うつつ世とまどろみの境を泳ぐ、とある妖の手記・・・らしいもの
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『 乱筆乱文よろしくご判読願いあげます。
伽藺・クイン(旧姓:暮蒔) 拝 』
◆
したためた手紙を配達屋に渡すと、伽藺は大きく一つため息をついた。
普段、利用している配達屋(メッセンジャー)には、今回は配達は頼まなかった。
それはこの手紙の受け取り主が特殊な場所に住んでいるから。
・・・住んでいる、のだろうか? 今でも??
それはわからない。何せもう20年以上の間、音沙汰さえない相手なのだから。
この手紙も。届くか届かないのか、それは・・・わからない。
それでも今の伽藺には、この手に縋るしか無かった。
世界の終焉。
こんなタイミングでもなければ、きっと頼りはしなかったであろう、自分の・・・・・・。
伽藺・クイン(旧姓:暮蒔) 拝 』
◆
したためた手紙を配達屋に渡すと、伽藺は大きく一つため息をついた。
普段、利用している配達屋(メッセンジャー)には、今回は配達は頼まなかった。
それはこの手紙の受け取り主が特殊な場所に住んでいるから。
・・・住んでいる、のだろうか? 今でも??
それはわからない。何せもう20年以上の間、音沙汰さえない相手なのだから。
この手紙も。届くか届かないのか、それは・・・わからない。
それでも今の伽藺には、この手に縋るしか無かった。
世界の終焉。
こんなタイミングでもなければ、きっと頼りはしなかったであろう、自分の・・・・・・。
◆
「よう、その後どうだ、少しは落ち着いたのか?」
手をひょいと上げて訪ねて来たのは、最近ではもうすっかり馴染みになった顔、従兄の威紺だった。
「従兄上。・・・はい、ご心配をお掛けいたしましたが」
深々と頭を下げる伽藺を制し。
「いやいや、おれは何もしてねぇよ。まぁ・・・しかし、その様子だと今のところは、夫婦仲も良いようだな」
「あは、はい。・・・恥ずかしながら」
照れ笑いを浮かべる伽藺。しかし威紺は愛想程度も笑わなかった。
「・・・従兄・・・上?」
「いや。これでやっとお前にも、話すことが出来るかと思ってな」
笑顔はなかったがその声音には安堵が混ざっていた。
伽藺は不思議に思いながらも、不穏な空気を感じて言った。
「終末について、の、・・・こと・・・ですか?」
威紺の表情が少し曇った。しかし、静かに頭を振ると伽藺を真っ直ぐ見据え、伝えた。
「それもまぁ大切なことだが、とりあえずはもっと身近なことだ。
柳伽、という名前を知っているな」
「・・・・・・私たちの、曾祖母・・・様?」
「あぁ。その柳伽ばーさんがな」
ごく、と、唾を飲み込み。
威紺の両手が、伽藺の肩を掴む。
「死んだ」
「え・・・」
衝撃的な報告であった。
一瞬、言葉の意味が掴めなくて、伽藺は目をぱちくりと瞬かせた。
「は・・・? え、・・・いつ・・・」
「もう、随分になる。早く伝えるべきかとも思ったが、なかなかこっちも忙しくてな」
「・・・・・・え・・・??」
確かに、別れたのはもう2~3年ほども、前になる。
この屋敷に住むことが決まって、とりあえず身の回りの品を取りに帰ってからは、
時折文を出す程度にしか連絡を取らなかった。
・・・確かに、最近は文の返事が、滞っていた。
自身の多忙にかまけて、深く考えることも、しなかったのだが・・・。
「何故・・・」
「戦って、だ。自然死でもなければ老衰でもない。まぁ老衰というにはまだ、『妖』としては若い方だったらしいがな」
しかも容姿は幼くさえ見えるほどの娘の姿だった。
「戦って・・・」
従兄弟の言葉を反芻すると、伽藺はスッと顔を上げた。
「里のことで、ですか? それとも・・・私のこと・・・??」
「両方だよ」
ふぅ、とため息をつきながら、威紺は答える。
「正確には、お前を含んだ里の民全員、に関わることかな。勿論おれも含まれる」
「・・・・・・」
「哀しむことはない。念願は叶えたのだし、ずっと側に行きたかった旦那様の元に行くだけだ、と、
・・・そう・・・笑っていたよ」
「念願・・・ですか・・・」
「うん。里の民の開放。もう終了している、呪縛からのな」
◆
暮蒔の民は、罪の子たち。
彼らは人の王と妖の将、どちらもに奉仕することで、生き延びていく道を課せられていた。
けれど人は短命だ。
数千年もすれば、世代も変わり、政権も変わり。現在、暮蒔がなぜ魔と戦うのかを、正確に把握している政府関係者は、いないだろう。
妖は往々にして長命である。しかし気性が荒く戦を良くする。
争奪と略奪の度重なった世界で、過去の『契約』がどの程度、正しく伝えられているだろう?
つまり、暮蒔が犯した罪自体は消えていないのかも知れないが、それを罰する資格が正式にある者は、
もう世界のどこにも存在していないのだった。
けれど便利なものならば、それの発祥がどうであろうが、手放したくないものだ。
人類の栄華は近く崩れ去るだろう。
そう暮蒔は予測していたし、実際その通りにもなった。
ならばあとは、話を付けるべきは、妖の方だ。
◆
「そして、妖と・・・」
「まぁな」
出された茶をぐいっと煽ると、頬を一つ掻いて威紺は頷いた。
「此れで、全ての場所との因縁も・・・縁も精算出来たって訳だ。
暮蒔は・・・一族ごと別の世界に移住することだろう。
故郷のない流浪の民となるとは思うが、まぁ長い歴史の中で戦闘技術だけは磨いて来たおれらだ。
どこにいっても適当に生きては行けるだろう」
「・・・・・・はい・・・」
そう、何処に行ってもきっと、支配され虐げられて来た今までの暮らしに比べたら、ましなのだろう。
そして・・・。
「移住するとしたら、いつごろ・・・?」
おずおずと伽藺は聞いた。
「さぁな。一族単位だしおれらは長い間定住してきたからな、そうフットワークは軽くないだろう」
「そう・・・ですか・・・」
「・・・お前は、どうするんだ?」
来た、と、思った。肩がびくりと震える。
「・・・・・・。まだ決まっておりません。
私ではなく旦那様が・・・、決めることですから・・・」
従兄が声を荒げるかと思ったが、思いのほか穏やかに受け取られたようだ。
「そうか」
まぁそうだな。嫁に行くということは、そういうことだな、と。
小声で一人ごちると、しかし、と姿勢を正し、向き直って来た。
「しかし・・・そうだな。だったらお前に渡しておかないと、いけないものがあるな」
「え?」
何だろうと思った。柳伽の形見? それとも遺言状??
「おれの一存、で渡していいのかどうかはわからんから、今度・・・頭領を連れてくる」
「頭領? ・・・ぁ・・・」
それは、多分。懐かしい顔だ。
幼い頃は無邪気に、自分のあとをついて来ていた、小さな弟。
「・・・少し・・・怖いですね。いろいろ怒られちゃうかな?」
肩をすくめる伽藺に、威紺はいや、と、首を振った。
「二年ほど前なら分からなかったがな。今はあいつも色々と考えたようだし、ばーさんからもいろいろ聞いた。
それに今はどちらかというと、一族の行く先を考えることに忙しくて、それどころでもないだろう」
「そう・・・。立派になったんですね・・・」
「どうだろうな。根っこはまだ、泣き虫のガキのままだろうよ、いい歳して」
あぁ、頭領には内緒な、絞られちまう、と。悪戯っぽく片目を瞑り、威紺。
◆
「じゃあ、また来る。今度は・・・そうだな、頭領と・・・。お前にとって懐かしい顔を、いくつか連れて来るかも知れん」
「懐かしい・・・、ですか・・・」
首を傾げると、『あまり固く考えるな』と一つ笑い、従兄が荷物をがちゃりと手に取った。
「あ・・・そうだ! ・・・従兄上・・・あの!!」
「ん?」
反射的に声を掛けてみたものの、どう切り出していいかわからなくて、伽藺はもごもごと言葉を選んだ。
「あの、その・・・。ひょっとしてそのうち、お願いすることがあるかも、知れないのです」
「・・・何を?」
「・・・・・・ごめんなさい、それは今の段階では、まだ、・・・言えません」
夫が答えを出すまでは。何も決定することは出来ない。
でも、網張っておかなくちゃ。
「。 ・・・わかった、今はおれらもいろいろと忙しい時期だが、聞けるようなことならな」
「ありがとうございます」
そう・・・もしも、今日出した手紙の返事が来なければ、頼むことになると思う。
今日、出した手紙、の。
従兄を見送りながら、伽藺は子供たちの遊ぶ部屋に向かい、不思議そうに見上げる双子を抱き締めた。
「よう、その後どうだ、少しは落ち着いたのか?」
手をひょいと上げて訪ねて来たのは、最近ではもうすっかり馴染みになった顔、従兄の威紺だった。
「従兄上。・・・はい、ご心配をお掛けいたしましたが」
深々と頭を下げる伽藺を制し。
「いやいや、おれは何もしてねぇよ。まぁ・・・しかし、その様子だと今のところは、夫婦仲も良いようだな」
「あは、はい。・・・恥ずかしながら」
照れ笑いを浮かべる伽藺。しかし威紺は愛想程度も笑わなかった。
「・・・従兄・・・上?」
「いや。これでやっとお前にも、話すことが出来るかと思ってな」
笑顔はなかったがその声音には安堵が混ざっていた。
伽藺は不思議に思いながらも、不穏な空気を感じて言った。
「終末について、の、・・・こと・・・ですか?」
威紺の表情が少し曇った。しかし、静かに頭を振ると伽藺を真っ直ぐ見据え、伝えた。
「それもまぁ大切なことだが、とりあえずはもっと身近なことだ。
柳伽、という名前を知っているな」
「・・・・・・私たちの、曾祖母・・・様?」
「あぁ。その柳伽ばーさんがな」
ごく、と、唾を飲み込み。
威紺の両手が、伽藺の肩を掴む。
「死んだ」
「え・・・」
衝撃的な報告であった。
一瞬、言葉の意味が掴めなくて、伽藺は目をぱちくりと瞬かせた。
「は・・・? え、・・・いつ・・・」
「もう、随分になる。早く伝えるべきかとも思ったが、なかなかこっちも忙しくてな」
「・・・・・・え・・・??」
確かに、別れたのはもう2~3年ほども、前になる。
この屋敷に住むことが決まって、とりあえず身の回りの品を取りに帰ってからは、
時折文を出す程度にしか連絡を取らなかった。
・・・確かに、最近は文の返事が、滞っていた。
自身の多忙にかまけて、深く考えることも、しなかったのだが・・・。
「何故・・・」
「戦って、だ。自然死でもなければ老衰でもない。まぁ老衰というにはまだ、『妖』としては若い方だったらしいがな」
しかも容姿は幼くさえ見えるほどの娘の姿だった。
「戦って・・・」
従兄弟の言葉を反芻すると、伽藺はスッと顔を上げた。
「里のことで、ですか? それとも・・・私のこと・・・??」
「両方だよ」
ふぅ、とため息をつきながら、威紺は答える。
「正確には、お前を含んだ里の民全員、に関わることかな。勿論おれも含まれる」
「・・・・・・」
「哀しむことはない。念願は叶えたのだし、ずっと側に行きたかった旦那様の元に行くだけだ、と、
・・・そう・・・笑っていたよ」
「念願・・・ですか・・・」
「うん。里の民の開放。もう終了している、呪縛からのな」
◆
暮蒔の民は、罪の子たち。
彼らは人の王と妖の将、どちらもに奉仕することで、生き延びていく道を課せられていた。
けれど人は短命だ。
数千年もすれば、世代も変わり、政権も変わり。現在、暮蒔がなぜ魔と戦うのかを、正確に把握している政府関係者は、いないだろう。
妖は往々にして長命である。しかし気性が荒く戦を良くする。
争奪と略奪の度重なった世界で、過去の『契約』がどの程度、正しく伝えられているだろう?
つまり、暮蒔が犯した罪自体は消えていないのかも知れないが、それを罰する資格が正式にある者は、
もう世界のどこにも存在していないのだった。
けれど便利なものならば、それの発祥がどうであろうが、手放したくないものだ。
人類の栄華は近く崩れ去るだろう。
そう暮蒔は予測していたし、実際その通りにもなった。
ならばあとは、話を付けるべきは、妖の方だ。
◆
「そして、妖と・・・」
「まぁな」
出された茶をぐいっと煽ると、頬を一つ掻いて威紺は頷いた。
「此れで、全ての場所との因縁も・・・縁も精算出来たって訳だ。
暮蒔は・・・一族ごと別の世界に移住することだろう。
故郷のない流浪の民となるとは思うが、まぁ長い歴史の中で戦闘技術だけは磨いて来たおれらだ。
どこにいっても適当に生きては行けるだろう」
「・・・・・・はい・・・」
そう、何処に行ってもきっと、支配され虐げられて来た今までの暮らしに比べたら、ましなのだろう。
そして・・・。
「移住するとしたら、いつごろ・・・?」
おずおずと伽藺は聞いた。
「さぁな。一族単位だしおれらは長い間定住してきたからな、そうフットワークは軽くないだろう」
「そう・・・ですか・・・」
「・・・お前は、どうするんだ?」
来た、と、思った。肩がびくりと震える。
「・・・・・・。まだ決まっておりません。
私ではなく旦那様が・・・、決めることですから・・・」
従兄が声を荒げるかと思ったが、思いのほか穏やかに受け取られたようだ。
「そうか」
まぁそうだな。嫁に行くということは、そういうことだな、と。
小声で一人ごちると、しかし、と姿勢を正し、向き直って来た。
「しかし・・・そうだな。だったらお前に渡しておかないと、いけないものがあるな」
「え?」
何だろうと思った。柳伽の形見? それとも遺言状??
