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夜のエディンは、日中の陽射しがうそであるかのように涼しく、乾いた風が髪や頬を撫でていった。
そこに、よく似た姿の兄妹がゆったりと、夜着をひらめかせて歩いてゆく。
庭は緑豊かで、多くの花が咲いているように見受けられたが、その殆どが多肉植物の一種であるようだ。
乾いた地方は乾いた地方で、やはり植物も独自進化を、するのだろう。
「姉は外の世界の・・・特に倭人の方が嫌いなんです」
細い声が言葉を紡ぐ。
どこか思い詰めたような細くて高い声。
自分ではよくわからないけれど常々、女性化した伽藺の声を甲高いと評している夫に聞けば、
またよく似ているというのだろうか?
「それは父さまに対しても同じ・・・。
あまりに幼い頃から父に反発するものだから、今では父自身もあまり私たちに構わないように、なってしまいました。
私だけは夢見師の修業をしている関係で、まだ父や母には可愛がって貰えますけどね。
カルタもあの通り屈託がないからいいんですが、カルラやユノはかわいそう・・・だと、・・・思います」
カルラという名の末の妹は、幼いながらに寡黙で毒舌で、どこか大人っぽい雰囲気を持つ少女だ。
(共通語がまだあまり流暢ではないようなので、伽藺からすればあまり喋る印象がないからかも知れないが)
考えてみればあの冷静さは、幼さに似合わない諦めを重ねた末に、得たものなのかも知れない。
ユノという末弟に至ってはまだ幼過ぎて、分析のしようもないのだけれど。
カルタもそんな悩みには無縁なように思えるが、ひょっとすればあの明るさや少年っぽい活発さ、
アッシュにやたら懐く態度などは、父親の影が薄いことでのの寂しさが、影響しているのかもしれない。
「そう・・・ですか・・・。
親がすぐ近くにいるのによそよそしいというのは、離れて暮らしているよりも淋しいことかも、知れませんね」
「あ・・・すみません。カリン兄様は両親の側にさえ、いなかったというのに」
「いいえ、私にはよくしてくださる方たちが、おりましたから」
里長家の者という立場上、表に見える形での不自由は無かった。
異人の子だと言外の迫害は受けたが、それは特に言う事でもないだろう。
「そう・・・ですか、はい。私たちにも・・・、サーシャがいてくれたから・・・」
あの騒がしい老婆は末弟にはいたく懐かれていたようだ。
「ええ、ああいう方の存在は、頼もしいものですよね。
けれど・・・ジータ様は何故そこまで、倭人を嫌っているの・・・です?」
「その理由も説明したいと思って」と、ジーナは幼い娘に不釣り合いなほどに、しっかりと言葉を紡いだ
夕食の席で萎縮するように座っていた娘と同じ人物だとは到底思えない。
最もその顔色には強く緊張が表れており、たった10歳の少女が話すにはあまりにも重い事情が、
隠されているようであった。
「・・・少し、長いお話になるかも知れません。テラスにお茶を運ばせましょう」
◆
「父さまと母さまの出会いは、もうほとんど30年近く前。
まだ若かった父さまがこの世界・・・エディンに迷い込んだことから端を発するようです」
当時、示蓮はまだ、15歳。
けれどもう既に、郷里では若き里長として、多忙の日々を送っていたという。
「とはいえまだ先代の長さま・・・、つまり私たちのお爺さまはご存命でしたから、
内々のことよりは部隊を率いて、一族の使命の元に戦いに赴くことの方が、多かったようです。
ええと・・・確か父さまのご実家は、人ならぬ者たちと戦うことを、生業としていたのですよね?」
その通り。
『暮蒔』の一族は、半妖であるその身・その血を利用して、人の世に迷い込んだ妖を狩る。
穏やかに会話で解決した後に送還する場合もあるが、大体においては血みどろの戦いを繰り広げることになる。
「そう・・・ですね・・・」
半妖の里とはいえ、その中には妖の特徴の薄い者から、濃い者まで雑多にいる。
どちらかというと幼い頃から体術よりは魔力に優れ、召喚術で妖と接する機会の多かった伽藺からすれば、
