拠地だ。そんで、この様子だ」
柳枝でびっしりと包まれた城を指す。
「多分この状態なら、ひぃ祖母さん・・・ああぁもう面倒だな、祖母さんでいいや。
祖母さんは、今まで積み上げて来た準備とやらを、完全に解き放っちまった。
つまり切り札を出しちまったって事だな・・・」
神妙な顔で考察を聞く民たち。
「それで制圧出来たならいいさ。中に入って行っても、危険なことは無いだろう。
祖母さんが、どのくらい強いのかおれは知らんし、今どうなってるのかもわからねェ。
まぁ相打ち覚悟で行ったのだとしたら、引きずり出して来てやるくらいは・・・、
曾孫の勤めとしてやるべきかなとは思う」
きゅーん、と悲しそうに鼻を鳴らしたのは、妖狐であった。
「で、だよ。次は悪い予想、祖母さんが失敗してた場合。
まぁ雑魚はどーにかしたんだろう、あの門番らを見てる分にな」
柳枝に絡み付かれ、昏睡状態にある兵士たちを指す。
「しかしな・・・ということは、残ってるヤツは・・・多分、強力な筈だぜ。
ただのはぐれ妖怪じゃない、ちょっとヤバいやつにブチ当たったとして、
一番・・・生きて返って来れる確率があるのは・・・」
この中では、戦士として一番強力な、威紺しかいない。
「その場合は全員で取り掛かるか、あるいは全力で・・・撤退だ。
まぁこの調子だと、内部も乱戦が出来るほど、綺麗な状態じゃないだろう。
祖母さんのことは諦めた方がいいかも知れん」
ということだから、と、入り口らしき門を塞ぐ枝を掻き分け。
「・・・・・・この、匂い・・・」
威紺は眉根を寄せ、後に控える頭領と里の民らに、改めて告げた。
「やっぱちょっと、ヤバいかも知れん。何でか知らんが、内側から何か燃える匂いがする」
「な・・・!」
ざわりと沸き立つ民を制して威紺が続けた。
「心配するな。ヤバいっていったのは、祖母さんがもう駄目かも知れん、って意味だ。
樹妖に限らず妖怪は火の苦手なヤツが多い。そんで・・・おれは・・・」
相棒ともいうべき、腰に挿した刃渡りの短い、蛮刀を叩く。
「炎使いだ。だから心配は・・・多分いらねェ。多少の火なら支配し返すさ。
けど中の状態が読めないのが辛い。だから・・・、30分だ・・・」
指を三本、立てて見せる。
「そんなけありゃあ、中がどれだけぐちゃぐちゃだろうが、探し尽くすことは出来るだろ。
30分で、おれも帰らない・・・何の変化も見られない、となったら・・・。
とっとと撤退してくれ。
元々この世界全体に流れる瘴気は、人間にはちとキツいとこあるしな?」
言って、狐を胸に抱いた、頭領を見つめる。
希鈴は・・・言葉の厳しさに比べて、従兄の瞳がきらきらと輝いていることに、
深く深くため息をついた。
確かに状況はわからず、不気味で・・・厳しい。けれどこの男は・・・。
楽しんでる。
完全にこれは、探検ごっこに胸を踊らせる、少年のそれだ。
「30分きっかりで、帰りますからね」
「おうよ☆」
上機嫌に返すと、威紺はどうにか枝の間から門をこじ開け、城の中に消えていった。
「・・・・・・本当に、勝手なんですから、ね。
けれど・・・気味・・・悪いです、・・・ね・・・」
「ふぇ?」
頭領の呟きに、妖狐がその尖った鼻を、くいと上げた。
「いえ・・・。よくは・・・わからないのですが、気配が・・・気持ち悪いんです。
何か、見知った方の気配があるような、でも違うような・・・、うーん・・・」
得体の知れない不快感を抱きながら、希鈴は懐中に仕舞い込んでいた、時計を取り出した。
「ねぇ。白。何故あの子たちは、戦っているのだと思う?」
「みゅ?」
白狐は首を傾げる。
あの子たち、というのは。
暮蒔の里の者たち、皆を指していた。
人と妖。
その二つを繋ぎ、まだその境界を守るために。
危険な血を引くがゆえに、契約という鎖で縛られた、一族。
「それは『契約』だからでは、なかったのですルか?」
「ええそうだったわ。でもさっきも言ったわね、もうそんな契約の記録は、どこにもないのよ。