「おれの一存、で渡していいのかどうかはわからんから、今度・・・頭領を連れてくる」
「頭領? ・・・ぁ・・・」
それは、多分。懐かしい顔だ。
幼い頃は無邪気に、自分のあとをついて来ていた、小さな弟。
「・・・少し・・・怖いですね。いろいろ怒られちゃうかな?」
肩をすくめる伽藺に、威紺はいや、と、首を振った。
「二年ほど前なら分からなかったがな。今はあいつも色々と考えたようだし、ばーさんからもいろいろ聞いた。
それに今はどちらかというと、一族の行く先を考えることに忙しくて、それどころでもないだろう」
「そう・・・。立派になったんですね・・・」
「どうだろうな。根っこはまだ、泣き虫のガキのままだろうよ、いい歳して」
あぁ、頭領には内緒な、絞られちまう、と。悪戯っぽく片目を瞑り、威紺。
◆
「じゃあ、また来る。今度は・・・そうだな、頭領と・・・。お前にとって懐かしい顔を、いくつか連れて来るかも知れん」
「懐かしい・・・、ですか・・・」
首を傾げると、『あまり固く考えるな』と一つ笑い、従兄が荷物をがちゃりと手に取った。
「あ・・・そうだ! ・・・従兄上・・・あの!!」
「ん?」
反射的に声を掛けてみたものの、どう切り出していいかわからなくて、伽藺はもごもごと言葉を選んだ。
「あの、その・・・。ひょっとしてそのうち、お願いすることがあるかも、知れないのです」
「・・・何を?」
「・・・・・・ごめんなさい、それは今の段階では、まだ、・・・言えません」
夫が答えを出すまでは。何も決定することは出来ない。
でも、網張っておかなくちゃ。
「。 ・・・わかった、今はおれらもいろいろと忙しい時期だが、聞けるようなことならな」
「ありがとうございます」
そう・・・もしも、今日出した手紙の返事が来なければ、頼むことになると思う。
今日、出した手紙、の。
従兄を見送りながら、伽藺は子供たちの遊ぶ部屋に向かい、不思議そうに見上げる双子を抱き締めた。
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無題
緑の髪を持つムロマチ人は、裏門を出て一本横にある小道を歩く。
表に比べれば静かな通りだったが、それでも商店街に繋がる道に人通りは少なくない。
海岸が近いから、遠くの喧騒と共に潮のにおいが流れてくる。
内地で育った人間の、初めて見る海への期待と憧れは海育ちの人間には想像も付かないだろう。
無謀な出奔をしたばかりの少年時代。
ぎりぎりの生活の中、それでも高鳴った胸をもう思い出せない。
いつの間にか慣れてしまっていた。
整備された道路よりも誰も通らない道を選んだのには理由があった。
「よう、ティー、盗み聞きたぁいい趣味してるじゃねぇか」
「密談なら夜にするんだな。
浮気だって堂々と昼間の庭園じゃしねぇだろ?」
こちらへ背を向けるようにして、木にもたれかかっていた赤毛の有翼人種。
軽妙な口ぶりに殊勝な態度は見られない。
ムロマチ人の男・・・威紺の方の声にも、言葉ほどの威勢は見られなかった。
元より目の前の有翼人種の男・・・ティーラも知っている内容だったし、伝えるつもりの話だったからだ。
「違いねぇ。
で、旦那が忘れた弁当でも届けてくれたのかい?俺の嫁さんは」
互いの間に緊張が走ったが、それも数秒と続かない。
冗談と共に緩く笑えば、その空気も霧散した。
「生憎、愛情弁当なんてモンには、さらさら縁が無かったが。
まぁ、お前さんに用があるってェのは事実だ」
木陰が揺らめく六月の下旬。
終末は徐々に、その足を速めている。
こんな所じゃ何だから、とティーラに連れ出された先は砂浜だった。
夜に時間が空いていると誘ったが、そう時間も取らせないと断ち切られる。
威紺は素直に珍しい、と思った。
確かに互い年々、忙しくなっていく身の上だ。
だからこそ会える時間があればゆっくりと取りたいと思っていたし、ティーラにもそういう意思が見えていたから、会う時は夜というのが定番になっていた。
潮風が目の前の長い赤毛をさらう。
長袖のシャツにカーディガン、結ばれない髪は、何時もよりティーラを若く見せている。
威紺もそう固い格好ではないが、私服と呼ぶには着込んでいる。
「桂は」
背を向け、海を見つめたままティーラは話し出す。
「あの街は元々、アース神の干渉の無い大陸にある・・・今回のことは問題無いだろう。
赤音の学園にも問い合わせてみた。
同じようにアース神の干渉外の大陸の、姉妹学院に合併されるそうだ」
「・・・そうか」
学院へ電報は打っていたが、あちらも対応に追われていれば、威紺自身も里の行く末に奔走する日々だった。
互いの実子の行く末に気を揉んでいたから、素早い対応へ感謝を述べた。
思えばティーラの故郷もアース神の影響下に無い大陸にあると聞く。
今回の騒動・・・大陸の終焉は、ティーラにとって重要ではあっても重大なことでは無かったのかもしれない。
「良い機会だ、あいつには嫌がられるだろうが、赤音は俺が正式に引き取るよ。
桂については・・・急ぐ必要は無いから、今回のことが終わってから話し合えばいい」
どうあっても連絡を取れるよう手配はする。
そう締めた言葉からは深い憂鬱が覗かせていた。
「だからここから先は・・・俺個人がお前さんにする話だ、子供達は関係無い・・・・・」
決して振り向くことの無いまま、俯く。
羽耳も頭の羽も、力を失ったようにしな垂れている。
ティーラと同郷の幼馴染も、喜んだ時は無意識ながらぱたぱたと羽耳を動かしていた。
感情が出やすい自覚はある。
仕事中には一切、感情の油断を見せることは無かった。
「つっても、どう話したもんかね。
なんか・・・難しいな、ずっと子供達や伽藺や、仕事の話ばっかしてたもんな・・・ずっと」
・・・油断。
油断、しているのだろう。
今をもってして現役の傭兵で、鍛錬も欠かさないから均整の取れた身体。
それでもバードマンの宿命か、傭兵の割には細身で、頼りなくて。
「あまり今、言う話でも無いとは思ったんだが。
終末に向かうにつれての方が忙しくなるとも思った・・・し。
お前さんには迷惑をかけるな、すまない」
義理の弟でもある伽藺からは浮世離れしていると言われた事もあった。
ウィルフェアは年上の気質が強いせいか、永理が来る以前は生活に口を出されることも少なくなかった。
アッシュとは対等の立場ではあったと思うが、互い、心のバランスの悪い人間だった故の対等さだった。
外見も、精神も、どこか危ういものを内包しているのだろう。
恥じることばかりの人生の中、振り絞った勇気はすっかり使い果たして、あるがままに生きていくしか無いと思っていた。
緊張で肩が強張る。
ヒヨリ。
君を喪ってから、それでも君への気持ちは変わらなかった。
限りない母性への尊敬と、愚かなほどにまっすぐな姿勢への見下し。
君となら生きていけると思った。
農夫として地道で穏やかな生活をすることのできる、新しい自分になろうと決めた。
その瞬間、君としか生きていけないと思った。
「・・・俺な」
俺は今でも血に手を染めて、それでも慕ってくれる子供達がいて、友人にも恵まれて。
ヒヨリ・・・ヒヨリ。
君と描いた未来を手に取ることはできなかったけれど、ずっと、生きてきたよ。
その中で育んだ・・・たった一人への想い。
なぁ、ヒヨリ。
今、初めて海を見たときのような、胸の高鳴りを感じている。
「俺、お前さんが、好き・・・だよ。
恋を・・・している」
表に比べれば静かな通りだったが、それでも商店街に繋がる道に人通りは少なくない。
海岸が近いから、遠くの喧騒と共に潮のにおいが流れてくる。
内地で育った人間の、初めて見る海への期待と憧れは海育ちの人間には想像も付かないだろう。
無謀な出奔をしたばかりの少年時代。
ぎりぎりの生活の中、それでも高鳴った胸をもう思い出せない。
いつの間にか慣れてしまっていた。
整備された道路よりも誰も通らない道を選んだのには理由があった。
「よう、ティー、盗み聞きたぁいい趣味してるじゃねぇか」
「密談なら夜にするんだな。
浮気だって堂々と昼間の庭園じゃしねぇだろ?」
こちらへ背を向けるようにして、木にもたれかかっていた赤毛の有翼人種。
軽妙な口ぶりに殊勝な態度は見られない。
ムロマチ人の男・・・威紺の方の声にも、言葉ほどの威勢は見られなかった。
元より目の前の有翼人種の男・・・ティーラも知っている内容だったし、伝えるつもりの話だったからだ。
「違いねぇ。
で、旦那が忘れた弁当でも届けてくれたのかい?俺の嫁さんは」
互いの間に緊張が走ったが、それも数秒と続かない。
冗談と共に緩く笑えば、その空気も霧散した。
「生憎、愛情弁当なんてモンには、さらさら縁が無かったが。
まぁ、お前さんに用があるってェのは事実だ」
木陰が揺らめく六月の下旬。
終末は徐々に、その足を速めている。
こんな所じゃ何だから、とティーラに連れ出された先は砂浜だった。
夜に時間が空いていると誘ったが、そう時間も取らせないと断ち切られる。
威紺は素直に珍しい、と思った。
確かに互い年々、忙しくなっていく身の上だ。
だからこそ会える時間があればゆっくりと取りたいと思っていたし、ティーラにもそういう意思が見えていたから、会う時は夜というのが定番になっていた。
潮風が目の前の長い赤毛をさらう。
長袖のシャツにカーディガン、結ばれない髪は、何時もよりティーラを若く見せている。
威紺もそう固い格好ではないが、私服と呼ぶには着込んでいる。
「桂は」
背を向け、海を見つめたままティーラは話し出す。
「あの街は元々、アース神の干渉の無い大陸にある・・・今回のことは問題無いだろう。
赤音の学園にも問い合わせてみた。
同じようにアース神の干渉外の大陸の、姉妹学院に合併されるそうだ」
「・・・そうか」
学院へ電報は打っていたが、あちらも対応に追われていれば、威紺自身も里の行く末に奔走する日々だった。
互いの実子の行く末に気を揉んでいたから、素早い対応へ感謝を述べた。
思えばティーラの故郷もアース神の影響下に無い大陸にあると聞く。
今回の騒動・・・大陸の終焉は、ティーラにとって重要ではあっても重大なことでは無かったのかもしれない。
「良い機会だ、あいつには嫌がられるだろうが、赤音は俺が正式に引き取るよ。
桂については・・・急ぐ必要は無いから、今回のことが終わってから話し合えばいい」
どうあっても連絡を取れるよう手配はする。
そう締めた言葉からは深い憂鬱が覗かせていた。
「だからここから先は・・・俺個人がお前さんにする話だ、子供達は関係無い・・・・・」
決して振り向くことの無いまま、俯く。
羽耳も頭の羽も、力を失ったようにしな垂れている。
ティーラと同郷の幼馴染も、喜んだ時は無意識ながらぱたぱたと羽耳を動かしていた。
感情が出やすい自覚はある。
仕事中には一切、感情の油断を見せることは無かった。
「つっても、どう話したもんかね。
なんか・・・難しいな、ずっと子供達や伽藺や、仕事の話ばっかしてたもんな・・・ずっと」
・・・油断。
油断、しているのだろう。
今をもってして現役の傭兵で、鍛錬も欠かさないから均整の取れた身体。
それでもバードマンの宿命か、傭兵の割には細身で、頼りなくて。
「あまり今、言う話でも無いとは思ったんだが。
終末に向かうにつれての方が忙しくなるとも思った・・・し。
お前さんには迷惑をかけるな、すまない」
義理の弟でもある伽藺からは浮世離れしていると言われた事もあった。
ウィルフェアは年上の気質が強いせいか、永理が来る以前は生活に口を出されることも少なくなかった。
アッシュとは対等の立場ではあったと思うが、互い、心のバランスの悪い人間だった故の対等さだった。
外見も、精神も、どこか危ういものを内包しているのだろう。
恥じることばかりの人生の中、振り絞った勇気はすっかり使い果たして、あるがままに生きていくしか無いと思っていた。
緊張で肩が強張る。
ヒヨリ。
君を喪ってから、それでも君への気持ちは変わらなかった。
限りない母性への尊敬と、愚かなほどにまっすぐな姿勢への見下し。
君となら生きていけると思った。
農夫として地道で穏やかな生活をすることのできる、新しい自分になろうと決めた。
その瞬間、君としか生きていけないと思った。
「・・・俺な」
俺は今でも血に手を染めて、それでも慕ってくれる子供達がいて、友人にも恵まれて。
ヒヨリ・・・ヒヨリ。
君と描いた未来を手に取ることはできなかったけれど、ずっと、生きてきたよ。
その中で育んだ・・・たった一人への想い。
なぁ、ヒヨリ。
今、初めて海を見たときのような、胸の高鳴りを感じている。
「俺、お前さんが、好き・・・だよ。
恋を・・・している」
無題
「え? ・・・ぁ、・・・お・・・??」
唐突な告白は、目前の紅の鳥人から、発せられた言葉だった。
友達、いや、・・・親友だと、思っていた。
だから、一瞬。理解が追いつかなかった。
「・・・あ、・・・あは・・・」
笑いを押し出そうとしてみても、異様に喉が渇いてしまう。
冗談言うなよ、と、笑い飛ばせば。
振り向いて、いつものあの、少しひねたような笑みを、見せてくれるのだろうか。
いや。
・・・ひょっとすると。
笑顔どころか、もう声さえ聞くことが、出来なくなるのかも、知れない。
親友。
・・・恋?
冗談?
・・・・・・失・・・う・・・??
「え・・・、っとなぁ・・・」
こんな状態にあってさえまだ、するりと擦り抜ける術がないかどうかを、
頭脳フル稼働で探している自分は、卑怯者だと思う。
けれど、今の威紺には考えることが、多過ぎて、多過ぎて。
次の恋・・・とか。
親友を失うかもしれない、・・・とか。
そんな現実と向き合うだけの、余裕が・・・なかった・・・。
ティー。
ティル・ラー・ポット。
青年の域に脚を掛け始めた頃に出会い、同じ傭兵稼業ということで話すようになり。
その間、様々なことがあった。
互いの若さゆえの過ちも恥も見てきた。
今では、心を偽らず飾らず接することの出来る、唯一の相手だと言ってもいい。
そう、かけがえのない、存在なんだ。
恋・・・?
・・・恋、という気持ちは、・・・よく、わからない。
何せ自分は、20年以上に渡って恋だと思っていた感情に、ようやく終止符を打ったばかりなのだ。
今はもう未練のような気持ちはない。
けれど同時に、恋という感情が何なのか、よく分からなくなった。
自分が姉に抱いていた気持ちが、変わったつもりはないのだ。
しかし今は彼女の新婚生活を応援したい気持ちでいっぱいだし、
身籠ったと聞いてもショックより、嬉しい気持ちと・・・新たな生命に対しての、
愛しさがこみ上げて来た。
この感情は何だろう?
