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うつつ世とまどろみの境を泳ぐ、とある妖の手記・・・らしいもの
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ぱたん、と。本が閉じられる

「遅い」

医師の鼻筋に皺が寄る。
数刻前とは打って変わって、あからさまに機嫌を損ねていた。

外はすっかり暗くなっている。



「逃げたのではないだろうな・・・」

もし本気で伽藺が、医師の元から逃げることを考えていたなら、
先ほど彼が寝ていた間に、逃げていただろう。
冷静に考えればそう判断できても、怒りの感情はそういった理性や、
賢明さを欠如させる。

一度そう考えると、上機嫌に任せて獲物を簡単に外に出した、
己の軽率さえ腹立たしく思えて来た。
それだけ彼は、『怒り』という感情に耐性が無く、短気だった。

医師の苛付きがピークに達しそうな頃合い。
玄関から騒々しい音がして、廊下を駆け抜ける人影があった。

「待て」

褐色の手が、尻尾のように踊る深緑の後ろ髪を、捕まえた。
走っていたところを、後ろに強く引っ張ったため、
伽藺の身体は、そのままずるりと、床の絨毯へとへと倒れ込む。
体勢を整える暇も無ければ、それだけの平衡感覚も敏捷性も、
この樹妖は持ち合わせていなかった。

完全に、背中が床に着地しことを確認すると、医師は、
コートを羽織ったままの肩を、体重を掛けて踏み付けた。
それだけでこの華奢な体は、完全に身動きが封じられる。

「早く帰れ、と、言ったはずだ。
一体何時間かかっている。どこをほっつき歩いていた?」

晩秋の外気で冷えた肩に、ぐりぐりと靴の固さが押し込まれる。
戻って来たと安堵はしたものの、堪った苛々はぶつけてしまわねば、
気が済まない。
ちら、と散乱した買い物袋の中身を、見遣る。
調味料と食材。いくばくかの衣服。その他に・・・。
食材の一種なのだろうか?
正体のわからない包みが、いくつか見当たった。

「やけに大量に買ったものだ。調味料にしては、多い、多過ぎる。
買って来たのは、誰の金だ? ・・・俺の金だな。
それを断りもせず、隠すようにさっさと持っていくとは、
どういうことだ?」

冷たく言い放ちながら、靴先で細く尖った顎を蹴る。
線の細い眉と唇が痛みに歪み、口内に血の味が広がった。

「貴様は礼儀がなってない。・・・調教が必要のようだな?」

しかし、暴行と言えるのかも知れない、医師の叱責は、
その場では比較的速やかに終了した。
大股で立ち去る背中を、柳葉を垂らしつつ見送った。

謝罪を述べようにも、蹴られた拍子に口の中は、切っていたし。
そもそも謝罪は嫌いだと、彼自身が最初に述べていた。
ならば許しを乞う方法は一つ。
散らばった食材を拾い小さく呟く。

「だって、これ、本当に。美味しいんです、・・・から」



この人物と過ごして、まだたったの、一日程度なのだが。
胸の中には確実に、何らかの感情が育っていることに、
伽藺は気が付いていた。

『恐怖』ではない。
彼が、次々と繰り出して来る暴虐が、恐ろしくない訳でも、
無いのだけれど。

彼が求めているのであろう、『畏怖』・・・でもない。
畏怖の対象とするには、何だろう、この人物は天衣無縫だ。

では、かつて『あの子』に感じていたような、『保護欲』?

