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うつつ世とまどろみの境を泳ぐ、とある妖の手記・・・らしいもの
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照明からして薄暗いアッシュの自室の中、机のランプだけが眩しいまでに照っている。
そして頼んでいた品物は、そこにリストと共に、積み上げられていた。
普段から施錠をしている筈のここにどうやって入り込んだのかは、
侵入のエキスパートでもあるミハイルに問うても仕方のない話だ。

アッシュは黙ってリストを手に取り瓶を一つ一つ見定める。
納入の仕方こそ、まだ文句を言う余地はあったが、彼の用意する品物はいつも質がいい。
どのようなルートで手に入れているのかは知らないが。
支払い金額は約束していたものより多少色を付けており、
ミハイルは封筒を開いて額面を確認すると上機嫌に口笛を吹いた。


薬剤師との取引きが終わると、アッシュは速やかに窓の近くに移動し、
頑丈なそれを鎧戸ごときぃと開いた。
薄暗い空間に初めて、爽やかな白昼の光が射す。

「さらばだ」

視線で退出を促すと、「けけけ」といつもの笑いが聞こえて来る。
人の本能を逆撫でする程度には不躾で、しかしそれがかつては心地良かった、
世の全てを拒絶するような嘲笑。
しかし『それ』もふと、素朴で淋しがり屋な、子供の顔になる。
ころころ変わるその表情の、どこまでが演技で素なのかは、アッシュの知ったことでは無いが。

「生まれ変わっても、また友人になってくれる?」

ぽつりと心細げに漏らされた、その言葉への返答は、しかし短く簡潔であった。

「二度と会わんだろう」
「けけけけけ」

普段通りの受け答え、普段通りの二人。
根性の別れとは思えない。これが彼らの流儀。
淋しがる理由もないし必要なんてない。
そもそもアッシュは、転生だとか次の世だとか、そんなものは信じていない。

本当にレオンらしいや、と、ミハイルは頷くと。
ひらりと窓から身を翻し、ふわっと階下に姿を消す。
ここは比較的大きめな洋館の3階。
普通ならば到底着地出来る高さではないが、人並み葉ずれて身軽な彼にとっては、
造作もないことだ。

たん、たんっ・・・と、軽く壁を蹴る音が聴こえると、ざざんと木の葉の揺れる気配。
そして医師の自室は改めて普段の静寂を取り戻した。


カツカツと足音を立てて、家主が自室より降りて来る。
連れがもう見当たらないことについては、伽藺は庭全体に張り巡らせていた、
草木を介した情報網からわかっていたので、何も尋ねなかった。

「大量に薬を入手したぞ? 処方の準備にかかる」

それが何を意味するかは、示蓮にはすぐに理解出来たようだった。
まだ衣服の山から、離れ難そうにしているカテリーンを抱き、医師が指示する処置室へと向かった。
階上に上がる前に伽藺に向き直り、アッシュがぼそりとその耳に囁く。

「これで暫しは義母上の身も保つだろう。少なくともそれなりの医療機関を探す時間くらいはな。
さすれば貴様の両親への俺からの義理は済む。
・・・巫女だとかなんとか、そういう重責から開放されるだけで、寿命も長らうように思うがな。
あとは義父上が義理堅い人物であるということを願うばかりだ」