同族殺しを定められた一族に思えて仕方が無かった。
「そんな中、何らかの事故でエディン・・・。
当時はまだ巧妙に封じられ隠されていた、この世界に飛ばされてしまったようなのです」
戦いの中にしか、生きることを許されない少年は、そこに生きる少女に恋をした。
その娘は行動も性格もおっとりとして、まったく平和を体現しているかのようであったが、
過酷な自然環境の中で暮らしているためか、示蓮よりもよっぽどしっかりしている部分もあった。
ただの漂流人であったはずの示蓮はいつしか、この少女と離れたくないと思うようになり。
少女もこの異国の少年に対し、興味や愛着を通り越した何かを、覚えるようになった。
やがて少女が15歳の成人を迎え。
彼ら二人は、それが当然の流れであるかのように、小さな小さな結婚式を挙げた。
今のような大きな街ではなく、まだ水場を探してさまようような、小さな集落の主であったこの一族には。
血縁や素性を探るような慣習は無く、ただ健康で働き者であることそれだけを見込まれて、
示蓮は改めて、この少女・カテリーンの配偶者として、集落に迎え入れられた。
もっとも、この時。示蓮はカテリーンを失いたくないあまり、彼女に伝えていない秘密があったのだ。
自分は里長の身分であるので、いつか戻らなければならないこと、と・・・。
親族が決めたことで、自分の意思では無かったとはいえ、もう既に故郷には妻がいること。
その妻とは死別しているが、未だ幼い娘が一人いること。
◆
若い夫婦の間にはほどなくして、玉のような男の赤ん坊が生まれた。
名前はカテリーンの愛称である『カリン』にちなんで『伽藺』。
カテリーンの方は改めて『カティ』と呼ばれるようになった。
両親のどちらとも違う緑の髪にカテリーンは驚いたが、示蓮から樹妖である祖母の血から来たものだと聞いた。
それでも水や緑に乏しい砂漠の土地に、神が恵みの子をもたらしたのだと、若い母親は喜んだ。
特別元気とは言えない赤子だったが、それでも大きな病気をすることもなく、ごくスムーズに育児は進んでいった。
カテリーンの両親は数年前に亡くなっていたが、彼女のかつての乳母・サーシャの助けも得ることが出来た。
そして飛ぶように過ぎる日々が一段落した後。
示蓮はとうとうひた隠しにしていた事実を、カテリーンに打ち明けたのだった。
カテリーンは最初、何故そんなに示蓮が恐縮しているのか、わからなかった。
妻とはいっても、親族が決めた相手だというし、既に死別して久しいという話だ。
残して来た子供というのが、心配だという気持ちはわかるので、その子は引き取ろうと夫に話した。
けれど夫は首を振り、その子は既に里の重要な位置に置かれていて、引き取ることは出来ないという。
それどころか自分もいずれは、里に帰らなければいけない、という。
ならば。
愛しい人が旅立つというなら、それに従うのが妻というものだと、カテリーンは夫に告げた。
遠い、遠い。異郷の地。それでも愛し合っているなら、困難だって乗り越えて行ける筈。
厳しい自然の中で身を寄せて暮らす、ある意味平和で暖かい人々の中で育った、カテリーンには。
その先に待つ苦難や恐怖を、予測する術は・・・無かったのだ。
◆
ムロマチのさらに奥地に位置する半妖たちの里・暮蒔。
灼熱の砂漠とは全く違う、いっそ清涼ともいえる季候のその土地に、まずカテリーンは驚いて。
そして言葉が全く通じないことに強い不安を露わにした。
それでも夫が無事な姿を見せることで、人々が喜んでいるのを見ると嬉しく思ったし、
夫のことをこんなに想う人たちなのだから、きっと自分も受け入れて貰えるに違いない。
と・・・思っていた。
まず、案内されたのは、小さな小屋だった。
すぐ家に入れる訳にはいかないから、ここで待っていて欲しいといわれたので、
素直なカテリーンは頷いて従った。
子供は手渡した。既成事実が説得の材料になるかもしれない、と、夫が説明したので。
・・・でも何故、説得なんかしないと、いけないのだろう?
