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「やはり、追手の可能性をもう少し、深刻に考えれば良かったか?」
その大きな背中に伽藺を庇い呟くアッシュ。
しかし示蓮は、旅装のフードを落とすとその顔を露わにして、静かに頭を横に振った。
そして抱えている大荷物に巻いた布も落とす。そこに眠っていたのはカテリーンだった。
「は・・・、母上・・・!?」
「どういうことだ?」
静かに視線をカテリーンに移し。しばらく慈しむように眺めてから、示蓮が重い口を開けた。
「貴殿らと共に、連れて行って貰いたい」
「・・・・・・!」
伽藺の表情に緊張が走る。
「何を言っている、そのようなこと、出来るはず・・・」
「いいえ、いいでしょう」
「・・・かりん?」
アッシュが驚いて聞き返したが、伽藺は緊張した表情を崩さないまま、じっと父を見つめていた。
「多分、考えていることは、私と同じなのでしょう。
母上の夢を・・・幻想を打ち砕くには、その一番の原因を目の当たりに、しなければならない」
こくり、と。重く示蓮は頷く。
「・・・しかし、暮蒔の里には、連れて行けない。
あそこに行って平静でいられるほど、母上の心の傷は癒えていない・・・」
さらに頷く。
「だから・・・」
緊張が最高潮に達し。張り詰めた空気がアッシュや姉妹の肌を裂く。
「私たちの元に彼らが訪ねるであろう時。同席して・・・母上を、・・・希鈴と面会させようと」
「・・・・・・」
示蓮の瞳は静かだったが、強い意思を秘めていた。
衛士長とはいえ重要人物を連れ出してきたのだ、然るべき手順と手続きを踏んで来たのだとしても、
その間にカテリーンに何かあれば責任を問われるのは明白であろう。
それでも。
彼はもしもの時には全てを負う覚悟で、狂った妻を抱えてやって来たのだろう。
その狂気を癒せる『かも知れない』、唯一といえる材料を求めて・・・。
「『逃げられる牢』に、入れていただいたお礼も、しませんとね」
伽藺は悪戯っぽく舌を出してみせる。
「無茶を考えることだ、親子揃ってよくもまぁ。
・・・劇薬に過ぎるかも知れないと考えることは無いのか?
それに向こうの土地はこちらとは、気温も湿度もまったく違う。
病人が急激な空気の変化に、耐えられなければどうするつもりだ」
「それ・・・でも・・・」
示蓮はこの上ない慈しみを込めながら、布の間に覗く妻の寝顔を見つめる。
「醒めない悪夢の中よりは、きっとましだと・・・思うから」
顔を上げ今度はアッシュを真っ直ぐに見た。
「あの後。夢見様・・・いやカティは、混乱が収まるとひどく消耗して危機状態に陥ったのだが、
レオン殿にいただいた栄養剤を使わせて貰ったら、ほんの数時間で意識を取り戻したのだ。
今はよく眠っている」
「ほう・・・」
感心したような声を上げて、アッシュは示蓮の腕の中を覗き込む。
「やはり親子、かりんが妖と化したりして変貌したとはいえ、ヒトの部分においての根幹の体質は
似通っていたか。
・・・多少なりとも義父母上に貢献はできたわけだ」
アッシュは傍若無人ではあるが、最愛の妻をこの世に送り出した義両親に対しては、敬意は払っているらしい。
それに、愚直なまでに一途に義母を護ろうとする、義父の姿勢にはシンパシーさえ感じていた。
「そうだな、感謝している。
そして今までは、神殿から動かすことさえ躊躇っていたが、この薬があれば可能かとも思う。
カティとも話して決めた」
それが結果的に彼女の命を縮めることになったとしても。
悪夢を破りたい。呪縛から解き放たれたい。
「このまま何もせず、明日にも訪れるかも知れない死を待つよりは、命の灯のある限りもがいてみたいんだ。
私も・・・カティも・・・」
夜風に遊ぶカテリーンの髪を撫でながら、噛み締めるようにゆっくりと示蓮は告げると。