そもそも人など短命な生き物だわ。この千年でさえ、政治も世界もどれだけ、変化したでしょう。
そして代替わりしたとて、全ての記録や記憶を、引き継ぐことも無い。
形によっては、全く記録を引き継がない継承だって、することのある者たちよ」
「ふみゅう・・・」
まだ幼生体の妖である白狐に、全て理解しろというのは難しいが、
それは承知で柳伽は続きを語った。
「対して妖の方は、人たちよりは長命な者が多いけれど、それでもやはり代替わりはしている。
いいえ・・・戦闘本能が強い・・・。
『喰らおう』『潰そう』という欲求が強い分、正当な血族間の継承であれど、
記録を全て抹消され、新たに作り直されることだって、多いわ」
「とすると・・・暮蒔の者たちはもう・・・。
随分昔の政権交代のときなどに、もう妖界の契約からも人界の契約からも、
恩赦解放されているということですルか?」
世間を知らないなりに、自分の頭で整理しようとする狐の姿に、柳伽は小さく微笑んだ。
「恩赦であるとは限らないけれど、少なくとも私が調べてみた限りは、
縛られる理由になる契約を、示したものは保管されていないわ。
けれど暮蒔は妖と人の境界を守る。多分・・・言ってみればこれは惰性ね。
それが『使命』だと思っても、何故それを受けているのか、分かってないし。
人たちの側からも『何か知らないが便利な一族がいる』くらいの認識でしょう。
いえその存在さえももうほぼ、認識されていないかも知れないわ」
それでも、と息をつく。
人側からの待遇に関して言えば、辺境とはいえそう悪くはない土地と、
実質的な何かはないにしろ、それなりの身分という、見返りを貰っている。
だから暮蒔の力が続く限りは、境界を守るという作業に従事していても、
それはそれで悪くないのかも知れない。
「問題は・・・妖の側なのよね・・・」
妖界から貰っている見返り。それは式神を使役する権利。
ただし里長家に連なる者から、人身御供を差し出さねばならない・・・。
「まぁ正直ね?
妖の側からすれば、はぐれ妖怪が出ようが、それが人を襲おうが、別に困ることは無いのよ。
だから人身御供を出しませんといえば、じゃあ式神を使役する権利も与えない、って、
たったそれだけのことなの・・・本来はね」
「本来は・・・?」
聞き返す白に、柳伽はゆっくりと続きを語る。
「本来、妖界の王と人界に与した姫の間で、組まれた契約はそうだったの。
けれど・・・皇子と皇女の双方を失った王は、直系の継承者を立てることは出来なかったわ」
「ほみゅ・・・」
「それでも自身の血を引く者から、何とか次代は立てたのだけれど、
けれど内乱であっけなくその政権も終わり」
「・・・ほみゅ・・・」
「そもそも妖怪というのは、奔放な性分であるゆえに、束ねられることを好まない。
だから今、妖界には『王』というものは存在せず、ただ力の強いいくつかの豪族が、
属性の似た妖たちを束ねているに過ぎないのよ」
え、じゃあ。と、狐は面を上げた。
「どういう政権交代や、継承が行われたのかは、知らないけれど。
・・・いつの間にか本来の契約者とは、違う相手と契約をしている。
だからね。契約は・・・もう破棄しても、いい筈なのよ。
というよりも、契約自体・・・有効とは言えないわよね、これ」
◆
「・・・では・・・、つまり・・・」
民たちがざわめく。
あくまで自分たちは、『古の罪』による『契約』の元、活動しているつもりだった。
「妖は確かに、大抵のものが人よりは長い寿命を、持っていますルが、
その性質上、1つの政権が長く続くことは、あまり無いですル。
奪ったり・・・奪い返されたりは、日常茶飯事ですルが・・・。
少なくともこの数百年の間は、妖界に統一政権があったことは、
無いようですル・・・」
「・・・・・・」
蒼白の肌色の中、ただ紅に浮かぶ唇を、希鈴は噛み締めていた。
「では式神は?