少なくとも、世にいう『恋』では、ないような気がする。
では?
自分にとって『恋』とは、一体どういうものなのだろう・・・。
「・・・ティー」
乾いた喉から、やっとの思いで、声を絞り出す。
「んと、な。・・・ええとな、そのな、・・・本気なら、うん、・・・ありがとな。
えっと・・・その・・・、・・・ごめん、おれ、今、・・・どう答えていいのか、わからねェ」
がっかりさせただろうか?
・・・去られて、しまう、だろうか・・・??
けれど本当の話だ。今の自分には、一族の移住のことや、姉の子のことなど。
考えるべきことが多過ぎる。
とてもじゃないが、自分自身の心と向き合う余裕など、ありはしない。
けれど・・・親友に・・・。
去られるのは・・・、まだ・・・困る・・・。
・・・恋。
この親友と、自分は・・・『恋』が、出来るのか?
その前に、『恋』って、・・・何なんだ??
「あの・・・な?
ちょっと、考える時間をくれ、る、・・・か?
その、お前に対して不満がある、とかじゃないんだが、その、
おれの準備が・・・、ってか準備って何だ・・・。
あの、ええと、・・・うぅ」
今まで。
困ったときは彼に相談して来た。
泣きたいときは共に酒を飲み、不安や悲しみを笑い飛ばして来た。
そして潰れて寝てしまった後には、そっと髪を撫でてくれていたことも、
実は・・・知っている。
たった三ヶ月のことではあるが、年長者の矜持があるのだろうか。
自分は随分守られて来たし、甘やかされても来た。
今。
まさにその『泣きたい瞬間』なんだが。
けれど、相手もきっと、そうなんだろう。
・・・さすがにこのタイミングで、撫でてくれはしないだろうな。
「世間がこんな状態だ、気持ちにケリを付けたくも、なるだろう。
けど・・・おれにとっては唐突で、でも・・・その・・・、
・・・ティーに・・・去られるのも、嫌で。
都合がいいのは、わかってる・・・」
伽藺や希鈴の世話を焼いて、兄貴風を吹かせて来た。
慕われることで、自身が強い存在なのだと、安心感を得て来た。
でも自分の本質は所詮、辛抱強い姉に全てを任せて、好き勝手に生きて来た、
自身と向き合ったことさえない、甘ったれの末っ子でしか無い。
「返事は、必ずする。
どういう結果になろうが、ちゃんとおれの心と向き合って、する。
だから・・・。
共に来て・・・くれないか? おれらが移住する予定の場所に・・・」
唐突な告白は、目前の紅の鳥人から、発せられた言葉だった。
友達、いや、・・・親友だと、思っていた。
だから、一瞬。理解が追いつかなかった。
「・・・あ、・・・あは・・・」
笑いを押し出そうとしてみても、異様に喉が渇いてしまう。
冗談言うなよ、と、笑い飛ばせば。
振り向いて、いつものあの、少しひねたような笑みを、見せてくれるのだろうか。
いや。
・・・ひょっとすると。
笑顔どころか、もう声さえ聞くことが、出来なくなるのかも、知れない。
親友。
・・・恋?
冗談?
・・・・・・失・・・う・・・??
「え・・・、っとなぁ・・・」
こんな状態にあってさえまだ、するりと擦り抜ける術がないかどうかを、
頭脳フル稼働で探している自分は、卑怯者だと思う。
けれど、今の威紺には考えることが、多過ぎて、多過ぎて。
次の恋・・・とか。
親友を失うかもしれない、・・・とか。
そんな現実と向き合うだけの、余裕が・・・なかった・・・。
ティー。
ティル・ラー・ポット。
青年の域に脚を掛け始めた頃に出会い、同じ傭兵稼業ということで話すようになり。
その間、様々なことがあった。
互いの若さゆえの過ちも恥も見てきた。
今では、心を偽らず飾らず接することの出来る、唯一の相手だと言ってもいい。
そう、かけがえのない、存在なんだ。
恋・・・?
・・・恋、という気持ちは、・・・よく、わからない。
何せ自分は、20年以上に渡って恋だと思っていた感情に、ようやく終止符を打ったばかりなのだ。
今はもう未練のような気持ちはない。
けれど同時に、恋という感情が何なのか、よく分からなくなった。
自分が姉に抱いていた気持ちが、変わったつもりはないのだ。
しかし今は彼女の新婚生活を応援したい気持ちでいっぱいだし、
身籠ったと聞いてもショックより、嬉しい気持ちと・・・新たな生命に対しての、
愛しさがこみ上げて来た。
この感情は何だろう?
少なくとも、世にいう『恋』では、ないような気がする。
では?
自分にとって『恋』とは、一体どういうものなのだろう・・・。
「・・・ティー」
乾いた喉から、やっとの思いで、声を絞り出す。
「んと、な。・・・ええとな、そのな、・・・本気なら、うん、・・・ありがとな。
えっと・・・その・・・、・・・ごめん、おれ、今、・・・どう答えていいのか、わからねェ」
がっかりさせただろうか?
・・・去られて、しまう、だろうか・・・??
けれど本当の話だ。今の自分には、一族の移住のことや、姉の子のことなど。
考えるべきことが多過ぎる。
とてもじゃないが、自分自身の心と向き合う余裕など、ありはしない。
けれど・・・親友に・・・。
去られるのは・・・、まだ・・・困る・・・。
・・・恋。
この親友と、自分は・・・『恋』が、出来るのか?
その前に、『恋』って、・・・何なんだ??
「あの・・・な?
ちょっと、考える時間をくれ、る、・・・か?
その、お前に対して不満がある、とかじゃないんだが、その、
おれの準備が・・・、ってか準備って何だ・・・。
あの、ええと、・・・うぅ」
今まで。
困ったときは彼に相談して来た。
泣きたいときは共に酒を飲み、不安や悲しみを笑い飛ばして来た。
そして潰れて寝てしまった後には、そっと髪を撫でてくれていたことも、
実は・・・知っている。
たった三ヶ月のことではあるが、年長者の矜持があるのだろうか。
自分は随分守られて来たし、甘やかされても来た。
今。
まさにその『泣きたい瞬間』なんだが。
けれど、相手もきっと、そうなんだろう。
・・・さすがにこのタイミングで、撫でてくれはしないだろうな。
「世間がこんな状態だ、気持ちにケリを付けたくも、なるだろう。
けど・・・おれにとっては唐突で、でも・・・その・・・、
・・・ティーに・・・去られるのも、嫌で。
都合がいいのは、わかってる・・・」
伽藺や希鈴の世話を焼いて、兄貴風を吹かせて来た。
慕われることで、自身が強い存在なのだと、安心感を得て来た。
でも自分の本質は所詮、辛抱強い姉に全てを任せて、好き勝手に生きて来た、
自身と向き合ったことさえない、甘ったれの末っ子でしか無い。
「返事は、必ずする。
どういう結果になろうが、ちゃんとおれの心と向き合って、する。
だから・・・。
共に来て・・・くれないか? おれらが移住する予定の場所に・・・」
無題
こころうちを押し殺すような笑い声の断片が聞こえてきた。
そりゃあそうだろう、と目を瞑る。
この十年間、あまりに微妙な距離を、危うい立ち位置で過ごしてきた。
互いに深く・・・深く、気にかけながらも決定的な言葉を選ぶことは無かった。
心も体も知り尽くしながら、その想いに対しては互いに目をそらし続けてきた。
世間的には決して褒められた関係では、無かった。
「え・・・、っとなぁ・・・」
おどおどと話し始めた威紺の方へ身体を向ける。
真っ直ぐ見つめようとしたが、すぐに目を逸らされた。
泳ぐ視線、もういい歳の筈なのに泣きそうな子供の顔。
それだけで答えは出ているようなものだった。
「・・・、・・」
飲み込んだ吐息は、潮騒にまぎれて聞こえなかっただろう。
一瞬だけ寄せた眉根も、見えていないだろう。
小さく首を横に振ってから笑みを浮かべる。
こうなることも想定し覚悟できていたからこその、まことに穏やかな笑顔で。
多分、いつもより血色が良い。
今も心臓が早鐘のように高鳴っている。
長い逡巡の後の告白は、むしろ告解と呼ぶに等しいものだった。
予想できていた、全て、この男の心の幼さも。
幼いがゆえの無鉄砲さに、どんな時も笑わされた。
生き残るために得た慧眼ゆえの、時には慎重な姿勢を信頼した。
常日頃は何も考えていないくせに、どうでもいい事ばかりうじうじと悩む繊細さには、呆れながらも突き放せなかった。
良くも悪くも豪快で馬鹿で繊細な姿に惹かれたのだと思っていた。
・・・傭兵を引退して家業を継いでから、威紺はあまり笑わなくなった。
気難しそうに虚空を睨み、笑い声には力が無くなった。
その頃から、逆に自分の生活は安定してきた。
仕事が仕事だけに飛び回ることも多かったが、終わらない大陸に拠点を置いてから心休まる場所が増えた。
旧交をあたためる傍ら、新しい顔ぶれとも出会い、仕事とはいえ娘のような存在を受け入れるようになった。
一方で、威紺の心が枯れていくのが手に取るようにわかった。
そんな中、起きたあの『事件』。
いつの間にか忘れ去られながら、それでも続けられた暮蒔一族の贖罪と、その顛末。
自分の不注意が大きな原因とはいえ、半ば意図的にかどわかされ巻き込まれた。
暮蒔一族の顔である希鈴と威紺の足取りが『表舞台』だとすれば、こちらは文字通りの『裏舞台』。
恥辱と後悔の渦の中、最小限の・・・決して取り返しのつかない・・・被害だけで終えた事に、どこか安堵を感じた。
その暫く後。
伽藺の居所を・・・暮蒔一族の顔である希鈴と威紺に伝えてから、特に威紺は頻繁に伽藺の元へと通うようになった。
年下に対して自分以上に過剰な庇護欲を持つこの男が、知らぬ間に結婚した妹的存在へ複雑な心境を抱くのも、わかりすぎた事だった。
何かやらかさないか心配な面もあったが・・・今に至るまで問題を起こしてはいないと聞く。
自然と顔を合わせる機会も増えた。
数年間、殆ど音信不通状態の時期もあった事を思えば、望外の幸福に等しかった。
同時に深い罪悪感に駆られる。
こいつは俺がどん底にいた時に支えてくれた。
守らなければならない妻の忘れ形見を、俺の代わりに確かに守りぬいてくれた。
俺は今この時、死んでいく男に対して何が出来ているのか。
小さな無力感から顔を背けて、それでも預けてくれるものを抱きとめ続けた。
そして、今。
「返事は、必ずする。
どういう結果になろうが、ちゃんとおれの心と向き合って、する」
「うん」
大陸が神の手の内から解き放たれると聞いて、真っ先に思った、もうこいつに会えないんじゃないかって。
焦燥感に駆られてここに来た、ここまで来た。
庭園での、憔悴しきった中に希望の点るお前さんの声を聞いて、反射的に置いていかれるんじゃないかと思った。
計算も保身も気遣いも何も無く、嫌という一心だけで吐露した。
確かに俺達は歪な関係だ、でもその中に安寧があった。
それを覆した、のに。
「だから・・・。
共に来て・・・くれないか? おれらが移住する予定の場所に・・・」
告解の・・・最後の言葉に、息が詰まった。
片手で口元を隠し、顔を逸らす。
どうして今日に限ってサングラスをかけてこなかったのだろう。
見られたくなかった、あさましい感情を。
「っ・・・ち、が、これは、そうじゃない」
嫌なんじゃない、と喘ぐように告げてから静かに息を吸う、息を吐く。
「あり、がとな・・・ン、そうだな・・」
途切れがちの言葉に目を伏せそうになるが、目の前の視線が不安を雄弁に語っている。
おずおずと顔を向けると、相変わらずの泣き出しそうな子供の顔。
そんな顔するなよって、抱きしめたくなる。
甘やかしてやりたくなる。
「その、何だ・・・元々、拠点はまた別の大陸に移すつもりだったから、問題は無い・・・と思う。
あっちの大陸の折り合いもあるから、どこまで付き合えるかわからねぇ・・・けど。
色んなことが急すぎて、今はまだスケジュールの建て直し中だが、なるべく間に合わせる」
胸元にあてた手が、いつの間にか強く握られている。
震えている。
「なぁ、最初に言ったろ、今、する話じゃないって。
お前さんが謝ることは無いよ・・・悪いことを、したな。
大丈夫だ、返事は待つ・・・お前さんが望むなら離れもしない」
胸の中で唱える。
無意識のうちにかけていたいくつもの保険と、染み渡る喜びから溢れ出るあさましい感情に、心臓に楔が打たれたようだった。
笑う、なんでもないように。
「・・・なぁ、互いに立場も出来てさ、守るものも増えてよ・・・。
前みたいに二人だけで完結する世界じゃ、無くなったな」
守らなきゃならない、守りたいものが多くなった。
抱えられるだけのものが、両手の中に流れ星のように落ちてきた。
その全てが愛しい・・・嬉しい。
投げ出すことなんて、考えさえも出来ない。
だけど俺、お前さんが、お前だけが、欲しいんだ。
その代わり俺の全部をやる。
ううん、違う・・・貰ってくれ、俺の全部、お前のモンにしてくれ。
俺も、お前の全部が、欲しい。
叫んでしまいたかった、でも、言えない。
今はまだ、言えない。
「それでも・・・いや、そうだな、お前さんの心が決まるまでは、俺達は今まで通りだ。
・・・いや、今まで通りってのも、難しいかもしれねぇけど、・・・ん」
くしゃりと前髪をかきあげて、すぐに首を振る。
「俺にとってお前さんは第一に、友人だよ。
これからもよろしくな、威紺」
笑う、どこかシニカルないつもと変わらぬままに。
握手を求めるように手を差し伸べた。
そりゃあそうだろう、と目を瞑る。
この十年間、あまりに微妙な距離を、危うい立ち位置で過ごしてきた。
互いに深く・・・深く、気にかけながらも決定的な言葉を選ぶことは無かった。
心も体も知り尽くしながら、その想いに対しては互いに目をそらし続けてきた。
世間的には決して褒められた関係では、無かった。
「え・・・、っとなぁ・・・」
おどおどと話し始めた威紺の方へ身体を向ける。
真っ直ぐ見つめようとしたが、すぐに目を逸らされた。
泳ぐ視線、もういい歳の筈なのに泣きそうな子供の顔。
それだけで答えは出ているようなものだった。
「・・・、・・」
飲み込んだ吐息は、潮騒にまぎれて聞こえなかっただろう。
一瞬だけ寄せた眉根も、見えていないだろう。
小さく首を横に振ってから笑みを浮かべる。
こうなることも想定し覚悟できていたからこその、まことに穏やかな笑顔で。
多分、いつもより血色が良い。
今も心臓が早鐘のように高鳴っている。
長い逡巡の後の告白は、むしろ告解と呼ぶに等しいものだった。