妻の頬にキスをしながら、懐に忍ばせた友の贈り物、強い毒性のある昏倒剤に、想いを馳せる。
そのキスを瞳を閉じて受けながら、

 
「ええ。人の・・・しかも常人よりも弱い身でありながら、信仰と崇拝の対象となる。
それはとても、辛いことなのかも、知れませんね」

すくすくと、長身に育った伽藺とは対照的なほど、小さなか細い体の母親を思う。
 
「『一個の人格』として扱って貰えない部分。
その点に関して言えば、崇拝は侮蔑に似ているのかも知れません、ね」

小さく零す妻。
その言葉にアッシュは、クク、と、楽しげに口の端を上げる。

「崇拝は侮蔑に似ている、とは。貴様にしては興味深いことをいうではないか」

アッシュやミハイルに比べて、伽藺が皮肉めいた揶揄を口にすることは、あまり多くない。
だからこそときたま紡がれるその言葉に、彼はいつも興味をそそられるのだ。

「確かに結局のところ、平凡が最も幸福なのだ。
或いは平凡であれ安易というものはなく、幸福を掴むには等しく苦労があるのか。
・・・俺には分からんが」

アッシュは今この瞬間が幸福だとは思っているが、それを掴むために特に努力をした覚えはない。

確かにそれなりのアクションは起こして来たが、その時々で自分の欲求に忠実に動いてみたとか、
トラブルに相対してみたというくらいの覚えしか無い。
ただ妻が今でもそばにいて、こうして尽くしてくれているということは、
節目節目で本能のままに選んだ選択肢が、大きく間違ってはいなかったことを、
証明しているのだろう。

だから彼が何か今までの人生で努力をしたとすれば、
『努力はしない』主義をほんの少し曲げて、妻が喜ぶ『かもしれない』ことを試みてみた。
ただその一点に尽きたのかも知れない。

「貴方の診断次第でしょうが、両親は多分どこか医療の発達した土地を見付けて、
すばらくは普通の一般人として療養生活に入ることでしょう。
・・・すみません、貴方は関係がないのに、お手を煩わせてしまって」

困ったような顔をしながらも、どこかしら少し嬉しそうに伽藺が笑う。
やはり、手放しで素直になれない相手とはいえ、両親は幸せになって貰いたいらしい。
これについてもアッシュからすれば努力や献身のつもりはなく。
ただ単に、もし妻が医療の心得を持っていれば、こうするだろうかと思ってみたことと、
取引きの条件に価値があると見做したから乗ってみただけの話だった。

「俺は関係がないのか? 寂しいことを言う」

妻を片手で抱き竦め、今度はその唇にキスをする。

「かりん、俺は貴様の一部だ。
貴様は俺を、貴様の力量や能力の一部としてカウントしていい。
俺にできることは貴様にできることだ。
・・・それがパートナーというものだろう?」

建前や綺麗事ではなく。
今、素直にそう思っている。伽藺が望むことで自分に出来ることなら、
いくらでも自分を使ってもらいたい。

自分の元を離れたいという、心の死刑宣告に似た裏切り以外なら、
何であっても自分を頼ってくれて構わないのだ。
幼き頃から、理由もわからず積み重ねてきた心身の頑健さや知識や人脈は、
きっとその為のものだったのだと今では思えるから。

「だって私の家族のことなのに、本当は私がやらないといけないことばかりなのに、
貴方を巻き込んで貴方にばかり何かをさせて。・・・申し訳ないなって。
でもそうでしたね。私は貴方のもので、貴方は私のもの。
半身同士なのだから互いのために動くのは当然でしたよね」

肩を竦めて舌を出すと、夫にひときわ濃厚なキスを返した。
アッシュもようやっと納得した顔で、その大きな体を階段に向けて翻す。

「では、あまり待たせるのも何だから、診察に行ってくる。
そのまま処置に入ることもあるだろうから、少し時間が掛かるかとは思うが」
「はい、お願い致しますね、貴方」

深々と頭を下げて、伽藺が夫を送り出した。
そして背後から注がれる視線に気付く。
振り向くと小柄な少女が頬を薄く染めて、二人の様子を眺めていたようだ。

「あ、あはは、カルラ様。何も見ていて面白いものなど、ないでしょう?」
「あ・・・、う、うン・・・」

慌てて顔を背けるカルラ。
早くも恋に焦がれる年頃なのかも知れない。
いや、今の状態では夫婦共に男の姿であるため、普通の恋人とは少々違う雰囲気に、
圧倒されたのかも知れないが。


照りつける真夏の太陽。
その位置が高い時間はとうに過ぎ去り、今は一旦地に染みこんだ熱が上がって来て、
暑さとしては一番厳しい時間だ。
その熱を避けるように、木の枝に寝そべる、小さな人影。