私たちが使役する妖はどこから来ていたのです??」
「・・・それは・・・」
狐が、自らが転がり出て来た方向を、顎でくいっと指し示す。
闇空に微かにゆらめく城影は、禍々しさを纏いそこに在った。
◆
我らの掟は、絶対だと思っていた。
だからこそ自分たちは、罪深く、また誇り高く、美しい。
その中でも里長とその守人の間に生まれた自分は、その美しい血を誰よりも色濃く継いでいる筈。
女でさえなければ。
・・・あの女さえいなければ。
彼女さえ・・・、私の元から、去らなければ・・・。
あぁ、憎い。醜い。怨めしい。
◆
「ねえ、私の、可愛い子・・・?」
女の声は艶やかで。
甘ったるい響きを持ちながらも、どこかに氷のような冷たさを、漂わせていた。
黒と紫を基調にしたゴシック調のドレス。
けれどよく見ると、そのデザインの基本になっているパターンは、倭の衣装だった。
蝶が舞うようにふわふわ歩き、その藍がかった黒髪を靡かせる。
その視線の先には。俯いた黒衣の真紅。
「来るようよ・・・。あの子たちが・・・、・・・ふふ・・・」
岩で出来た魔城の窓辺から、狐の走り去った方向を、見つめていた。
真紅は微動だにしない。ただただ、胸に手を添え、面を伏せている。
すらりとした体格の男だ。
しかし良く見ると肩幅はしっかりとしていて、戦い慣れた者の筋肉を有しているようであった。
そして六枚の大きな翼。天使に稀に見る六枚羽根とは違い、背に一対と頭部に二対。
鳥人・・・その中でも、少々特殊な種族なのだろう。
「会いたい? 会いたいわよね?? 会いたいに決まっているわ」
愉快そうに身を翻す女は、妙齢のようでもあったが、無邪気な少女のようにも見えた。
顔立ちは幼めで愛らしいが、体格は熟しきった女の色香を湛え。
濃い目に塗られた化粧が、退廃的な色合いを加えていた。
毒々しいまでに紅い唇から、小さな舌がちらりと覗く。
「・・・だって彼らは、私にとって・・・とても大切な存在。勿論貴方にとってもね?」
頬を撫でられても、男は微動だにしない。
ただ、手に触れた羽根と髪が紅の軌跡を描いて、さらりと軽く揺れるだけ。
その様子に、満足げな顔を見せると、女は命じた。
「顔を、上げてもいいわよ、可愛い子」
「御意に」
静かに返事を返すと、男がやっと頭を上げる。
端正な容姿を隠すかのように、鼻梁には黒い眼鏡が掛かっている。
それがまた、妙にきらびやかなゴシック調の黒衣や、手入れされた髪の中で異彩を放つ。
「瞳を見せなさい。貴方のその、綺麗な紅を」
「・・・・・・」
その命令には従わない。
女は、機嫌のよさそうな顔を一変させると、途端に苦々しげな表情を作る。
「ふん、ささやかな抵抗の、つもり?
いいわよ。どうせ、貴方に出来ることなど、それくらいもの。
うふふ、手が震えているわよ。口元もひくついていること。無様ね・・・。
・・・でも、そこが可愛いわ」
愛らしい顔に一瞬、肉食獣めいた笑みを浮かべると、再び無邪気な様子で、
ひらりと窓辺に腰掛けた。
「早く来ればいいわ、私の可愛い弟たち・・・。
大事なお友達も、もう招待してあるのだから。
そして私のこの耳に、素敵で醜い悲鳴を、聞かせて頂戴・・・?」
「本当に良いのか、暮蒔の姫よ・・・」
地響きのような声に、女は歌うように答える。
「ふふ・・・今の私はもう、そう呼ばれる存在ではありませんわ。
けれど必ず取り返す。いいえ・・・次に名乗る時は、・・・そうね。
その時はもう・・・『姫』ではなく・・・」
うふふ、うふふふふ、と。愛らしく禍々しく、女は笑う。
「久し振りに見たけれど、鬼巖城とでもいう感じねぇ・・・」
見上げて呟く伽藺の背中を、馬頭が早く入れとせっつく。
「はいはい、分かっていますよ、と・・・」