予想できていた、全て、この男の心の幼さも。
幼いがゆえの無鉄砲さに、どんな時も笑わされた。
生き残るために得た慧眼ゆえの、時には慎重な姿勢を信頼した。
常日頃は何も考えていないくせに、どうでもいい事ばかりうじうじと悩む繊細さには、呆れながらも突き放せなかった。
良くも悪くも豪快で馬鹿で繊細な姿に惹かれたのだと思っていた。
・・・傭兵を引退して家業を継いでから、威紺はあまり笑わなくなった。
気難しそうに虚空を睨み、笑い声には力が無くなった。
その頃から、逆に自分の生活は安定してきた。
仕事が仕事だけに飛び回ることも多かったが、終わらない大陸に拠点を置いてから心休まる場所が増えた。
旧交をあたためる傍ら、新しい顔ぶれとも出会い、仕事とはいえ娘のような存在を受け入れるようになった。
一方で、威紺の心が枯れていくのが手に取るようにわかった。
そんな中、起きたあの『事件』。
いつの間にか忘れ去られながら、それでも続けられた暮蒔一族の贖罪と、その顛末。
自分の不注意が大きな原因とはいえ、半ば意図的にかどわかされ巻き込まれた。
暮蒔一族の顔である希鈴と威紺の足取りが『表舞台』だとすれば、こちらは文字通りの『裏舞台』。
恥辱と後悔の渦の中、最小限の・・・決して取り返しのつかない・・・被害だけで終えた事に、どこか安堵を感じた。
その暫く後。
伽藺の居所を・・・暮蒔一族の顔である希鈴と威紺に伝えてから、特に威紺は頻繁に伽藺の元へと通うようになった。
年下に対して自分以上に過剰な庇護欲を持つこの男が、知らぬ間に結婚した妹的存在へ複雑な心境を抱くのも、わかりすぎた事だった。
何かやらかさないか心配な面もあったが・・・今に至るまで問題を起こしてはいないと聞く。
自然と顔を合わせる機会も増えた。
数年間、殆ど音信不通状態の時期もあった事を思えば、望外の幸福に等しかった。
同時に深い罪悪感に駆られる。
こいつは俺がどん底にいた時に支えてくれた。
守らなければならない妻の忘れ形見を、俺の代わりに確かに守りぬいてくれた。
俺は今この時、死んでいく男に対して何が出来ているのか。
小さな無力感から顔を背けて、それでも預けてくれるものを抱きとめ続けた。
そして、今。
「返事は、必ずする。
どういう結果になろうが、ちゃんとおれの心と向き合って、する」
「うん」
大陸が神の手の内から解き放たれると聞いて、真っ先に思った、もうこいつに会えないんじゃないかって。
焦燥感に駆られてここに来た、ここまで来た。
庭園での、憔悴しきった中に希望の点るお前さんの声を聞いて、反射的に置いていかれるんじゃないかと思った。
計算も保身も気遣いも何も無く、嫌という一心だけで吐露した。
確かに俺達は歪な関係だ、でもその中に安寧があった。
それを覆した、のに。
「だから・・・。
共に来て・・・くれないか? おれらが移住する予定の場所に・・・」
告解の・・・最後の言葉に、息が詰まった。
片手で口元を隠し、顔を逸らす。
どうして今日に限ってサングラスをかけてこなかったのだろう。
見られたくなかった、あさましい感情を。
「っ・・・ち、が、これは、そうじゃない」
嫌なんじゃない、と喘ぐように告げてから静かに息を吸う、息を吐く。
「あり、がとな・・・ン、そうだな・・」
途切れがちの言葉に目を伏せそうになるが、目の前の視線が不安を雄弁に語っている。
おずおずと顔を向けると、相変わらずの泣き出しそうな子供の顔。
そんな顔するなよって、抱きしめたくなる。
甘やかしてやりたくなる。
「その、何だ・・・元々、拠点はまた別の大陸に移すつもりだったから、問題は無い・・・と思う。
あっちの大陸の折り合いもあるから、どこまで付き合えるかわからねぇ・・・けど。
色んなことが急すぎて、今はまだスケジュールの建て直し中だが、なるべく間に合わせる」
胸元にあてた手が、いつの間にか強く握られている。
震えている。
「なぁ、最初に言ったろ、今、する話じゃないって。
お前さんが謝ることは無いよ・・・悪いことを、したな。
大丈夫だ、返事は待つ・・・お前さんが望むなら離れもしない」
胸の中で唱える。
無意識のうちにかけていたいくつもの保険と、染み渡る喜びから溢れ出るあさましい感情に、心臓に楔が打たれたようだった。
笑う、なんでもないように。
「・・・なぁ、互いに立場も出来てさ、守るものも増えてよ・・・。
前みたいに二人だけで完結する世界じゃ、無くなったな」
守らなきゃならない、守りたいものが多くなった。
抱えられるだけのものが、両手の中に流れ星のように落ちてきた。
その全てが愛しい・・・嬉しい。
投げ出すことなんて、考えさえも出来ない。
だけど俺、お前さんが、お前だけが、欲しいんだ。
その代わり俺の全部をやる。
ううん、違う・・・貰ってくれ、俺の全部、お前のモンにしてくれ。
俺も、お前の全部が、欲しい。
叫んでしまいたかった、でも、言えない。
今はまだ、言えない。
「それでも・・・いや、そうだな、お前さんの心が決まるまでは、俺達は今まで通りだ。
・・・いや、今まで通りってのも、難しいかもしれねぇけど、・・・ん」
くしゃりと前髪をかきあげて、すぐに首を振る。
「俺にとってお前さんは第一に、友人だよ。
これからもよろしくな、威紺」
笑う、どこかシニカルないつもと変わらぬままに。
握手を求めるように手を差し伸べた。
無題
イエスと答えられる確証もないのに、遠くはなれた世界について来てくれと願う。
考えてみれば自分は、えらく卑怯な答えを、返したものだ。
けれど、相手は自分のそんな小心者さ加減さえも、理解していたらしい。
快く、了解の答えを、返してくれた。
少しほっと息をついて、威紺は言葉を補足した。
「…あぁ、今すぐって話じゃない。
おれ達にもまだまだ準備があるからな、それこそ世界が崩壊する…ぎりぎりになってしまうだろう。
だから慌てなくてもいい、行く先が決まったり変わったらその都度、連絡は入れるようにするからよ」
普段通りの笑顔、とまでは行かないが。
動揺は何とか押し殺して、何でもないような風を見せる。
「………」
そう、彼は口火を切った。
なぁなぁで穏やかで怠惰な、二人の『友情』に梃子を入れた。
これがどう転ぶのか、威紺にはまだわからない。ティーラにも分かりはしないだろう。
そう、この先も自分達の関係はしばらくの間は、『今まで通り』続くだろう。
ただ一つ『今まで通り』じゃないのは、答えを出さなきゃいけない『課題』が出来ること。
威紺もティーラも、もう若いといえる歳じゃない。
世間的には、まだまだ青年のうちに数えられるのかも知れないが、
それぞれに背負うものが出来ているし、いつまでも子供のように駄々をこねては生きられない。
「悪ィな、煮えきらなくてよ。でも、こンなおれでももうちっとだけ、
見守っていてくれたら嬉しいよ、…相棒」
差し出された手をぎゅっと握る。
…相棒。あぁ、つい先刻までは確かに、そう思っていた。
どんな時にも信用出来て、強さも弱さも見せ合える、固い絆で繋がった相手。
『相棒』と呼べるのはこの男しかいないと。
けれど今は…正直威紺は、自分の言葉に空々しさを感じていた。
相棒、絆、友情。そんな美辞麗句で誤魔化して、要は決断を先送りしただけじゃないかと。
自分は決して誠実な人間ではない。
不器用なくせに妙なところで世慣れていて、嘘や裏切りだって今までどれだけ重ねて来たか。
……でも。
『彼』だけは…偽りたくなかった。
勿論、偽らざるための、保留の返事のつもりだ。
今のこの曖昧な気持ちのまま、単に離れられたくないというだけの気持ちで、
『自分も愛していた』なんて言えば、それこそ裏切りになるのじゃなかろうか。
それでもこの、変なところで一途な親友は、喜ぶだろうか?
いや…嘘の匂いを嗅ぎ付けて、殴り飛ばされるかも知れない。
…それならいい、それで終わるなら。けれど、もし、…泣かれたら。
「あー…」
手を離し、がりっ、と、爪を噛む。
あぁそうだよ。姉のことだけじゃない。
おれには、もっと、もっと。大きな澱が、…罪が…、…あったんじゃないか。
威紺を苛む記憶。美しい女の泣き笑い、憎しみに満ちた幼い瞳。
そうだよ…かつて裏切った女。
まだ幼かったおれには、本気と冗談はまだ、区別が付けられなくて。
言葉遊びのように愛を囁いて、結局破滅させてしまった、夜の華。
…彼女のことを話さなければならない。
『桂』を預ける際、ティーラには簡単には説明したが、確か随分と自分に都合がいいように、
端折って説明した記憶がある。
彼は深くを聞かなかった。
ただ普段のように頷いて『仕事』として請負うと、それ以上を追求することはしなかった。
それからは威紺は傭兵として働いては、ティーラに『養育費』を送金する日々が続き。
(とはいっても、彼の仕事の『相場』からすれば、破格の値段であったと思う)
やがて、彼の生き別れの家族…『娘』が見付かって、威紺が後見人を申し出てからは、
互いに子供の養育費を払い合うという、奇妙な関係が続いていた。
養育費とはいっても、子育ては出来る訳がないから、信用の出来る施設に預け、
年頃になったら全寮制の学園に放り込んだだけだが。
実質的にはほぼ被差別階級であるとはいえ、一応は『名家』に数えられる威紺の知る限り、
一番評判の良いお嬢様学校を選んだつもりだ。
学費・寮費は普通であれば膨大な金額の筈だが、学園の運営には一族単位で関わっているので、
そこは随分と優遇されている。
それでも、ティーラが一人で働いて賄うには、少々厳しい金額だった筈だ。
だからだろうか、旅烏であった彼はいつしか定住の地を持ち、危険の多い傭兵の仕事を減らし、
その土地における定職と、余暇で行う配達人の仕事を兼業し始めた。
なので必要最低限の金額だけを告知し、他にかかる費用などは威紺が自由になる財布から、
彼の娘・赤音に直接渡していたし、成長の度合いに合わせたドレスや着物なども、
定期的に贈っていた(お嬢様同士の付き合いはとにかく、不必要な金や物が必要となる)。
そのせいなのか何なのか、彼女からは随分と慕われているようだが、
自分からすれば、生まれ持ったものを利用して、見栄を張っているだけに過ぎない。
そこに自分自身の実力的なものは何もない。いつかは彼女もそのことを見抜くのだろうか?
それでも幸いというか、あるいは彼女の努力の結果なのか、
天性ともいえる稀有な能力が見出されて、赤音は学園の中でも特別な位置にある、
魔導師学級に進むことになった。
これによって、ティーラの金銭的な負担は、随分と楽になった筈である。
とはいえ彼のことだろうから、今まで払ってきた金額との差額を今度は貯蓄し、
娘の将来に備えるのだろうが。
思考が反れた、と、頭を少し振る。
つまり威紺はティーラに、血を分けた実の息子を、育てて貰っている。
そして彼が生まれたいきさつは、ざっと簡単にしか説明していない。
ティーラの娘が生まれたいきさつに関しては、詳細に聞かせてもらっているにも関わらずだ。
…いや、聞かせて貰ったなどというものではない。
彼が幸せな恋をし、結婚に至った道も、遠巻きながら見ていたのだ。
そしてその生活が…、無残に砕かれた時にも…。
たった一人の妻を愛し、不可抗力によって彼女を奪われ、
生き残った娘の幼さゆえに距離を置き、また置かれているティーラに比べ。
自分は何と浅はかで、そして残酷なのだろう。
息子に軽蔑されても仕方がない。
自分は…もう…、彼の母親であった女の声音さえ、覚えていないのだ。
「ティー…」
肩を落として、語り掛ける。
ため息と声の割合でいうなら7割以上は前者だろう。
「お前とのこの先を考える前に、話しておかないといけないことがある。
それを聞いてもなお、お前がおれを好きだと、そう…言えるのか。
…お前もそれを聞いてから、もう一度…考えてみて欲しい」
一途な女を。
どう騙して弄び、そして…『本気』を恐れて、逃げたのか。
何度も何度も、夢に見た。
あの時、彼女に贈り付けられた、小さな箱のことを。
考えてみれば自分は、えらく卑怯な答えを、返したものだ。
けれど、相手は自分のそんな小心者さ加減さえも、理解していたらしい。
快く、了解の答えを、返してくれた。
少しほっと息をついて、威紺は言葉を補足した。
「…あぁ、今すぐって話じゃない。
おれ達にもまだまだ準備があるからな、それこそ世界が崩壊する…ぎりぎりになってしまうだろう。
だから慌てなくてもいい、行く先が決まったり変わったらその都度、連絡は入れるようにするからよ」
普段通りの笑顔、とまでは行かないが。
動揺は何とか押し殺して、何でもないような風を見せる。
「………」
そう、彼は口火を切った。
なぁなぁで穏やかで怠惰な、二人の『友情』に梃子を入れた。
これがどう転ぶのか、威紺にはまだわからない。ティーラにも分かりはしないだろう。
そう、この先も自分達の関係はしばらくの間は、『今まで通り』続くだろう。
ただ一つ『今まで通り』じゃないのは、答えを出さなきゃいけない『課題』が出来ること。
威紺もティーラも、もう若いといえる歳じゃない。
世間的には、まだまだ青年のうちに数えられるのかも知れないが、
それぞれに背負うものが出来ているし、いつまでも子供のように駄々をこねては生きられない。
「悪ィな、煮えきらなくてよ。でも、こンなおれでももうちっとだけ、
見守っていてくれたら嬉しいよ、…相棒」
差し出された手をぎゅっと握る。
…相棒。あぁ、つい先刻までは確かに、そう思っていた。
どんな時にも信用出来て、強さも弱さも見せ合える、固い絆で繋がった相手。
『相棒』と呼べるのはこの男しかいないと。
けれど今は…正直威紺は、自分の言葉に空々しさを感じていた。
相棒、絆、友情。そんな美辞麗句で誤魔化して、要は決断を先送りしただけじゃないかと。
自分は決して誠実な人間ではない。
不器用なくせに妙なところで世慣れていて、嘘や裏切りだって今までどれだけ重ねて来たか。
……でも。
『彼』だけは…偽りたくなかった。
勿論、偽らざるための、保留の返事のつもりだ。
今のこの曖昧な気持ちのまま、単に離れられたくないというだけの気持ちで、
『自分も愛していた』なんて言えば、それこそ裏切りになるのじゃなかろうか。
それでもこの、変なところで一途な親友は、喜ぶだろうか?