私と示蓮が夫婦だというのは、もう神様にも誓った決まり事で。
子供がいることだって、今更覆しようもない事実なのに。
次に、示蓮の顔を見ることが出来たのは、深夜に近付いた頃だった。
頬が青く腫れている・・・。
カテリーンは、「どうしたの」とその痣に触れ、簡単に治癒の術を施した。
示蓮はそのままぎゅっと彼女を抱き締めると、「駄目だった・・・」と搾り出すように呟いた。
子供は、その手の中には、居なかった。
落ち着いた示蓮が話すには、カテリーンの存在を親族たちに、認めて貰えなかったという。
前妻との婚姻が解消されていないというのに、新しい妻・・・しかも異国の素性の知れない女など、
認めるわけにはいかないと言われた、というのだ。
前妻といっても亡くなっているのでは、と返すと、姻戚関係やら何やらが複雑で、
親族対親族の話し合いで解消せねば、死後も夫婦という関係は続くのだという。
素性の知れない女というが、自分の一族は両親こそ亡くなっているものの、
エディンではかなり古い神官家に属すると伝えたが、
「駄目なんだ。やつら自分が理解出来るもの意外、全てが『素性の知れないもの』なんだ」
と、示蓮はうなだれるだけだった。
しかし、子供のことだけは好意的に、受け取られたという。
前妻との間にいるのは娘だけだが、こっちは息子だったからかも知れない。
赤子なのでまだ顔立ちなどはわからないが、髪や目の色が示蓮の祖母である樹妖に、
似ていたせいもあるのかも知れない。
「じゃあ子供のことは認めてくれるのね」
「あぁ・・・だけど下手をしたら、伽藺を取られてしまうかも知れない」
「どういうこと?」
「子供を認めて、その母親を認めないということは、つまり・・・。
母親はいないということにして、他の乳母や養育係を付けて、育てる・・・ということだ」
「な、何・・・、それ・・・」
狂っている、と、カテリーンは思った。
健康上にも倫理上にも、何の問題もない母子を引き離して、育てるなんて。
けれど示蓮はそのことについては、何の疑問も抱いてはいないようだった。
この常識の中で育った人なのだと思うと、急に彼との距離が開いたような気になった。
子供を取り戻して、エディンに帰ろうと訴えたが、簡単には返して貰えないと告げられた。
そうして・・・ここから数年。
暮蒔の里での、夫婦にとっては辛い生活が、続くのだった。
示蓮は立場を築き、少しでも自分の意思を認めてもらおうと、里の仕事に全力投球で関わって。
カテリーンは示蓮の妻とは認められないまま、子供とも引き離されて暮らしていた。
時折、仕事の合間に示蓮が帰って来た時の、つかの間の邂逅。
それだけが生きている心地のする時間であった。
暮蒔本家で大切に育てられている伽藺を、ときたま遠目に見ることのできる瞬間があるから、
カテリーンはまだこの里にいることが出来た。
一応、妻とは認められてはいないが、示蓮の『もの』という扱いでは、あったらしい。
なので生活は保障されたし、寄越される侍女たちとの会話で、言葉も少しずつ覚えた。
時折、意地の悪い侍女が来て、嫌がらせをする事もあった。
どうやらそれは、示蓮の前妻の子である娘・磨凛が、させていることであったらしい。
最初は不可解な気持ちで一杯だったが、そのうちにそれも当然なのだろうなと、
思うようになって来た。
嫉妬や嫌がらせという行為があるということもこの生活の中で学んでいった。
穏やかに暮らして来た彼女にとっては、何もかもが信じられないことばかりであった。
◆
事件は、示蓮が仕事で遠征している時に、起こった。
その日は寝苦しい夜で、何度寝返りを打っても、深く眠ることは出来なかった。
この里に来てから、カテリーンはゆっくりと休んだ覚えは無かったが、
また格別に気持ちの悪い夜であった。
何度寝直しても嫌な夢を見て起きてしまうのだ。
嫌な夢を見る時は絶対に何か嫌なことが起こる。
古には神官家とされ、今なお多くの占い師を輩出する家系に生まれたカテリーンには、
予知夢を見る能力があった。
とはいっても鮮明夢ではない。また、見るものが選べるわけでもない。
なので起きた時には夢で与えられていた啓示が、わからなくなっていることもある。
いざその場面になって、ようやっと『あぁこのことだったのか』と、気付く時が多い。
カテリーンの能力は名だたる祖先たちのように、占師として生きて行ける程のものではなかった。
その時、住まわされている小屋の、障子戸が動いた。
侍女が忘れ物でも取りに来たのかと、上体を起こして声を掛けたが。
確かに聞き慣れた侍女の足音はした。
それは小走りに走り去る音であり、それとは別の重い足音が自室に近付いて来ることに、
カテリーンは気付いた。
それからの記憶は、ほぼ無いに等しい。
抵抗はしたが、小柄で非力なカテリーンが、力で勝てるわけがなく。
「ハシタメなんだろう」、「けちなこというな」という言葉が、ただただ耳に残っていた。
・・・・・・。
ハシタメ、って、なんだろう?