抱いていた仔狐を地面に降ろして。
「『式』ハ、逃ガシテ良イ、ノ、デスネ?」
たどたどしく兵士に尋ねてみせた。
「主サマ・・・!」
仔狐は不安そうな瞳で見上げ、『主』はばちりと片目を瞑った。
そうして踵を変えそうとしたが、ふと後ろ髪を引かれたのか、振り返って呟いた。
「そうそう、貴方の名前。センスがないなぁって、ずっと思っていたのですよ。
これからは・・・、『白柳』って名乗りなさい・・・」
もう片方の文字は『あの子』に与えた。
これで、少なくとも二つの存在が、『私』を継いでくれる。
『私』が居たって証明は、あの子たちの中で残る。
「ふふ、じゃあ、行きますね。・・・白」
『しろ』から『はく』に呼び方を変え。
頭を一つ撫でると、伽藺はそのままゆっくりと、城の中へと歩を進めていった。
◆
走る、走る。馬車が通った道を、妖たちの中を・・・。
妖狐とはいってもまだ幼いゆえに、危険な地帯を走るのは命懸けだ。
ちゃんと整備された、安全な街道を選ぶこととて、出来はした。
けれど『白』はなるべく早く戻りたかった。
今ならまだ彼らが居るかも知れない。
居て・・・欲しい。居て下さい。
・・・主サマを助けて!!
短い四肢が懸命に動く。時折石や草に動きを阻まれながら。
小さな爪の間に血が滲み、肉球に擦過傷が出来る。
それでも白い弾丸は、跳ねて跳ねて『門』を目指した。
彼らがまだ待っていることを。
『主』を、助けてくれるだろうことを、祈りながら。
◆
赤昏い空がことさらに真っ暗になった。
月は綺麗に出ているが、それさえ人界の月とは、違うものに見える。
纏わり付くような空気が、さらにその重みを増した。
暑苦しいのか、寒々しいのか。
人の肌では判断し兼ねる、ただ『不快』としか言えない、感覚。
「そうかぁ・・・。夜になった、って、ことかぁ・・・」
『扉』にほど近いところにまで戻り、転がっていた威紺は頭を上げた。
伽藺は行った。これ以上、ここで待っていても、無駄だろう。
逃げて来ることは無いだろうし連れ戻せる訳でも無い。
そもそも自分は、彼を妖たちに売り渡すために、ここまでやって来た。
心配など・・・する権利はない・・・。
「それでも」
微かに見える城の影を睨む。
それでも、手放したくないと思ってしまう、この感情は・・・。
従弟に対する愛着なのか。
・・・それとも・・・。
「ふっ、馬鹿馬鹿しいよな。俺の仕事は済んだ。それでいいんだ。
これでまた・・・、100年・・・ほどは・・・、里は安泰・・・。
・・・一族は・・・、生きながらえた、んだ・・・」
ふらりと立ち上がると。
妖界の赤黒い土を踏みしめながら、『門』を再び開くための、
詠唱を始めようとした。
「光・・・あらます現の世と、闇・・・広がる妖の世・・・、
其を隔てし、父祖の悠久の誓いに、願い奉る・・・」
力の増幅具たる、刀から立ち昇る気が、空間に大きな扉を形造る。
その瞬間。威紺の背中に何か、小さくて弾力のあるものが、
ぶつかった。
「うぉっとと・・・! な、何だよ・・・!!」
詠唱が取り止められたことで、門を象った『気』は消えて再び、
淀んだ空気で構成された空間だけが残った。
振り向くと、白い脚に血を滲ませた、小さな仔狐が倒れていた。
「・・・白?」
呼び掛けて抱き上げると、うっすらと瞳を開いて、狐が呟いた。
「今はもう・・・『白(しろ)』では無いのです・・・。
『白(はく)』とお呼び下さい、なの・・・ですルよ・・・」
「そんなこと言ってる場合じゃねぇだろ!!
お前・・・、手足ぼろぼろじゃねぇか、一体何したってんだよ!?」
威紺に誰何されて、白は慌てて頭を上げた。
「そうなのです!
お願いしますのです、助けて下さい・・・なのですっ!