・・・まさか。
自分などが保護するまでもなく、この人物は生きて行けるだろう。
他者の領分までを侵略しつつ。

そう、そのどれも違う。上手く言葉が見つからないけれど。
力関係を主張したと思ったら、睡眠欲に任せて倒れ込む。
かと思えば、上機嫌で食事をかっ込み、待たせれば激昂する。

これじゃあなんだか、何だか、人というよりも・・・。



夕食の支度は、手早く暖かく。
馴染んだ食材さえあれば、伽藺もそれなりに手が遅い方では、
無かった。

ほっくりと、柔らかく煮たジャガイモと、風味の豊かな牛肉。
人参といんげん豆で、彩りも鮮やかな肉じゃが。
豆腐と大根の味噌汁は、かつお一番出汁がいい香り。
浅漬けの白菜には軽く柚子を刻み。
米は軽く酒を混ぜて、土鍋でふわりと炊いた。
こうして炊くと、風味と甘さ、艶が増す。
あとは炙り焼きの椎茸に、少量のぽん酢を添えて・・・。

よほど、倭食と相性が悪くない限り、この食卓に文句を、
付けることは無いだろう。
盆に盛り付けると、ワゴンで廊下を進み、医師の自室に向かい、
二度、はっきりとしたノックを、響かせた。

部屋に入ると、なるべく殊勝な表情で、アッシュ医師に告げた。

「お買い物が多くなってしまってすみません。
なるべく美味しくて、栄養のあるものを、食べていただきたくて」

それだけを告げると、ワゴンを置いて退室の礼をする。

次は食後の『あれ』だ。
タイミング良く出すためにも、早く拵えなければ・・・。

「ほう」

書き散らしたカルテに再び、目を通すアッシュ医師の表情からは、
もう不機嫌さというものが消えていた。
というか、不機嫌だったこと自体、どうでもよくなっていたようだ。
それより目前に広げられた、珍しい献立の数々に、期待を膨らませる。

「和食というものは、友人に連れられて何度か定食屋などで、
食ったことがあったが。
まさか、自宅で食えるとは、思わなかった」

目の前に配膳された食事からは、
温かくて美味しそうな湯気がたち上っている。
匂いは、食材の風味を損ねることなく、柔らかに漂っている。
何度か嗅いでいるので知っている。
これは『醤油』と『味醂』、それから魚の出汁の匂いだ。

アッシュは通常、薬品や書物の多いこの自室では、
好んで食事を摂らないことにしていた。
そのため、リビングではなく自室に持ってきたことに対して、
まずケチをつけようかと思ったが、この食膳をひっくり返すのは、
少々惜しいように思い。

だから今回は、何も言わないでおくことに、した。

先程の不機嫌は、発散されたことにより、落ち着きを戻していた。
何より獲物は無事に、手元に帰ってきたのだから。
そう考えると、もう少しこの獲物の顔を、眺めたい気分になった。

放し飼いにしても逃げず、清潔な住居と悪くはない食卓を用意する、
怯えて縮こまるのではなく、積極的に話し掛けて来ようともする。
医師は、煩いのは好きではなかったが、懐かれて不快になるほどの、
ひねくれ者でもなかった。

(これは良い拾い物だったろうか)

そう思うと、緊張感のなさを全身で体現したような、この獲物にも、
愛着のような感情が沸いて来る。

「・・・もう行くのか?
どうせすることもないのだろう、食事中の話し相手にでもなれ」

食後の用意を、しに行くなどとは思いもせず、
部屋を去ろうとする伽藺を引き留めた。
少し困った顔をしたようだが、部屋にある椅子の一つに座ったので、
それ以上はアッシュも何も言わなかった。

別に、実験動物の感情がどう動こうが、彼は気にしない。
それどころか、困り顔をするのや、苦しむ様子を見るのは、
むしろ好ましいところだ。



少々慣れない手つきながらも『箸』に手を伸ばす。
一応は不便なく扱えるらしく、 ジャガイモを摘んで口に運ぶ。

「ふむ、出汁がよく染みている。これは何という料理だ?」

これは何だ、これは何だ、と聞きながら、興味深げに食していく。
特別、料理が得意という訳ではない伽藺でも、
やはり、嬉しそうに食べて貰うと、嬉しくなってしまう。
しかも色々と、尋ねて来るものだから、教えたくもなる。

「お肉とジャガイモを、煮込んであるから、
肉じゃがと呼ばれるのです。
ムロマチでは、家庭料理とされてますが、その歴史は浅くて、
元は限られた倭の調味料で、ビーフシチューを作ろうとしたのが、
始まりなんだそうですよ」