いや…嘘の匂いを嗅ぎ付けて、殴り飛ばされるかも知れない。
…それならいい、それで終わるなら。けれど、もし、…泣かれたら。
「あー…」
手を離し、がりっ、と、爪を噛む。
あぁそうだよ。姉のことだけじゃない。
おれには、もっと、もっと。大きな澱が、…罪が…、…あったんじゃないか。
威紺を苛む記憶。美しい女の泣き笑い、憎しみに満ちた幼い瞳。
そうだよ…かつて裏切った女。
まだ幼かったおれには、本気と冗談はまだ、区別が付けられなくて。
言葉遊びのように愛を囁いて、結局破滅させてしまった、夜の華。
…彼女のことを話さなければならない。
『桂』を預ける際、ティーラには簡単には説明したが、確か随分と自分に都合がいいように、
端折って説明した記憶がある。
彼は深くを聞かなかった。
ただ普段のように頷いて『仕事』として請負うと、それ以上を追求することはしなかった。
それからは威紺は傭兵として働いては、ティーラに『養育費』を送金する日々が続き。
(とはいっても、彼の仕事の『相場』からすれば、破格の値段であったと思う)
やがて、彼の生き別れの家族…『娘』が見付かって、威紺が後見人を申し出てからは、
互いに子供の養育費を払い合うという、奇妙な関係が続いていた。
養育費とはいっても、子育ては出来る訳がないから、信用の出来る施設に預け、
年頃になったら全寮制の学園に放り込んだだけだが。
実質的にはほぼ被差別階級であるとはいえ、一応は『名家』に数えられる威紺の知る限り、
一番評判の良いお嬢様学校を選んだつもりだ。
学費・寮費は普通であれば膨大な金額の筈だが、学園の運営には一族単位で関わっているので、
そこは随分と優遇されている。
それでも、ティーラが一人で働いて賄うには、少々厳しい金額だった筈だ。
だからだろうか、旅烏であった彼はいつしか定住の地を持ち、危険の多い傭兵の仕事を減らし、
その土地における定職と、余暇で行う配達人の仕事を兼業し始めた。
なので必要最低限の金額だけを告知し、他にかかる費用などは威紺が自由になる財布から、
彼の娘・赤音に直接渡していたし、成長の度合いに合わせたドレスや着物なども、
定期的に贈っていた(お嬢様同士の付き合いはとにかく、不必要な金や物が必要となる)。
そのせいなのか何なのか、彼女からは随分と慕われているようだが、
自分からすれば、生まれ持ったものを利用して、見栄を張っているだけに過ぎない。
そこに自分自身の実力的なものは何もない。いつかは彼女もそのことを見抜くのだろうか?
それでも幸いというか、あるいは彼女の努力の結果なのか、
天性ともいえる稀有な能力が見出されて、赤音は学園の中でも特別な位置にある、
魔導師学級に進むことになった。
これによって、ティーラの金銭的な負担は、随分と楽になった筈である。
とはいえ彼のことだろうから、今まで払ってきた金額との差額を今度は貯蓄し、
娘の将来に備えるのだろうが。
思考が反れた、と、頭を少し振る。
つまり威紺はティーラに、血を分けた実の息子を、育てて貰っている。
そして彼が生まれたいきさつは、ざっと簡単にしか説明していない。
ティーラの娘が生まれたいきさつに関しては、詳細に聞かせてもらっているにも関わらずだ。
…いや、聞かせて貰ったなどというものではない。
彼が幸せな恋をし、結婚に至った道も、遠巻きながら見ていたのだ。
そしてその生活が…、無残に砕かれた時にも…。
たった一人の妻を愛し、不可抗力によって彼女を奪われ、
生き残った娘の幼さゆえに距離を置き、また置かれているティーラに比べ。
自分は何と浅はかで、そして残酷なのだろう。
息子に軽蔑されても仕方がない。
自分は…もう…、彼の母親であった女の声音さえ、覚えていないのだ。
「ティー…」
肩を落として、語り掛ける。
ため息と声の割合でいうなら7割以上は前者だろう。
「お前とのこの先を考える前に、話しておかないといけないことがある。
それを聞いてもなお、お前がおれを好きだと、そう…言えるのか。
…お前もそれを聞いてから、もう一度…考えてみて欲しい」
一途な女を。
どう騙して弄び、そして…『本気』を恐れて、逃げたのか。
何度も何度も、夢に見た。
あの時、彼女に贈り付けられた、小さな箱のことを。
無題
この男は。
もし自分が告白をせず、本格的に桂の居る大陸に拠点を移すと決定事項を伝えれば、どうなったのだろう。
仮定の未来を一瞬、思う。
握り返された手は冷たい。
代謝が良いのか、いつでも熱いくらいの掌をしていた男だったのに。
相手の緊張を、冷静に感じ取る。
「いや、すぐに返答をもらえるとは最初から思っちゃいねェよ」
相棒、という、どこか醒めた瞳で。
友人、といった、胸中を押し殺しながら。
なぁ、俺たちがこんな顔をするようになったのは、何時からだっけな。
もし自分がこの男の傍を離れると伝えたら、どうなったか。
・・・きっと耐え忍ぶ道を選ぶだろう。
新しい土地でも元気でな、たまには連絡寄越せよ、赤音の写真も送れよォ、ありゃあ美人になるんだろうな、ほんっとお前に似たからよ。
そう言って、あの泣き出す直前の子供の顔を、ひた隠しにして。
出会った頃は、こんな未来なんて予想もしていなかった。
責め苦に等しい生きる義務の中、誰のことも考えずに馬鹿をやれた享楽的な少年次代。
大事に思っていた庇護対象が傷つく度、何気ない顔をして一杯どうかと誘った。
互いにしょうもない悪戯をかけあって、たまに希鈴まで巻き込んで、きゃんきゃんと叱られたこともあった。
短い期間だったけれど・・・伽藺を交えて酒盛りをして(あいつはアルコールは受け付けないから、ジュースだったけれど)、早々に寝潰れた姿を肴にしたこともあったっけな。
それでも朝になりゃ目が覚めて、早朝鍛錬だと称して朝っぱらから本気でやりあって。
近所迷惑だって水をかけられたな、希鈴に、あいつ何時からあんなにヒステリックになったんだろうな。
昔は可愛かったのに・・・。
紡いだ関係性が重みを増したのは、何時からだろう。
泣きたい夜には何もかもを預けた。
恋を知った日、おどおどと打ち明ければ暫く驚いた後、盛大に祝福してくれた。
村でのささやかな宴席には、大八車に酒樽を山ほど積んで駆けつけてくれたっけな。
ヒヨリも、ティーラに大切な人が居てくれて、良かったって・・・・。
久々の休暇に浮き立つ心を抑えて帰った村は、元兵士だった盗賊の手によって壊滅させられていた。
抵抗したものは殺されたのだろう、遺骸がその辺に転がっていた。
その中に妻の、ヒヨリの姿は無かった。
無我夢中で行方を探した結果、奴隷として売られていることがわかって。
何でもした、魂を汚すような行為も、誇りを地に貶めるような手段も、それで彼女が取り戻せるなら、彼女の笑顔が見られるなら、何でも。
威紺は・・・可能な限り協力してくれた。
見られたくないものも全部見せた、見られて尚、立ち止まるわけにはいかなかった。
その結果が、奴隷達の解放と、存在が判明した一人娘・・・赤音。
そしてヒヨリの死だった。
感情の発露に任せて何もかもを焼ききろうとした俺を、押し付けるように掻き抱いて。
随分と酷い事を・・・言った、感情に任せて、恩をあだで返すような真似をした。
それでも泣けなかった俺を手放さないで。
泣かせる手段をこの男は誰よりも熟知していた。
あの当時の事は、あまり記憶に無い。
それまで以上に仕事に打ち込んだ、過激な戦線に自ら望んで身を投じた。
夜が怖かった、夢を見るのが怖かった、眠りたくなんて無かった。
自暴自棄に生きていた中、守ることさえ念頭から失っていた娘を保護したのが、この男だった。
なぁ、ショックだったんだろうな、怖い思いをさせたのかもな。
危うい癖に飄々と生きようとする相棒が、いとも簡単に泣き崩れる姿は随分と不安にさせただろう。
あれからちょっと過保護になったのも、知っている。
いま、口火を切ったのも自分なら、かつて、口火を切ったのも、きっと俺だろう。
しゃがみこんだ俺の傍で、戸惑いながらもずっと立っていてくれたのが、威紺、お前だったんだよ。
そ知らぬ顔で友情と呼んでいた。
改めて口に出さずとも相棒だと確信していた。
その中で、この男が何も言わずに、俺の寝顔を眺めて明けた夜があったのを知っている。
俺たちの友情は最早、依存と呼ぶのに相応しい代物に成り果てていた。
「ティー・・・」
重苦しい吐息と共に名前を呼ばれる。
『ティル・ラー・ポットだ、ティーラでいい』
『ティ・・・んー?ティー?』
『ティ・イ・ラ』
『てぃ・・・あーもう面倒くせェ!いーじゃん、ティーで!!』
『おま・・・そんな短い単語も覚えらンねぇのか』
『あ?なんか言ったか?まぁ、ともかく宜しくな、ティー!』
このままじゃ駄目だと思っていた。
なぁ、もしこのまま今の距離感でずっと一緒に居られたとしても。
俺達はいつか必ず、どちらかがどちらかを置いて逝くんだよ。
うつろな視線へ確かに頷く。
目の前の震える唇が、開かれた。
もし自分が告白をせず、本格的に桂の居る大陸に拠点を移すと決定事項を伝えれば、どうなったのだろう。
仮定の未来を一瞬、思う。
握り返された手は冷たい。
代謝が良いのか、いつでも熱いくらいの掌をしていた男だったのに。
相手の緊張を、冷静に感じ取る。
「いや、すぐに返答をもらえるとは最初から思っちゃいねェよ」
相棒、という、どこか醒めた瞳で。
友人、といった、胸中を押し殺しながら。
なぁ、俺たちがこんな顔をするようになったのは、何時からだっけな。
もし自分がこの男の傍を離れると伝えたら、どうなったか。
・・・きっと耐え忍ぶ道を選ぶだろう。
新しい土地でも元気でな、たまには連絡寄越せよ、赤音の写真も送れよォ、ありゃあ美人になるんだろうな、ほんっとお前に似たからよ。
そう言って、あの泣き出す直前の子供の顔を、ひた隠しにして。
出会った頃は、こんな未来なんて予想もしていなかった。
責め苦に等しい生きる義務の中、誰のことも考えずに馬鹿をやれた享楽的な少年次代。
大事に思っていた庇護対象が傷つく度、何気ない顔をして一杯どうかと誘った。
互いにしょうもない悪戯をかけあって、たまに希鈴まで巻き込んで、きゃんきゃんと叱られたこともあった。
短い期間だったけれど・・・伽藺を交えて酒盛りをして(あいつはアルコールは受け付けないから、ジュースだったけれど)、早々に寝潰れた姿を肴にしたこともあったっけな。
それでも朝になりゃ目が覚めて、早朝鍛錬だと称して朝っぱらから本気でやりあって。
近所迷惑だって水をかけられたな、希鈴に、あいつ何時からあんなにヒステリックになったんだろうな。
昔は可愛かったのに・・・。
紡いだ関係性が重みを増したのは、何時からだろう。
泣きたい夜には何もかもを預けた。
恋を知った日、おどおどと打ち明ければ暫く驚いた後、盛大に祝福してくれた。
村でのささやかな宴席には、大八車に酒樽を山ほど積んで駆けつけてくれたっけな。
ヒヨリも、ティーラに大切な人が居てくれて、良かったって・・・・。
久々の休暇に浮き立つ心を抑えて帰った村は、元兵士だった盗賊の手によって壊滅させられていた。
抵抗したものは殺されたのだろう、遺骸がその辺に転がっていた。
その中に妻の、ヒヨリの姿は無かった。
無我夢中で行方を探した結果、奴隷として売られていることがわかって。
何でもした、魂を汚すような行為も、誇りを地に貶めるような手段も、それで彼女が取り戻せるなら、彼女の笑顔が見られるなら、何でも。
威紺は・・・可能な限り協力してくれた。
見られたくないものも全部見せた、見られて尚、立ち止まるわけにはいかなかった。
その結果が、奴隷達の解放と、存在が判明した一人娘・・・赤音。
そしてヒヨリの死だった。
感情の発露に任せて何もかもを焼ききろうとした俺を、押し付けるように掻き抱いて。
随分と酷い事を・・・言った、感情に任せて、恩をあだで返すような真似をした。
それでも泣けなかった俺を手放さないで。
泣かせる手段をこの男は誰よりも熟知していた。
あの当時の事は、あまり記憶に無い。
それまで以上に仕事に打ち込んだ、過激な戦線に自ら望んで身を投じた。
夜が怖かった、夢を見るのが怖かった、眠りたくなんて無かった。
自暴自棄に生きていた中、守ることさえ念頭から失っていた娘を保護したのが、この男だった。
なぁ、ショックだったんだろうな、怖い思いをさせたのかもな。
危うい癖に飄々と生きようとする相棒が、いとも簡単に泣き崩れる姿は随分と不安にさせただろう。
あれからちょっと過保護になったのも、知っている。
いま、口火を切ったのも自分なら、かつて、口火を切ったのも、きっと俺だろう。
しゃがみこんだ俺の傍で、戸惑いながらもずっと立っていてくれたのが、威紺、お前だったんだよ。
そ知らぬ顔で友情と呼んでいた。
改めて口に出さずとも相棒だと確信していた。
その中で、この男が何も言わずに、俺の寝顔を眺めて明けた夜があったのを知っている。
俺たちの友情は最早、依存と呼ぶのに相応しい代物に成り果てていた。
「ティー・・・」
重苦しい吐息と共に名前を呼ばれる。
『ティル・ラー・ポットだ、ティーラでいい』
『ティ・・・んー?ティー?』
『ティ・イ・ラ』
『てぃ・・・あーもう面倒くせェ!いーじゃん、ティーで!!』
『おま・・・そんな短い単語も覚えらンねぇのか』
『あ?なんか言ったか?まぁ、ともかく宜しくな、ティー!』
このままじゃ駄目だと思っていた。
なぁ、もしこのまま今の距離感でずっと一緒に居られたとしても。
俺達はいつか必ず、どちらかがどちらかを置いて逝くんだよ。
うつろな視線へ確かに頷く。
目の前の震える唇が、開かれた。
無題
言葉にしての返事は無かったが。
目前の鳥人は、その紅の瞳に決意の色を宿し、唇をきりと引き締めた。
確かに一つ、頷く仕草。
それだけで威紺には充分だった。
砂浜を見渡し、適度な岩場を見付けるとそこを指し示して、どかりと座った。
ティーラも静かに、すぐ横に腰を降ろす。
隣り合い・・・互い相手の顔を見ず、真っ直ぐ前の水平線を眺めていた。
厚い雲は雨季の証拠。
まだ泣き出すことは無いだろうが、重い色の空を映して、海もまた鋼色に揺らめいていた。
「葛木は・・・。
桂の母親は・・・ムロマチのとある歓楽街にあった、遊郭に所属していた遊女だった。
それについては説明したかと思う」
こくりと、一つ、ティーラが頷く。
「綺麗な女だったよ、女を見慣れていない、おれの目から見てもな。
少し・・・学がないからな、花魁や芸妓にはなれはしない。
それでも、その器量だけで随分な人気を取っていたし、彼女を抱くにはとてつもない金が必要だった」
歳は当時で19。
数えの年齢だから、他国では17だか18だかで、数えられる年齢だったかと思う。
遊女としては決して若くはないが、それほどの古株でもないようだった。
足元まで落ちる真っ直ぐな黒髪にすらりと細い体、スッと切れ長に跳ね上がった黒い瞳。
声は静かに流れる水のよう。
けれど感激屋で時折、素っ頓狂な叫びを上げるときもある。
そういう時は細いその目が、まん丸に見開かれていた。
そんな表情の豊かさが、また男たちの興を誘い、彼女の人気を支えていた。
静謐な美女といった風情のその姿と、世慣れていない純情さのアンバランス。
彼女は当時のその歓楽街において、いわゆるアイドル的存在だと言えた。
◆
おれが12の歳に、世界を見たいからって理由で里を飛び出して、
傭兵団に所属したってのは言ったよな?