主殿は、主殿・・・は・・・、
・・・死ぬつもり・・・なのですっ!!」
「死ぬ・・・、つもり・・・」
分かっている。暮蒔の血族であるとはいえ、妖に嫁ぐということは、
死をも覚悟するということだ。
「分かってて俺らは、伽藺を探し当てて、
・・・そしてここまで連れて来た」
「違うですルの!!」
威紺の腕の中で白はぶんぶんと頭を振った。
「分かってないですル! 威紺サマも希鈴サマも、何も分かっては、
いないですルの!!」
「え・・・?」
必死で訴えようとする妖狐の剣幕に気圧される。
「あの方は・・・伽藺サマではありませんのですル!
そしてあの方、柳伽サマは・・・、ただ嫁ぐため・・・に・・・、
・・・ここに来たのでは、無いの・・・ですル・・・」
「・・・・・・!?
な、何・・・だって・・・!!?」
◆
威紺としては一刻も早く詳しい話を聞きたかったが、狐の状態を見て里の者たちが控える場所に、
一旦戻ることを決めた。
そこには希鈴がいる。
性格こそ向こうっ気が強いが、あれでも治癒にかけては専門家だ。
思った通り、待たされた彼は立腹して怒鳴って来たが、白の様子を見ると速やかに治癒術の陣を結んだ。
幼い妖狐の四肢に傷が、みるみるうちに癒えてゆく。
そこからは白による説明の時間であった。空はもうすっかり暗く、どこからかふくろうの声が聞こえてきた。
「兄上が偽者だった、・・・ですって!?」
ぴくりと眉尻を上げる希鈴に、慌てて弁解するかのように、白が叫んだ。
「偽者というよりは、柳伽サマが伽藺サマに、成り代わっていたですル」
「柳・・・伽・・・?」
首を傾げる希鈴に威紺。どこかで聞いた名前だが、それが誰なのかを思い出せない。
と、待機していた民のうちの一人、初老に近付いた年頃の者が、呟いた。
「ひょっとして・・・。
先々代頭領のご母堂のですか・・・?」
「はい・・・なのですル!!」
「・・・!?」
先々代の母親ということは、つまり当代の希鈴からすれば、曾祖母にあたる女性だ。
そしてそれは、希鈴の父の実姉を母とする威紺からしても、同じであった。
「ひぃ祖母さんかよ・・・、ちッ、そういうことか・・・!」
自身の胸騒ぎの正体を悟り、威紺は歯をぎりりと食いしばった。
しかし、それ以前に危惧していたことに比べれば、随分とましな真相である。
(おれはどこまで行っても・・・ということか・・・)
ごくごく個人的な感情に、支配された威紺に比べれば、希鈴は理性的だった。
「何故、私たちの曾祖母上が・・・? そして本物の兄上は一体何処へ・・・?」
「伽藺サマはこのことを知りませんのですル!
柳伽サマは一言も知らせずに、伽藺サマを旅の空に送りましたのですル。
・・・そもそも伽藺サマはまだ、生まれたばかりですル。
お話しても、ご理解出来なかったかも、知れません・・・ですル・・・」
「生まれたばかり・・・? 兄上が・・・ですか・・・??」
こくり、と、手足の傷に治癒を受けた、妖弧が頷いた。
「説明は後なのですル!