「んん~~~っ!
・・・飯が不味けりゃ、ひっくり返してやったんだけどなぁ、強かな女だよ。
何の気すら起こさせやがんねぇ」

ごろん、と。見ている方がはらはらするような仕草で寝返りを打つと、
だらりと枝から上体を垂らして、二階の処置室の光景を目に映す。

「・・・私だけが彼を護ることができる、ってツラしてやがったぜ。
馬鹿馬鹿しくなってくらぁ」

ただの、一般的な、何の変哲もない。
何処にでもいる医師のような顔をして、窓の向こうの『レオン』は患者を診ている。
病院勤務の頃だってあんな彼は見たことが無い。

「けけけ、文句ないや、馬鹿なレオン。
か弱いキミによくお似合いだ」

どこまでも穏やかな顔が腹立たしかった。
それと同時に、あぁ似たもの同士なんだなぁ、と、気が付いた。
裏切られることが怖くて、心を閉ざしていたレオンと。
裏切り続けた自分を嫌って心を殺していた伽藺。

「割れ鍋に閉じ蓋、って言葉があったっけ。」
倭国・・・。あの女の故郷の言葉、だっけ。。。?」

幸せになれて良かったねぇ、と口をついて出たのは、本心なのか皮肉なのか。
多分ミハイル本人でさえ、どちらかは分かっていない。

「はてさて、レオの薬なくしてボクは何年生きれるのやら?
地獄の沙汰もナンとやら~~~♪」

独り言ちた人影はやがて薄れる。何処へともなく。・・・死の大陸を離れて。


医師が処置室を出るともう夕刻を過ぎており、厨房からはまた新たに美味そうな香りが、
流れて来ている頃になっていた。
これは香味野菜を煮詰めたブイヨンの香りだろうか。
夕食のメニューを訊ねようと、アッシュは綺麗に片付けられた食堂を経て、
厨房に向かうドアを開けた。

「かりん、治療は済んだぞ」

夫の報告を受けると、伽藺は煮立てていた鍋の火を小さくし、近付いてキスを贈った。

「お疲れ様です、結構時間が掛かったのでは、ないですか?」
「ふむ・・・。いや基本的には薬の処方と、拒絶反応の検査だったので、
たいした苦労にはならなかった。
ただ今後、俺がいなくなっても薬剤さえあれば点滴を続けることが出来るように、
人工血管を付けておいた。
軽い手術のようなものであったが、義父上が・・・貴様がよく使うあのまじない札を、
その場で用意したので傷は塞がっている筈だ」
「あぁ、治癒符ですね」

暮蒔一族に伝わる『符術』という魔法は魔力のある無しに関わらず、
書式と儀式さえ間違えなければ効果が得られるものだった。
なので絆創膏がわりに持ち歩くことが多い。
一応は魔術なので絆創膏より効きが良く、ちょっとした傷程度ならたちどころに、
塞いでしまう。

「何から何まで・・・、本当にありがとうございます」
「礼は言うなと言っているだろう。俺の力はお前の力なのだ。
それよりも今夜のメニューは何なのだ?」
「あ、はい。牛かたまり肉を根菜と香草で煮込んで、付け合せはチーズフリッターにしようと思っています。
あとはサラダとスープで構わないでしょうか」
「充分だ」

妻が供する料理に期待を寄せつつ、軽く尻を撫でては「今は駄目です」と、小さく叱られる。
そんな普段どおりの時間がたまらなく愛しい。

「・・・あの、・・・あのね、レオン」

食事の下拵えが一段落ついたのか、エプロンを外しながら、伽藺が近付いて来た。
妻がこの名前で呼び掛けて来るのは、特別に何かを伝えたい時だ。

「何だ、かりん、改まって」

厨房に置かれた椅子に腰掛けながら、レシピブックに目を通していたアッシュが、顔を上げる。
隣の椅子に座り、伽藺が夫の膝に手を置いた。

「さきほどの、平凡が一番の幸せ、という話・・・。
貴方はどう思っているかわかりません。
幸せに生きて行ける筈の私を捕まえ、その平凡な幸福を奪ったとか、考えているかも知れませんが。

・・・恋をして、恋に悩み。
仕事に息詰まれば、周囲や恋人に支えられ、また翌日から元気に出勤し。
結婚を祝福され、元気な子供を儲けて、蜂蜜のような甘い日々を送り、事情でそれを手放すことになり。
どうにか、安心できそうな場所に子を預け、夫と共にその苦難に対峙する」