そこから始まって、味噌が大豆から出来ていることとか、
浅漬けだけではない、漬物の種類のことなども、話した。

「なるほど。よくものを知っているじゃないか。
料理の仕方に、興味がある訳ではないが、博識な奴は嫌いじゃない。
話し相手としては、合格といっていい」

ぽん、とアッシュが伽藺の頭に手を置き、ぐりぐりと撫でる。
一応は褒めているようだった。
それを受けて伽藺も少し笑顔を見せる。

「ビーフシチューの作り方は、良く存じ上げませんが、
王宮付属の図書館に、料理の本がありましたから、
調べて今度お作りしますね。
和食ばかりでは・・・、飽きが来ますでしょうし・・・」

『今度』の話をして、自分が逃げるつもりは無いことを、
伽藺は暗に示してみた。
その言外の含みに、気が付いたのか、付いていないのか。
少し考えたように箸を止め、緑の樹妖に言い付けた。

「そうだな、明日にはチェスに、付き合え。
軍務に斡旋されるくらいだ、戦略ゲームは苦手ではなかろう」

その誘いは、話し相手になる、と判断されたためだった。
そうでなかったら、やはりこの先も昨日のまま、道具としてしか、
扱いはしないだろう。

天上天下唯我独尊、天は俺の上に人を作らず、を信条とする、
アッシュにとって。
人を、自分の上だったり同等にみるということは、勿論ないとしても、
対象とするその人物に、知恵があると認められれば、
話し相手として、自分と同列に近い位置で、接しようと思える。

『人なつっこい』部分など、勿論彼には欠片も無かったが、
知識欲だけは人一倍あり、また、軽い冗談を交えた会話を愉しむ術も、
知らないわけでは無かった。

「チェス・・・ですか・・・?」

軍人将棋の一種であることは、伽藺も知ってはいるが、
実際にやったことは無い。

「そうですね、教えていただけるなら、喜んで」

『将棋』ならば知っている。郷里では弟を相手に、よく遊んだものだ。

伽藺は、特別強い方でもないが、弱い方でもない。
兵士たちの士気を操ることや、将の判断を狂わせることは得意ではあるが、
駒を効率的に運ぶ方法に、長けているわけではない。
それが、属性『幻』たる所以である。精神のない相手には効かない。

寧ろその技能が高いのは弟の方であった。
彼は駒を『勢力』と見なし、そのルーチンを理解して、捕らえる。
駒に個々の個性は必要とせず、ただ戦力と移動力のみを、問題とする。
伽藺はそんな弟から、王手をたまにしか、取ることは出来なかった。

しかし逆に考えるとすれば、戦略ゲームに長けた相手と、
長く遊んでいたおかげで、それなりの技術は身に付いていると、言える。
ごく普通の、『将棋好き』程度の相手とならば、
いい勝負を展開することが出来るだろう。

もっとも、チェスというゲームについては、全くの未経験なので、
最初はアッシュ医師について、覚えるだけで精一杯になるのだろうが。
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自己紹介
HN:
伽藺(カリン)・クイン
性別:
女性
職業:
アッシュ医師の妻/ナハリ軍務補佐官
趣味:
家事、お茶、お喋り
自己紹介:
医師アッシュ・クインの妻である柳の樹妖。
外見年齢は20歳ほど、実年齢は20代後半。
夫との間に男女の双子あり。

性格はおっとり。
行動は良く言えば優雅、悪く言えばどんくさい。
少し急ぐとすぐ転ぶ。
ネバーランド・ナハリ国の軍務省にも補佐官として所属している。

ユエルティートという名の少女を、小鳥と思い込んでペットとして飼っていたことがあり、
人の姿を現した今でも、娘代わりとして可愛がっている。
義兄にはウィルフェア氏とティーラ氏。氏の家族や同居人諸氏とも懇意で、何かとお世話になっている。

お茶が大好きでお茶菓子も好き。
甘党で大食漢。カロリーコントロールを言い渡されるレベル。
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