柳伽サマは・・・柳伽サマは、契約を破棄するべく、妖界に向かわれたのですル」
「破棄!? 何故・・・」
「・・・・・」
◆
「ご主人・・・サマ? どうしてボクを伽藺サマから、引き離されたのですル?」
「・・・・・・」
旅立つ伽藺を見送った後、ぼんやりと・・・まるで何かが、抜け出したかのように、
柳伽は日々を過ごしていた。
所有権を借り受けた白に対しても、何かを命じるわけでは無く・・・。
ただひたすら、瞑想するように座りながら、過ぎる時間を送っていた。
「少し待ってね、白。
もう少しなのよ・・・、もう少しで根が張るの・・・」
「・・・? 根・・・??」
「えぇ」
にこりと微笑む柳伽。その口から質問の答えを聞きだせたのは、さらにそれから、
一月ほど後だった。
「貴方に協力して貰いたいことがあるの。
そのためには貴方に、『ご主人様』と呼ばれる必要が、あったのよ・・・」
「ふぇ?」
耳をぴんと立てた白を、ゆっくりと抱え上げて、柳伽は続けた。
「・・・私はね、あの里を救いたいの。ううん、そういう言い方は、思い上がりね。
救いたいのは・・・あの方の、そして夫の残した子供たち、孫・・・たち。
そのために、もう古びてしまった約束を、撤回させなければいけないの」
「ふぇ・・・え??」
「・・・妖界と人界の契約は、もう無意味なものと、なっているのよ。
1000年をとうに越す時間が流れて、人界の・・・ムロマチを制する者だって、
何回も変わったわ。
妖界でだって、覇王とされている者は、代替わりしている。
きっと古の契約など、正式な形ではどこにも、記録されてはいないのよ。
それにね・・・」
「はい・・・なのですル・・・?」
「あの時、禁じられた『人と妖の恋』。
今となっては、何処でも行われていることだわ。そう・・・この私からして・・・」
話を半分も理解出来ず、ただ困ったように見上げる白。
しかし、それを気に止めることもなく、柳伽は静かに先を続けた。
◆
かつて、暮蒔の祖である妖の姫は戦の半ばに、敵である人の将に恋をした。
そして彼の人と二人で戦を止めようとした。
けれどその『人』は殺された。『姫』の半身である『皇子』に。
けれど因果なことに姫はもう。その『将』の子を、身篭っていた
「姫はその子を、人の世界で育てることを、希望したわ。
出来ることなら将の生まれ育った里で、人の子として・・・育てたいと・・・」
ただ、皇子はそれを、許さなかった。
いずれ妖界を統治する者として、そこから離れる事が出来なかった皇子は、
姫と離れたくなかったから。
『半身』・・・つまり、双子の片割れのような存在として以上の感情を、
彼は姫に持っていた。
「半身・・・兄妹のようなものなのにですル?」
「白は、生まれてすぐに人界に来たから、わからないのかもだけど、
妖界では親族婚は、特別なことでも禁忌でも、無いのよ」
「ほみゅ・・・う??」
国が違えば習慣だって違う。
ましてや、存在している世界さえも違う、人界と妖界なら当然のことだ。
「妖にはそれぞれ『属性』があってね。
それが強くなればなるほど、力を得ることが出来るの。
血縁が近ければ近いほど、同属性であることが多いから、同族婚はむしろ、
力を強めることだったのね。
人間たちのように、血が濃くなって体質が弱くなることなどは、ほぼ無いし。
それもあって皇子は姫を離したくなかった」
けれど姫の想う者は人族の将で。皇子は姫にとって愛する者の仇だった。
強く拒絶されては皇子も、それ以上は追い掛けることが出来なかった。
姫の恋心も、所詮は短い間・・・数十年程度・・・、のものだろうと、
そう考えてその場では手を引いた。
姫が与する、人界を攻撃することは出来ないと、戦も休止し。
「姫は、将の生まれ故郷の里に入り込んで、一人で子を産み育てたわ。
一説では将の母だった人だけは、そのことを知っていて力になってくれたと、
いうことだけれど。
彼女が妖界の姫だなんて知れたら、産んだ子共々殺されてしまいかねなかった、
あるいは姫がその拍子に力を暴走させてしまえば、
里を・・・、簡単に吹き飛ばしてしまいかねなかった、から・・・」
◆
姫の子は逞しく育ち。知勇共に他者を圧倒する若者となって。
亡き父がそうしたように兵となるべく街に出た。
しかし、子が成人しても月日が経っても、変わらず美しくある姫に、
人々が困惑の目を向け掛けた時・・・。
「子も巣立ったのだからいいだろう、もう戻って来い・・・と・・・、
皇子が再び姫の前に現れた。
けれど姫の中の皇子への恨みは、まだ消えてはいなかったのよ。