この何年かの暮らしを思い返しながらぽつぽつと言葉を紡ぐ。

「ごく普通のあたりまえの生き様だと思うんです。
私がずっと諦めていた『平凡』、それを貴方にいただいたと、私は思っていますよ?」

「ふむ・・・」

改めて言われてみると。

恋をして結婚し、家庭を作り、そして妻と死ぬ。
これ以上に『平凡』な幸せがあるだろうか。
かつて、自分には一番遠いと思っていた輝きが、いつの間にか手の中に納まっていた。

「そうか・・・、そうだな・・・。
これまで、必死に作り上げてきたのは、それだったのだ。
『平凡な家庭』
何時の間にだか、それを実現していたのか」

アッシュは冷たい家に育ち、愛やら情というものを、理解出来ずにいた。
尊敬は出来るが愛を抱くことは出来ない母。
尊敬は出来ないが哀れみは感じる父。
そして無視され放置され、ただ結果や成績を残した時のみ、跡取り息子として扱われた自分。

記憶のある限りでは、泣いたり叫んだりした、覚えがない。
そのかわり、言葉を発することが得意ではない、癇癪持ちの子供になっていた。
生まれて間もない頃、それこそリンネやアルクと同じ頃の自分は、
相応に笑い、遊び、泣いていたのだろうか。

アッシュにはわからない。
が、ひょっとすればそうだったのかも知れないと、今は思うことが出来る。

「そりゃあ平凡であれ特異であれ、生きるということは、苦労の連続なのでしょう。
ただその苦労を軽減し、自身を維持する努力を無駄ではないと信じ、明日への活力や原動力にするために、
人は恋をして・・・、そして家庭を作るのでしょうね・・・」

妻の笑顔が胸を暖かくする。
そうだ。
苦労をしてきたというつもりは無かったが、生きる目的も楽しみも見付からなかったというのは、
充分に不幸であったと自覚してもいいのかも知れない。
自分のせいで心身共に不幸になったり、生きられる筈の時間を失った被害者たちが聞けば、
心底恨むかも知れないが。
そんな生き疲れていた人生の中、初めて本気で『欲しい』と思ったもの・・・。
『失いたくない』と思った恋。

「いつのまにか俺は、どんな奴よりも平凡な男に、成り下がっていたということだな」

レシピブックを机に伏せて置くと、サラダのドレッシングを混ぜている伽藺に、向き直る。
妻はスプーンに、ドレッシングを取ると、夫の口に近付けて流し込んだ。
味見をしろと言っているらしい。
オリーブオイルの香味とビネガーの酸味が、喉につるつると滑り込んでゆく。

「平凡な幸せは・・・不本意でした?」

柔らかな深緑がさらりと揺れて愛しい妻の頬に掛かる。
アッシュはゆっくり首を振ると、そんな妻の頭を引き寄せ、自らの胸元に抱き締めた。

「あぁ不本意だ。
こんなに心地良いと知ってしまっては、いつ堕落してもおかしくないからな」

伽藺が笑った。アッシュも喉の奥で笑う。
鍋は弱火でコトコトと煮込まれている。

こんなことを、幸せだと思う日が来るなど、本当に・・・不本意極まりない。

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自己紹介
HN:
伽藺(カリン)・クイン
性別:
女性
職業:
アッシュ医師の妻/ナハリ軍務補佐官
趣味:
家事、お茶、お喋り
自己紹介:
医師アッシュ・クインの妻である柳の樹妖。
外見年齢は20歳ほど、実年齢は20代後半。
夫との間に男女の双子あり。

性格はおっとり。
行動は良く言えば優雅、悪く言えばどんくさい。
少し急ぐとすぐ転ぶ。
ネバーランド・ナハリ国の軍務省にも補佐官として所属している。

ユエルティートという名の少女を、小鳥と思い込んでペットとして飼っていたことがあり、
人の姿を現した今でも、娘代わりとして可愛がっている。
義兄にはウィルフェア氏とティーラ氏。氏の家族や同居人諸氏とも懇意で、何かとお世話になっている。

お茶が大好きでお茶菓子も好き。
甘党で大食漢。カロリーコントロールを言い渡されるレベル。
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