まぁ所属したっていうか、たまたまツナギの出来たオッサンが傭兵団のアタマで、
その関係で雑用係から入っていったみたいな感じなんだが。
オッサンが生きてる間は結構色々守られたもんさ。
でも危険な仕事だからな、オッサンが死んでからはもう、雑用どころの話じゃなかった。
戦力にもならないガキを養うんだから、そりゃあ傭兵たちも面白くはねぇさ。
おれだっていつまでも、穀潰しみたいな扱いをされて、喜んでた訳じゃねぇ。
空いた時間を見つけては剣を振るったし、式術の稽古だって忘れないようにやっていたさ。
おかげで15になる頃には体も出来て、他の団員らと戦線に出して貰えるようになってた。
まぁそんでうちの傭兵団はよ、一般人への略奪やら乱暴を禁じていた。
だからそこが戦場だろうが敵国だろうが、相手が非戦闘員だとわかれば捕縛だけはするが、
そいつをどうこうするってことは無かった。
けれど行儀のいい戦いばっかりじゃ、荒くれ者たちは納得しねぇよな。
だからうちの団の常として、仕事がある程度の成功を収めた時には団員たちを労うべく、
一席設けるっていう慣わしがあったんだ。
さすがに全員参加って訳じゃなくて、特別に活躍した奴が選ばれて、招待に預かった訳だがな。
その日もおれは、居残りだと思ってた。
別に宴席に興味があった訳じゃねぇ。
ただまぁ、居残った野郎共をあしらうのがちょっくら、億劫だとは思っていた。
お前は信じるかどうか知らねぇが、おれはこう見えても幼い頃は普通に立ってりゃ、
少女と見間違われるくらい細っこくて可愛らしい顔立ちをしてたんだ。
里にいた頃はそっくりな伽藺が側にいたから普通だと思ってたが、
外に出ると流石にその容姿が嫌で不便でしょうがなくなってな。
必至で飯を食って体を動かし、筋肉を付けて上背を伸ばしたもんさ。
それでもまぁ、まだ15くらいの頃っていうと、可愛さも残ってたんだろう。
ゴツイ傭兵共からの誘いは後を断たなかったのさ。
別に何かされたからといって悔しがったり落ち込むようなプライドは無かったが、
一人や二人じゃなかったから正直面倒臭かった。
その日も、戦勝の報せは嬉しいものだけれど、また面倒な夜になるぞと思ってた。
そんな中で、おれの名前が呼ばれたときは正直、『はい?』って思ったもんさ。
その時の団長が言うには。
威紺もそろそろ役に立つようになって来たし、宴の雰囲気を覚えてもいいだろう、と。
舌打ちをする奴も何人かはいたが、大体の団員はその決定を喜んでくれた。
今思えば、宴に参加するっていうのはつまり、あの団にとっては本当の仲間として、
迎え入れられるってことだったんだろうな。
◆
ふぅ、と、深く息をつき。
威紺は視線をティーラに向けた。
いや、ティーラを見透かしてその先、岩場の先にある砂浜に向けていた。
「宴はね・・・そりゃあすごかったさ。酒もその時覚えた。
今でも酒は好きだが、あの時ほど深く酔うことも、酔う快感を感じることも出来ないな。
そして、覚えたのは、酒の味だけじゃなかった・・・」
視線を再び、鉛色の海へ向ける。
目前の鳥人は、その紅の瞳に決意の色を宿し、唇をきりと引き締めた。
確かに一つ、頷く仕草。
それだけで威紺には充分だった。
砂浜を見渡し、適度な岩場を見付けるとそこを指し示して、どかりと座った。
ティーラも静かに、すぐ横に腰を降ろす。
隣り合い・・・互い相手の顔を見ず、真っ直ぐ前の水平線を眺めていた。
厚い雲は雨季の証拠。
まだ泣き出すことは無いだろうが、重い色の空を映して、海もまた鋼色に揺らめいていた。
「葛木は・・・。
桂の母親は・・・ムロマチのとある歓楽街にあった、遊郭に所属していた遊女だった。
それについては説明したかと思う」
こくりと、一つ、ティーラが頷く。
「綺麗な女だったよ、女を見慣れていない、おれの目から見てもな。
少し・・・学がないからな、花魁や芸妓にはなれはしない。
それでも、その器量だけで随分な人気を取っていたし、彼女を抱くにはとてつもない金が必要だった」
歳は当時で19。
数えの年齢だから、他国では17だか18だかで、数えられる年齢だったかと思う。
遊女としては決して若くはないが、それほどの古株でもないようだった。
足元まで落ちる真っ直ぐな黒髪にすらりと細い体、スッと切れ長に跳ね上がった黒い瞳。
声は静かに流れる水のよう。
けれど感激屋で時折、素っ頓狂な叫びを上げるときもある。
そういう時は細いその目が、まん丸に見開かれていた。
そんな表情の豊かさが、また男たちの興を誘い、彼女の人気を支えていた。
静謐な美女といった風情のその姿と、世慣れていない純情さのアンバランス。
彼女は当時のその歓楽街において、いわゆるアイドル的存在だと言えた。
◆
おれが12の歳に、世界を見たいからって理由で里を飛び出して、
傭兵団に所属したってのは言ったよな?
まぁ所属したっていうか、たまたまツナギの出来たオッサンが傭兵団のアタマで、
その関係で雑用係から入っていったみたいな感じなんだが。
オッサンが生きてる間は結構色々守られたもんさ。
でも危険な仕事だからな、オッサンが死んでからはもう、雑用どころの話じゃなかった。
戦力にもならないガキを養うんだから、そりゃあ傭兵たちも面白くはねぇさ。
おれだっていつまでも、穀潰しみたいな扱いをされて、喜んでた訳じゃねぇ。
空いた時間を見つけては剣を振るったし、式術の稽古だって忘れないようにやっていたさ。
おかげで15になる頃には体も出来て、他の団員らと戦線に出して貰えるようになってた。
まぁそんでうちの傭兵団はよ、一般人への略奪やら乱暴を禁じていた。
だからそこが戦場だろうが敵国だろうが、相手が非戦闘員だとわかれば捕縛だけはするが、
そいつをどうこうするってことは無かった。
けれど行儀のいい戦いばっかりじゃ、荒くれ者たちは納得しねぇよな。
だからうちの団の常として、仕事がある程度の成功を収めた時には団員たちを労うべく、
一席設けるっていう慣わしがあったんだ。
さすがに全員参加って訳じゃなくて、特別に活躍した奴が選ばれて、招待に預かった訳だがな。
その日もおれは、居残りだと思ってた。
別に宴席に興味があった訳じゃねぇ。
ただまぁ、居残った野郎共をあしらうのがちょっくら、億劫だとは思っていた。
お前は信じるかどうか知らねぇが、おれはこう見えても幼い頃は普通に立ってりゃ、
少女と見間違われるくらい細っこくて可愛らしい顔立ちをしてたんだ。
里にいた頃はそっくりな伽藺が側にいたから普通だと思ってたが、
外に出ると流石にその容姿が嫌で不便でしょうがなくなってな。
必至で飯を食って体を動かし、筋肉を付けて上背を伸ばしたもんさ。
それでもまぁ、まだ15くらいの頃っていうと、可愛さも残ってたんだろう。
ゴツイ傭兵共からの誘いは後を断たなかったのさ。
別に何かされたからといって悔しがったり落ち込むようなプライドは無かったが、
一人や二人じゃなかったから正直面倒臭かった。
その日も、戦勝の報せは嬉しいものだけれど、また面倒な夜になるぞと思ってた。
そんな中で、おれの名前が呼ばれたときは正直、『はい?』って思ったもんさ。
その時の団長が言うには。
威紺もそろそろ役に立つようになって来たし、宴の雰囲気を覚えてもいいだろう、と。
舌打ちをする奴も何人かはいたが、大体の団員はその決定を喜んでくれた。
今思えば、宴に参加するっていうのはつまり、あの団にとっては本当の仲間として、
迎え入れられるってことだったんだろうな。
◆
ふぅ、と、深く息をつき。
威紺は視線をティーラに向けた。
いや、ティーラを見透かしてその先、岩場の先にある砂浜に向けていた。
「宴はね・・・そりゃあすごかったさ。酒もその時覚えた。
今でも酒は好きだが、あの時ほど深く酔うことも、酔う快感を感じることも出来ないな。
そして、覚えたのは、酒の味だけじゃなかった・・・」
視線を再び、鉛色の海へ向ける。
無題
葛木女郎。
温泉街で預かっている桂の実母であり、威紺の子を産んだ女。
本名を聞く事は無かった。
そもそも会う機会さえ、ついぞ無かった。
噂だけはよく耳にしていた。
当時、自分が所属していた傭兵団でも通いつめる者は少なくなかったからだ。
綺麗な女だった、と聞く。
フーリュン系の、大陸の血の強い女だったのだろう。
良くも悪くも土臭い民族であるムロマチの歓楽街においては、きりりと背を伸ばす艶姿は荘厳な空気を纏っただろう。
目の前の男の好みそのままだとしみじみ思う。
威紺の姉もまたムロマチの女性らしからぬ、端整な顔立ちに高い背、しなやかで細い四肢、落ち着いた声と所作の女性だった。
そんな隙の無い容姿に反して、中身は存外にあどけない所にこそ惹かれたのだと思う。
綺麗な女だったよ、と言う。
・・・暗闇の中、搾り出すように呟いた子供の声を思い起こす。
「綺麗な人でした」
引き取って暫くの間。
警戒心からか、それとも遠慮があったのか、桂は必要以上に大人しい子だった。
何よりも他人の事を優先しようと、細く小さい身体のくせに、怯えるような忍び足で家仕事に従事しようとしていた。
自分はその頃、冬季に入ったのもあって傭兵は休業していた。
立ち上げたばかりの温泉街の自警団での指南役に身を入れていたため、日中以外は桂を目の届く場所に置いておける状況だった。
遊郭から助け出されたばかりの頃は、特に精神面が衰弱しきっていたため、あまり食事を取ろうとしなかった。
けれど数週間がたつ頃には緊張も緩むのか、徐々に食事を取るようになってきた。
腹が見たされれば思考にも余裕ができる。
そのために悲しい思い出を反芻する事も少なくなかったようだが、近所の優しい女将さん、初めてできた友人、親切にしてくれる職人の親父。
そういった人々との日のあたる場所での暮らしは、桂の心を溶かしていった。
街ができたばかりの当時に居を構えたせいか、あの時期は自警団での指南よりも整地作業に駆り出されていた事の方が多かったかもしれない。
隣家(と言っても自分の家が町外れにあるため、少々の距離はあった)がパン屋を営む一家で、よく桂はそこの女将さんから弁当を届けるために作業現場へと通っていた。
街の娘さんから差し入れを貰う事も少なくなかったが、大概はこうして散歩がてら配達を終えた桂と昼食を取った。
寺小屋を少し大きくしたような学校も建築中で、暇を持て余した子供達は家仕事を手伝わされるか、雪遊びに精を出していた。
悪戯をする事も多かったので、学校が完成したらすぐさま放り込んでやろうと考えていたのは自分だけではなく、街中の保護者達の総意だった。
次第に周囲に馴染んでいった桂に、小さな悪戯を仕掛けられた時は叱れば良いのか、打ち解けた事に喜べば良いのか少し悩んだっけね。
まぁ、結果として、学校に放り込んだ所で悪がき共のヤンチャはそうそう止まなかったが。
そうして子供らしい感情を取り戻していくにつれて、桂は自分に甘えるようになっていった。
眠れない夜はベッドにもぐりこみ、子供なりの精一杯の力で抱きつかれた。
背をさすりながら、少し高いくらいのぬくもりは、雪に囲まれた夜には丁度良い湯たんぽ代わりとなった。
寝物語代わりに、大幅に端折った傭兵業のエピソード(派手な冒険談よりは密偵の方が多かった)や、子供の頃のこと、旅の途中の奇妙な出来事、温泉街の人々との昔話なんかをした。
桂からもごくたまに話を聞いた。
「綺麗な人でした」
擦り切れるような泣き声と共に、諦めきった凍てついた声と共に、彼の生まれ育った『獄中』の話を、聞いた。
温泉街で預かっている桂の実母であり、威紺の子を産んだ女。
本名を聞く事は無かった。
そもそも会う機会さえ、ついぞ無かった。
噂だけはよく耳にしていた。
当時、自分が所属していた傭兵団でも通いつめる者は少なくなかったからだ。
綺麗な女だった、と聞く。
フーリュン系の、大陸の血の強い女だったのだろう。
良くも悪くも土臭い民族であるムロマチの歓楽街においては、きりりと背を伸ばす艶姿は荘厳な空気を纏っただろう。
目の前の男の好みそのままだとしみじみ思う。