拒絶する姫への見せしめに、皇子は里の民を順番に殺し、喰らい。
怒りを暴走させた姫は、皇子を封じるために、妖の力を解き放ち・・・」
周囲一体を、大きな空洞に、してしまった。
皇子も封じることは出来たが、里を壊されて住み家を追われた人たちの、
怒りは強かった。
姫は捕縛され、時の権力者の元に、送還されてしまった。
有力者である皇子を封じたのだから、妖界からの宣戦布告もあるだろう。
其方が人の敵ではないというなら、その力を使って彼らを撃退するが良い。
さすれば朝廷が其方らの立場を人界では保証してやろう。
断れば其方らは化物として扱われ、この人界の何処にも行く場所は、
なくなるだろう。
息子一家の処遇までも問われ、姫はこの申し出を受ける事にした。
妖界に戻っても、裏切り者扱いだろうし、何より人として育った息子が、
妖として生きることは、出来ないと思った。
与えられたのは一応の貴族位と、居住を許された土地・・・とはいっても、
自分が地形までも変えてしまった、元は里だった空洞の近辺・・・。
つまり封印の番人もしろということだった。
「それが・・・」
「えぇ今の暮蒔よ。彼らは人界に妖が紛れ込んだ時、その力を奮って、
彼らを撃退し、人を守るという役目を与えられた。
地位的には貴族扱いだけど、立場は奴隷のようなものね」
「同族・・・妖を倒さないと、生きて行く権利を奪われる・・・?」
「ええ。でも姫はともかく、半妖とはいえ息子は、妖相手には非力。
ついでに言えば、息子の配偶者は、ただの人間だったし、
その子はほとんど、人と変わりが無かった」
◆
だから彼女は妖界の王、つまり父に連絡を取った。
皇子を封じたことについては謝ると。
しかし現状を考えて、自分たち一家の立場は、あまりにも弱い。
だからなるべく、妖が人界に紛れ込まないための、配慮を願うと共に。
そしてもし、そうなってしまった時のために、自分たちにも使える、
戦える力を与えて欲しい・・・と。
王からの返事は、妖とはいえ全てが王の命を、聞くわけではない。
だから、人界に紛れ込む事まで、禁じる事は出来ないと。
ただ、『力』を与えることは、出来る。
妖を契約により『式神』として、使役する権利くらいは与えることが出来る。
ただし『契約』なので、代償は勿論必要なのだが、・・・と。
「姫は受け入れたわ。
その時から暮蒔に『式結び』の風習が出来たの。
そしてその力を使役するにも、ある程度の妖の血は必要だから、時折、
姫の血を継ぐ者を妖界に、送ってくるがいい・・・とね。
その時々で、妖界の力の強い者と契らせて、その血を受けた子を、
暮蒔に還元しようと、いうことだったのだけれど」
「それが・・・、今につづく、輿入れの儀・・・」
「でも、輿入れした者が帰って来たことは、今まで一度も無いわ。
何故かは・・・白も妖なら、わかるわよね・・・?」
「・・・・・・」
狩られる危険を冒しても、妖界から妖がやって来る理由。
人の血肉・・・『命』・・・は、妖に強い力を与える・・・。
輿入れした者は、子を成すという使命を遂げた後、配偶者となった妖、
・・・いや、ひょっとするとそれ以外の者にも、食われてしまう。
「姫が、その契約の残酷さに気付いた時には、もう遅かったのよ・・・」
◆
狐の説明を、つまらなそうな顔で、希鈴が遮る。
「・・・我らが里の創始記ですね。そのくらいは知っています。
だから私たちは、罪人なのでしょう? 生まれながらにして・・・。
今更それをおさらいして、何の意味があるというのです」
「ち、違うのですル! ここで終わりではないのですル、
最後までお話を聞いて欲しいのですルー!!」
必死に続きを語ろうとする狐に、呆れたように肩をすくめると、
暮蒔一族の若き頭領は呟いた。
「分かりました。話して下さい。
ただし手短に。・・・貴方のお話が本当なら、曾祖母上が・・・。
危険なのでしょう?」
外見年齢は20歳ほど、実年齢は20代後半。
夫との間に男女の双子あり。
性格はおっとり。
行動は良く言えば優雅、悪く言えばどんくさい。
少し急ぐとすぐ転ぶ。
ネバーランド・ナハリ国の軍務省にも補佐官として所属している。
ユエルティートという名の少女を、小鳥と思い込んでペットとして飼っていたことがあり、
人の姿を現した今でも、娘代わりとして可愛がっている。
義兄にはウィルフェア氏とティーラ氏。氏の家族や同居人諸氏とも懇意で、何かとお世話になっている。
お茶が大好きでお茶菓子も好き。
甘党で大食漢。カロリーコントロールを言い渡されるレベル。