私は示蓮の奥さんなのに。こんなこと、許されるはずがないのに。
◆
早朝。
したたかに酔っていたらしく、男が眠ってしまった後、カテリーンは小屋を抜け出した。
頼りたい示蓮はいない。
けれど本家にも幾人かは、カテリーンを哀れんでいるような者が、いた。
意地悪な侍女はいたけれど、良くしてくれた侍女も、勿論いた。
走って、走って、本家の戸を叩いた。
汚れた体に夜着を巻き付けたままの姿で、大声で叫んで泣いて・・・そして倒れた。
男はそのまま、本家からの手の者によって連行され、処罰を受けた。
カテリーンは示蓮の『妻』と扱われていなかった。
しかし、示蓮の『所持品』としては認められていたから、男は『里長の持ち物を傷付けて奪った』、
つまり破損と窃盗の罪で裁かれたらしい。
利き腕を切断されたと聞く。
しかし、その処遇に怒り狂ったのは、その男の妻であった。
どうせどこかの国の娼婦か酌婦なのだろう、うちの人を誘ってたぶらかしたに違いない。
そういえば燃やしたゴミの中に、わけのわからない文字で書かれた文が、あったような気もする。
その女が、うちの周りをうろうろしていたと、近所の者たちが噂をしている。
覚えもない言い掛かりばかりだったが、それでも里で生まれ育った土着の女と、
言葉も満足に通じないような異国の女では、有利・不利が全く違った。
噂は風のような速さで広がり、カテリーンが男を誘ったのだと、誰もが囁くようになり。
ここまで来ては本家も庇い立てが出来ないと、カテリーン自身も処罰を受ける結果となった。
処罰の内容は足の腱の切断。
一人で勝手に出歩いたり、ましてや男を誘惑したり、しないようにという事である。
・・・やがて、遠征から帰って来た示蓮が、見たものは。
不自由になった足に包帯を巻き付け、部屋の隅のぎりぎりにまで寄っては、体を小さく丸め。
「私が悪いの?」「私は違う」と小さな声で呟き続ける、
かつての朗らかさなど欠片も見当たらない、壊れきった妻の哀れな姿であった。
◆
示蓮は後悔した。
古い因習でがんじがらめになったナンセンスな里だと思ってはいたが、
それでも長家の子として大切に育てられていたからか、
どこかで甘く見ていた部分があったのかも知れなかった。
得体の知れない異人とはいえ、まさか自分が愛する女性に対して、
こんな仕打ちをするとは思っていなかったのだ。
「すぐに逃げよう」とカテリーンに近付いたら、怯えた様子で体を丸めて泣きながら謝られた。
「ごめんなさい示蓮」「私は違うの、誘ってない」「もう痛いのは嫌」など・・・。
その様子に今は行動を起こせないだろうと考え、示蓮はカテリーンの心身の回復を待とうと決めた。
また折悪しく、カテリーンが身籠っていることも、発覚した。
事件の起こった時期から計算しても夫婦の子に違いはないようだったが、
すっかり強迫症的になっていたカテリーンは「示蓮に似ていなかったらどうしよう」と、
毎日毎晩泣いて過ごすようになった。
示蓮もすっかり遠征に同行しなくなり、空いている時間は常に、カテリーンの側にいるようにした。
壊れてしまった妻が・・・、滅多なことをしないように・・・。
侍女も信用しきれないということを、彼女から聞いてしまっていたから。
やがて、月満ちて。
カテリーンが何とか無事に子供を産み落とすと、未だ産褥のダメージから回復しない彼女を抱えて、
示蓮は暮蒔の里を後にした。
子供たちも心配ではあったが、何よりもカテリーンをこれ以上、里に置いてはいけないと思った。
実はそのしばらく後。
こっそりと示蓮は戻り、カテリーンを追い詰めた男とその妻を殺し、その家に火を放ったのだった。
これは、里長としての制裁ではない、示蓮個人の復讐。
自らの命が尽きるまで、誰にも知らせない秘密・・・、そう・・・思っていた。
視線に気付き、振り返るまでは。
そこには見慣れた少女。まだ10を越えたばかりの、彼の娘・・・磨凛。
彼女は片頬を上げ皮肉げに笑い、腹心の侍女と共に夜闇に消えてしまった。
そう、その表情に、笑いに。気付いてしまったのだ。
彼女を本当に『壊した』のは、その一連の事件を手引きしていたのが、一体『誰』だったのか・・・。
外見年齢は20歳ほど、実年齢は20代後半。
夫との間に男女の双子あり。
性格はおっとり。
行動は良く言えば優雅、悪く言えばどんくさい。
少し急ぐとすぐ転ぶ。
ネバーランド・ナハリ国の軍務省にも補佐官として所属している。
ユエルティートという名の少女を、小鳥と思い込んでペットとして飼っていたことがあり、
人の姿を現した今でも、娘代わりとして可愛がっている。
義兄にはウィルフェア氏とティーラ氏。氏の家族や同居人諸氏とも懇意で、何かとお世話になっている。
お茶が大好きでお茶菓子も好き。
甘党で大食漢。カロリーコントロールを言い渡されるレベル。