威紺の姉もまたムロマチの女性らしからぬ、端整な顔立ちに高い背、しなやかで細い四肢、落ち着いた声と所作の女性だった。
そんな隙の無い容姿に反して、中身は存外にあどけない所にこそ惹かれたのだと思う。
綺麗な女だったよ、と言う。
・・・暗闇の中、搾り出すように呟いた子供の声を思い起こす。
「綺麗な人でした」
引き取って暫くの間。
警戒心からか、それとも遠慮があったのか、桂は必要以上に大人しい子だった。
何よりも他人の事を優先しようと、細く小さい身体のくせに、怯えるような忍び足で家仕事に従事しようとしていた。
自分はその頃、冬季に入ったのもあって傭兵は休業していた。
立ち上げたばかりの温泉街の自警団での指南役に身を入れていたため、日中以外は桂を目の届く場所に置いておける状況だった。
遊郭から助け出されたばかりの頃は、特に精神面が衰弱しきっていたため、あまり食事を取ろうとしなかった。
けれど数週間がたつ頃には緊張も緩むのか、徐々に食事を取るようになってきた。
腹が見たされれば思考にも余裕ができる。
そのために悲しい思い出を反芻する事も少なくなかったようだが、近所の優しい女将さん、初めてできた友人、親切にしてくれる職人の親父。
そういった人々との日のあたる場所での暮らしは、桂の心を溶かしていった。
街ができたばかりの当時に居を構えたせいか、あの時期は自警団での指南よりも整地作業に駆り出されていた事の方が多かったかもしれない。
隣家(と言っても自分の家が町外れにあるため、少々の距離はあった)がパン屋を営む一家で、よく桂はそこの女将さんから弁当を届けるために作業現場へと通っていた。
街の娘さんから差し入れを貰う事も少なくなかったが、大概はこうして散歩がてら配達を終えた桂と昼食を取った。
寺小屋を少し大きくしたような学校も建築中で、暇を持て余した子供達は家仕事を手伝わされるか、雪遊びに精を出していた。
悪戯をする事も多かったので、学校が完成したらすぐさま放り込んでやろうと考えていたのは自分だけではなく、街中の保護者達の総意だった。
次第に周囲に馴染んでいった桂に、小さな悪戯を仕掛けられた時は叱れば良いのか、打ち解けた事に喜べば良いのか少し悩んだっけね。
まぁ、結果として、学校に放り込んだ所で悪がき共のヤンチャはそうそう止まなかったが。
そうして子供らしい感情を取り戻していくにつれて、桂は自分に甘えるようになっていった。
眠れない夜はベッドにもぐりこみ、子供なりの精一杯の力で抱きつかれた。
背をさすりながら、少し高いくらいのぬくもりは、雪に囲まれた夜には丁度良い湯たんぽ代わりとなった。
寝物語代わりに、大幅に端折った傭兵業のエピソード(派手な冒険談よりは密偵の方が多かった)や、子供の頃のこと、旅の途中の奇妙な出来事、温泉街の人々との昔話なんかをした。
桂からもごくたまに話を聞いた。
「綺麗な人でした」
擦り切れるような泣き声と共に、諦めきった凍てついた声と共に、彼の生まれ育った『獄中』の話を、聞いた。
無題
保護されたその子があまりにも彼に似ているということで。
傭兵仲間から威紺に連絡があったのは、確か20歳をいくつか越した頃のこと。
裸足の手足は傷だらけで、ろくに食事も与えられていないような、がりがりの子供。
深緑のざんばら髪から覗く目は落ち窪み、ぼんやりとうつろに地面を見ていた。
言われてみればそんな気もした。
というか自分の顔を自分で見る機会なんか、色気商売でもなければそうあるものでもない。
なので、威紺はその子供を見てまず、従弟の幼い頃に似ていると思った。
ということは逆説的に考えて、確かに自分に似ている、ということだった。
遊郭街から逃げ出して、追っ手に捕まりかけていたところを、どこかの傭兵が助け出したらしい。
おいおい、そりゃ犯罪じゃねえか、と思った。
そりゃあまぁ遊郭街に居る子供なんか、大体が違法なルートで集められて来た子らだし。
そうでなくとも親もはっきりしていない、当然戸籍などないような子供ばかりである。
しかし一応その子らも、それぞれの置屋からすれば、『財産』の一部なのだ。
命ある財産・・・いうなれば牛馬と同じ扱いである。
脱出の手助けなんぞしたら、そりゃあ『窃盗』に当たる。
まぁ、後ろ暗い手段で手に入れたものであるから、被害届を出されることはあまり無いが。
それにしても一度遊郭に入った者は、年季が明けるまでそこで暮らして行くしかない。
この子供も大方、売られて来た口だろう。
その後に歩むだろう道を思うと、返すというのは可哀想だが、厄介事には巻き込まれたくない。
自分の手には負えないと言おうとしたが、護送してきた若い傭兵が次に言った言葉で、
威紺は目の前が暗くなるのを感じた。
『その子を連れ出したのはな、あまり大きな声では言えないんだが、ジンのオッサンでな』
ジン。
本名を何と言ったか、確か長ったらしい横文字名の、れっきとしたコリアス人の筈だったんだが。
ムロマチ風の文化をこよなく愛し、自分のことは『甚吉』と呼べとよくがなっていた。
威紺とは親子ほども違う歴戦の傭兵で、確か威紺よりも年上の一人娘がいたはずだ。
だからか、そのくらいの娘を見ると妙に肩入れしてしまう癖があり、
その悪癖がたまに作戦行動に支障を出したり、強面のせいで相手に変質者扱いされることもあるような、
いまいち運のない人物だった。
しかしその運の無さが憎めない人物でもあり、まだ幼いといっていい程若かった若かった威紺も、
よくからかったものだったが。
確かつい昨年の秋、嫁入りの日取りまで決まっていたその娘が、流行り病に倒れてから。
傭兵としての仕事をあまり受けなくなり、精神的にもどこかおかしくなって妻とも離縁し、
どこぞの歓楽街に入り浸っていると聞いていた。
歓楽街で何をしていたのかは知らない。
威紺が知っていた頃のジンは、遊興には積極的な方ではあったが、妻子を裏切る遊びはしない男だった。
『・・・・まさか。・・・ジン吉のオッサンが、潜ってたってェ歓楽街、ってのは・・・』
喉が渇く。
そうか・・・何で『その』可能性を、考えなかったんだ。
◆
「あの時。酒で上機嫌になった先輩らが、お前もそろそろ女を覚えてみるかと、無責任に煽ったんだ」
鉛色が重さを増す。空を覆う雲が、分厚くなって来た証拠だ。
昼過ぎの、まだそれなりに高い位置にある筈の太陽は、完全に覆い尽くされて見えなくなっていた。
「おれは正直あまり興味は無かった。
女というとおれの知っている限りは、うるさくて泣き虫で弱くて、世話のかかる子供みたいな存在だったしな。
姉貴のような肝の据わった、かといって堅苦しくもない女は、外の世界ではそうそう見なかった。
まぁ・・・、姉貴至上主義だった、って部分もある。その頃からな・・・」
けれど団長はその話に乗り気になって。
宴席に借りていた食事屋の女将に、女を何人か頼むと言い出した。
出来れば小慣れていて、それでもって若い方がいい、と。
見ての通り、こいつは野猿のようなガキだから、変に上品な女はいらねぇ。
ただまぁ、後々の記念になるようないい女にしてやってくれ、金は多少かかってもいい。
◆
女将は少し首を傾げたが、そうだね、今なら・・・いい妓がいるにはいるよ、と。
ちょいと頭は足りないが気立てもいいし、何より滅多にないほどの器量良しだ。
威紺は初めて覚えた酒を煽りながら、ぼんやりとしていた頭で『どうでもいい』と思っていた。
どんなに綺麗な女だったとしても、姉以上の美女ではないだろうと。
ほどなくして、
席に呼ばれた女たちは艶やかな着物を纏って、きらびやかな簪をいくつも髪に挿していた。
遊女というものも見たことがないでは無かったが、確かにこれは・・・男共の目を奪って然るべきだ。
特に傭兵たちの目を引いていたのは、ひときわ背の高い一人の娘だった。
白く細い輪郭の中に、深く切れ込んだ目と尖った鼻と整った唇が、まるで人形のように丁寧に配置されている。
つんと澄ましたような、どこか納得していないような、不機嫌そうにも見える表情。
『葛木』とだけ言葉少なに呟いた彼女は、確かに天女のように美しい女ではあったが、
何か気取っているように見えて威紺はあまり好きだとは思わなかった。
確かにうるさく泣いたりはしなさそうに見えたが。
団長が『この中で一番高価い女は誰だ』と問うと女将が葛木だというので、
自動的に威紺の相手は彼女に決まったようだった。
他の傭兵たちが陽気に飲んで騒ぎ、乱痴気騒ぎを始めた頃でも、威紺と葛木は一言も口を利かなかった。
ただ威紺は酒を飲み。減るたびに葛木が注ぐ。
やがて時は過ぎ、用意された部屋で各々朝までの時間を、過ごすこととなった。
『ジン吉』と自称する中年傭兵だけが、遊女たちに一包みずつの小遣いを渡して帰り支度をする。
先輩やら団長が消えて行く背中を見て、威紺は助けてくれと言いそうになった。
確かに器量がいいのかも知れないが、無口で無愛想で何やら狐のように目尻の吊った女と二人。
これでどうやって朝まで『楽しく』過ごせというのか。落ち着いて眠ることさえ出来なさそうだ。
団長は『これも経験』とでも言いたげに笑い、先輩たちは各々自分の相手に夢中だった。
ジンだけが少し心配そうな目付きで威紺を見たが、まぁいいだろうとでもいう風に息を吐いた。
女将に宛がわれたのは布団だけが敷いてある広い部屋だったが、
威紺はどうしていいかわからず部屋の隅にどかっと座った。
『・・・だんはん?』
どこか固い声音で葛木が呟く。
そこに混ざった感情が、どういうものなのか、威紺にはわからない。
打掛を脱いで襦袢姿になると、布団に膝をついてもう一度、葛木が『だんはん?』と呟く。
『お前さぁ』
『?』
やっと口を開いた威紺の言葉は、問いを問いで返すようなものだった。
『怒ってんの?』
『えっ』
何を言っているのかわからないという顔をして、葛木はその整った白い顔を隅に座る少年に向けた。
『だって名乗ったきり、ひとっことも喋らねぇじゃん?
他の女どもはべちゃくちゃべちゃくちゃ、そりゃあ何が楽しいんだってェくらいに、
喋って笑って騒いでたってェのに』
初めての酒に悪酔いして絡み口調になっていたのかも知れない。
葛木は少し困ったような顔をすると、『・・・だって、おら・・・』と蚊が鳴くくらいに小さく呟いた。
『・・・・・・おら・・・?』
聞き返されて、はっと口元を押さえ、目を見開く。
糸のように細いと思っていた目が、実は随分と黒目がちだからそう見えていただけだということに、
改めて威紺は気付く。
ぱっちりと開いた彼女の瞳は、吸い込まれそうに大きくて、夜空の色に澄んでいた。
『あ、ち、違うだ! あ、あちき・・・そう、あちき・・・は、その、話すとまだ、お国・・・の・・・』
慌てて弁解をしようとする姿で、やっと同年代と思しき少女だと認識し、威紺が近付いた。
『いーじゃん、国言葉。生まれてから使って来た言葉だろ、何か恥じ入る必要でもあんのか?』
さらに目をぱちくりと見開く葛木。
『・・・だって、おかあはんが、外界の話し方は、下品だって・・・』
『おかあはん? 母親も同じ仕事してんのか??』
『あ、ううん、違う。おかあはんは、置屋の女将(おかあ)はん。おらのかっちゃは、国にいる・・・』
『・・・・・・? ふうん??』
威紺は目の前の少女が、今その肉体を自分に差し出そうとしていることよりも、
少女の持つ『物語』の方に興味を持ち始めていた。
『国ってさ、どこ?』
『・・・わからない。ただここより、寒い寒いとこだ。
そんでもおら、とっちゃもかっちゃもいて、弟や妹もたくさんいた国が、好きだったよ』
『へぇそうなのか。じゃあそのうち国に帰るのか?』
『・・・・・・。どう帰ればいいか、わからないだよ。
それに、名のあるだんはんに身請けして貰える姐はんらはともかく、おらたちは街の塀を越えるだけで、
怖い目に遭わされるだよ・・・』
俯く少女を見ると可哀想な気にもなった。
だから威紺は少しばかりなら、啖呵を切ってもいいかという気になった。
『でも帰りたいんだろ?
じゃあおれがそのうち、『名のあるだんはん』とやらになったら、お前を外に出してやってもいいぜ』
『えっ!?』
少女の顔が一瞬輝く。
その時、初めて威紺はこの『葛木』という娘が、どうしてそんなに男受けするのかが、
わかったような気がした。
本当に嬉しそうな顔をするのだ。先程までの狐面が嘘のように。
『ふっ、おれもこう見えて団では、ちょっとした有望株でな。
まぁあと2~3年もすりゃあ、名だって知られるようになるさ』
本気でそう思っていた。
そして実際この2年ばかり後には、その世界じゃ知らない者がいないという程度には、
名が通るようになっていた。
『わぁ、すごいすごいな! だんはん、すごいなぁ!!』
葛木は無邪気に喜んだ。
その様子を見て、確かに綺麗・・・いや可愛いなと、威紺は薄く頬を染めた。
『そのさ。だんはん、っていうの、やめようぜ。おれとお前は見たところ、大体同じくらいじゃねぇか』
どうにも気恥ずかしくて、威紺は眉をしかめた。
『そう? だんはん幾つ?? おらは今年で多分、19になるけど』
『あっ、じゃあおれの方が下じゃんか。おれはもうすぐ16になるからな』
『そうかぁ。じゃあおらのこと、姐はんと呼んでええ』
『抜かせ。おれは威紺ってんだ。だからそう呼べ』
くすくすと、悪戯っこ同士のように笑い、少年と少女は名を教え合った。
『いこん、ね。おかあはんや姐はんに聞かれたら叱られるから、
二人だけの時にそう呼ぶべ』
『あぁ、そうしろ』
そうしてその晩は朝になるまで互いの故郷の話をし、
一応仕事だからと、葛木の手引きの元、その細く柔らかな肢体も味わった。
それからしばらくの間、葛木の存在が威紺の頭を、離れることは無かった。
それが恋だったのかどうか。今になっても・・・威紺にはわからない。
初めて知った女の体に酔っていただけかも知れないし。
『可哀想な少女を救う』という、少年らしいヒロイズムに、酔っていただけかも知れない。
◆
「どんよりと曇った目でこっちを見た桂が、『・・・いこん?』とおれに呟いた時、
その言い方があまりにも『彼女』にそっくりでな・・・。
おれは、悪夢を見ているんじゃないかと、思った」
額を押さえて、はぁ、と、重い空気を吐き出す。
傭兵仲間から威紺に連絡があったのは、確か20歳をいくつか越した頃のこと。
裸足の手足は傷だらけで、ろくに食事も与えられていないような、がりがりの子供。
深緑のざんばら髪から覗く目は落ち窪み、ぼんやりとうつろに地面を見ていた。
言われてみればそんな気もした。
というか自分の顔を自分で見る機会なんか、色気商売でもなければそうあるものでもない。
なので、威紺はその子供を見てまず、従弟の幼い頃に似ていると思った。
ということは逆説的に考えて、確かに自分に似ている、ということだった。
遊郭街から逃げ出して、追っ手に捕まりかけていたところを、どこかの傭兵が助け出したらしい。
おいおい、そりゃ犯罪じゃねえか、と思った。
そりゃあまぁ遊郭街に居る子供なんか、大体が違法なルートで集められて来た子らだし。
そうでなくとも親もはっきりしていない、当然戸籍などないような子供ばかりである。
しかし一応その子らも、それぞれの置屋からすれば、『財産』の一部なのだ。
命ある財産・・・いうなれば牛馬と同じ扱いである。
脱出の手助けなんぞしたら、そりゃあ『窃盗』に当たる。
まぁ、後ろ暗い手段で手に入れたものであるから、被害届を出されることはあまり無いが。
それにしても一度遊郭に入った者は、年季が明けるまでそこで暮らして行くしかない。
この子供も大方、売られて来た口だろう。
その後に歩むだろう道を思うと、返すというのは可哀想だが、厄介事には巻き込まれたくない。
自分の手には負えないと言おうとしたが、護送してきた若い傭兵が次に言った言葉で、
威紺は目の前が暗くなるのを感じた。
『その子を連れ出したのはな、あまり大きな声では言えないんだが、ジンのオッサンでな』
ジン。
本名を何と言ったか、確か長ったらしい横文字名の、れっきとしたコリアス人の筈だったんだが。
ムロマチ風の文化をこよなく愛し、自分のことは『甚吉』と呼べとよくがなっていた。
威紺とは親子ほども違う歴戦の傭兵で、確か威紺よりも年上の一人娘がいたはずだ。
だからか、そのくらいの娘を見ると妙に肩入れしてしまう癖があり、
その悪癖がたまに作戦行動に支障を出したり、強面のせいで相手に変質者扱いされることもあるような、
いまいち運のない人物だった。
しかしその運の無さが憎めない人物でもあり、まだ幼いといっていい程若かった若かった威紺も、
よくからかったものだったが。
確かつい昨年の秋、嫁入りの日取りまで決まっていたその娘が、流行り病に倒れてから。
傭兵としての仕事をあまり受けなくなり、精神的にもどこかおかしくなって妻とも離縁し、
どこぞの歓楽街に入り浸っていると聞いていた。
歓楽街で何をしていたのかは知らない。
威紺が知っていた頃のジンは、遊興には積極的な方ではあったが、妻子を裏切る遊びはしない男だった。
『・・・・まさか。・・・ジン吉のオッサンが、潜ってたってェ歓楽街、ってのは・・・』
喉が渇く。
そうか・・・何で『その』可能性を、考えなかったんだ。
◆
「あの時。酒で上機嫌になった先輩らが、お前もそろそろ女を覚えてみるかと、無責任に煽ったんだ」
鉛色が重さを増す。空を覆う雲が、分厚くなって来た証拠だ。
昼過ぎの、まだそれなりに高い位置にある筈の太陽は、完全に覆い尽くされて見えなくなっていた。
「おれは正直あまり興味は無かった。
女というとおれの知っている限りは、うるさくて泣き虫で弱くて、世話のかかる子供みたいな存在だったしな。
姉貴のような肝の据わった、かといって堅苦しくもない女は、外の世界ではそうそう見なかった。
まぁ・・・、姉貴至上主義だった、って部分もある。その頃からな・・・」
けれど団長はその話に乗り気になって。
宴席に借りていた食事屋の女将に、女を何人か頼むと言い出した。
出来れば小慣れていて、それでもって若い方がいい、と。
見ての通り、こいつは野猿のようなガキだから、変に上品な女はいらねぇ。
ただまぁ、後々の記念になるようないい女にしてやってくれ、金は多少かかってもいい。
◆
女将は少し首を傾げたが、そうだね、今なら・・・いい妓がいるにはいるよ、と。
ちょいと頭は足りないが気立てもいいし、何より滅多にないほどの器量良しだ。
威紺は初めて覚えた酒を煽りながら、ぼんやりとしていた頭で『どうでもいい』と思っていた。
どんなに綺麗な女だったとしても、姉以上の美女ではないだろうと。
ほどなくして、
席に呼ばれた女たちは艶やかな着物を纏って、きらびやかな簪をいくつも髪に挿していた。
遊女というものも見たことがないでは無かったが、確かにこれは・・・男共の目を奪って然るべきだ。
特に傭兵たちの目を引いていたのは、ひときわ背の高い一人の娘だった。
白く細い輪郭の中に、深く切れ込んだ目と尖った鼻と整った唇が、まるで人形のように丁寧に配置されている。
つんと澄ましたような、どこか納得していないような、不機嫌そうにも見える表情。
『葛木』とだけ言葉少なに呟いた彼女は、確かに天女のように美しい女ではあったが、
何か気取っているように見えて威紺はあまり好きだとは思わなかった。
確かにうるさく泣いたりはしなさそうに見えたが。
団長が『この中で一番高価い女は誰だ』と問うと女将が葛木だというので、
自動的に威紺の相手は彼女に決まったようだった。
他の傭兵たちが陽気に飲んで騒ぎ、乱痴気騒ぎを始めた頃でも、威紺と葛木は一言も口を利かなかった。
ただ威紺は酒を飲み。減るたびに葛木が注ぐ。
やがて時は過ぎ、用意された部屋で各々朝までの時間を、過ごすこととなった。
『ジン吉』と自称する中年傭兵だけが、遊女たちに一包みずつの小遣いを渡して帰り支度をする。
先輩やら団長が消えて行く背中を見て、威紺は助けてくれと言いそうになった。
確かに器量がいいのかも知れないが、無口で無愛想で何やら狐のように目尻の吊った女と二人。
これでどうやって朝まで『楽しく』過ごせというのか。落ち着いて眠ることさえ出来なさそうだ。
団長は『これも経験』とでも言いたげに笑い、先輩たちは各々自分の相手に夢中だった。
ジンだけが少し心配そうな目付きで威紺を見たが、まぁいいだろうとでもいう風に息を吐いた。
女将に宛がわれたのは布団だけが敷いてある広い部屋だったが、
威紺はどうしていいかわからず部屋の隅にどかっと座った。
『・・・だんはん?』
どこか固い声音で葛木が呟く。
そこに混ざった感情が、どういうものなのか、威紺にはわからない。
打掛を脱いで襦袢姿になると、布団に膝をついてもう一度、葛木が『だんはん?』と呟く。
『お前さぁ』
『?』
やっと口を開いた威紺の言葉は、問いを問いで返すようなものだった。
『怒ってんの?』
『えっ』
何を言っているのかわからないという顔をして、葛木はその整った白い顔を隅に座る少年に向けた。
『だって名乗ったきり、ひとっことも喋らねぇじゃん?
他の女どもはべちゃくちゃべちゃくちゃ、そりゃあ何が楽しいんだってェくらいに、
喋って笑って騒いでたってェのに』
初めての酒に悪酔いして絡み口調になっていたのかも知れない。
葛木は少し困ったような顔をすると、『・・・だって、おら・・・』と蚊が鳴くくらいに小さく呟いた。
『・・・・・・おら・・・?』
聞き返されて、はっと口元を押さえ、目を見開く。
糸のように細いと思っていた目が、実は随分と黒目がちだからそう見えていただけだということに、
改めて威紺は気付く。
ぱっちりと開いた彼女の瞳は、吸い込まれそうに大きくて、夜空の色に澄んでいた。
『あ、ち、違うだ! あ、あちき・・・そう、あちき・・・は、その、話すとまだ、お国・・・の・・・』
慌てて弁解をしようとする姿で、やっと同年代と思しき少女だと認識し、威紺が近付いた。
『いーじゃん、国言葉。生まれてから使って来た言葉だろ、何か恥じ入る必要でもあんのか?』
さらに目をぱちくりと見開く葛木。
『・・・だって、おかあはんが、外界の話し方は、下品だって・・・』
『おかあはん? 母親も同じ仕事してんのか??』
『あ、ううん、違う。おかあはんは、置屋の女将(おかあ)はん。おらのかっちゃは、国にいる・・・』
『・・・・・・? ふうん??』
威紺は目の前の少女が、今その肉体を自分に差し出そうとしていることよりも、
少女の持つ『物語』の方に興味を持ち始めていた。
『国ってさ、どこ?』
『・・・わからない。ただここより、寒い寒いとこだ。
そんでもおら、とっちゃもかっちゃもいて、弟や妹もたくさんいた国が、好きだったよ』
『へぇそうなのか。じゃあそのうち国に帰るのか?』
『・・・・・・。どう帰ればいいか、わからないだよ。
それに、名のあるだんはんに身請けして貰える姐はんらはともかく、おらたちは街の塀を越えるだけで、
怖い目に遭わされるだよ・・・』
俯く少女を見ると可哀想な気にもなった。
だから威紺は少しばかりなら、啖呵を切ってもいいかという気になった。
『でも帰りたいんだろ?
じゃあおれがそのうち、『名のあるだんはん』とやらになったら、お前を外に出してやってもいいぜ』
『えっ!?』
少女の顔が一瞬輝く。
その時、初めて威紺はこの『葛木』という娘が、どうしてそんなに男受けするのかが、
わかったような気がした。
本当に嬉しそうな顔をするのだ。先程までの狐面が嘘のように。
『ふっ、おれもこう見えて団では、ちょっとした有望株でな。
まぁあと2~3年もすりゃあ、名だって知られるようになるさ』
本気でそう思っていた。
そして実際この2年ばかり後には、その世界じゃ知らない者がいないという程度には、
名が通るようになっていた。
『わぁ、すごいすごいな! だんはん、すごいなぁ!!』
葛木は無邪気に喜んだ。
その様子を見て、確かに綺麗・・・いや可愛いなと、威紺は薄く頬を染めた。
『そのさ。だんはん、っていうの、やめようぜ。おれとお前は見たところ、大体同じくらいじゃねぇか』
どうにも気恥ずかしくて、威紺は眉をしかめた。
『そう? だんはん幾つ?? おらは今年で多分、19になるけど』
『あっ、じゃあおれの方が下じゃんか。おれはもうすぐ16になるからな』
『そうかぁ。じゃあおらのこと、姐はんと呼んでええ』
『抜かせ。おれは威紺ってんだ。だからそう呼べ』
くすくすと、悪戯っこ同士のように笑い、少年と少女は名を教え合った。
『いこん、ね。おかあはんや姐はんに聞かれたら叱られるから、
二人だけの時にそう呼ぶべ』
『あぁ、そうしろ』
そうしてその晩は朝になるまで互いの故郷の話をし、
一応仕事だからと、葛木の手引きの元、その細く柔らかな肢体も味わった。
それからしばらくの間、葛木の存在が威紺の頭を、離れることは無かった。
それが恋だったのかどうか。今になっても・・・威紺にはわからない。
初めて知った女の体に酔っていただけかも知れないし。
『可哀想な少女を救う』という、少年らしいヒロイズムに、酔っていただけかも知れない。
◆
「どんよりと曇った目でこっちを見た桂が、『・・・いこん?』とおれに呟いた時、
その言い方があまりにも『彼女』にそっくりでな・・・。
おれは、悪夢を見ているんじゃないかと、思った」
額を押さえて、はぁ、と、重い空気を吐き出す。
自己紹介
HN:
伽藺(カリン)・クイン
HP:
性別:
女性
職業:
アッシュ医師の妻/ナハリ軍務補佐官
趣味:
家事、お茶、お喋り
自己紹介:
医師アッシュ・クインの妻である柳の樹妖。
外見年齢は20歳ほど、実年齢は20代後半。
夫との間に男女の双子あり。
性格はおっとり。
行動は良く言えば優雅、悪く言えばどんくさい。
少し急ぐとすぐ転ぶ。
ネバーランド・ナハリ国の軍務省にも補佐官として所属している。
ユエルティートという名の少女を、小鳥と思い込んでペットとして飼っていたことがあり、
人の姿を現した今でも、娘代わりとして可愛がっている。
義兄にはウィルフェア氏とティーラ氏。氏の家族や同居人諸氏とも懇意で、何かとお世話になっている。
お茶が大好きでお茶菓子も好き。
甘党で大食漢。カロリーコントロールを言い渡されるレベル。
外見年齢は20歳ほど、実年齢は20代後半。
夫との間に男女の双子あり。
性格はおっとり。
行動は良く言えば優雅、悪く言えばどんくさい。
少し急ぐとすぐ転ぶ。
ネバーランド・ナハリ国の軍務省にも補佐官として所属している。
ユエルティートという名の少女を、小鳥と思い込んでペットとして飼っていたことがあり、
人の姿を現した今でも、娘代わりとして可愛がっている。
義兄にはウィルフェア氏とティーラ氏。氏の家族や同居人諸氏とも懇意で、何かとお世話になっている。
お茶が大好きでお茶菓子も好き。
甘党で大食漢。カロリーコントロールを言い渡されるレベル。
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