ふとカテリーンが目を覚まし、そんな夫の頬をゆったりと撫で、幸せそうな薄い笑いを浮かべた。
・・・伽藺も、自分の手を握る暖かい感触に、視線を手元に向けて・・・そして夫の顔を見た。
「貴方・・・」
何か思うところがあったのだろうか、アッシュの大きな手はしっかりと、伽藺のそれを握り締めていた。
相変わらず表情が伺い難い顔立ちだが、口元が少し笑っているような気がした。
伽藺もしっかりとその手を握り返す。
「貴方が持たせて下さった薬のおかげで、私は親殺しにならずに済んだようです」
◆
半寝状態のカルラが地面に描く、魔法陣の真ん中に全員が乗ってからトラテペスに着くまでは、
やはり一瞬であった。
焼けた砂が乾いた風を吹かせる砂漠の土地から、潮の香りを乗せた空気が満ちるトラテペスの海岸に着く。
転移術に未だ懐疑的であるアッシュは、苦虫を噛み潰したような顔を崩さなかったが、
とある疑問に思い当たって伽藺に問うた。
「そういえば、砂上艇などの観光サービスがあったということは、旅行者もそれなりに多いのか?
やはりいちいちこんな怪しげな術を使って、移動しているというのだろうか・・・」
夫の呟きに伽藺が返す。
「神と共に封じられていたというのは、過去の時代の話のようです。
今は外からの干渉も受けるようだし、旅行者も移住者もいるようですよ」
「神と共に?」
伽藺は一つ息を吸い、かつて叩き込まれた知識を思い出すと、ゆっくりと空んじ始める。
「エディンは元々、古代文明が栄えていた頃のオールド大陸からの移住者、
・・・侵略者なのかな・・・の集落で。
そして後には、聖神アースを封じる牢獄として、世界より切り離された土地だったはずです。
アースは今となってはコリーアなどと違い、よくよく現世に姿を現す神となっているでしょう?
かつて呪われた天使として縛られていた彼を、その呪縛を解いて自由に動けるよう解放したのが、
エディンに住む一人の少女だということらしいのですが。
その時からエディン自体の封印も解け、現世にある大陸と自由に行き来出来るようになった、
・・・というお話です。
10年でしたっけ、20年でしたっけ、まだ比較的新しい歴史のはず。
え・・・と・・・。確か魔導世紀1027年の出来事だったかなぁ。じゃあ15年になるのかな」
15年前の出来事であったとしても、正式な歴史として編纂されるには、さらに数年のタイムラグがある。
アッシュが学舎で歴史として学ぶには、タイミングがずれていたらしく、初めて聞いた話のように驚いていた。
アース教の教会に通って説法でも聞いていたなら、耳にしたこともあったかも知れないが・・・。
かくいう伽藺も10年前のツェンバー仕官の際に、上司から教わった歴史を思い出しているだけだったので、
細部を誤っている可能性もあった。
「開放されてからはNL大陸との交流も活発になったようです。
人種が『エディン人』とされる人々の中にはかつてのエディン人・・・、
オールド大陸でゼノン人と言われていた者たちの末裔だけではなく、実際にエディンの地から出て来た者も、
いるのでしょう。
ちなみに計算すると、私の生まれた時期にはまだ解放が行われていませんでしたから、
私の父はまだイレギュラーな迷い人だったということになりますね。
妖界と現世を渡りながら仕事をしていた関係なのでしょうかね・・・」
「成る程な」
深く頷くアッシュの様子を見て小さく笑うと、伽藺は熟睡している赤子の様子を確かめ、
星に彩られた夜道を通って住み慣れた屋敷の門戸をくぐる。
「夏の夜なのに・・・。砂漠の真ん中に比べるとやはり、少し肌寒いくらいに感じますね。
もう夜も遅いですし、宿を探すのは明日からにして、今晩はうちの客間にお泊まり下さいな。
一応は入院施設もありますから、もし母上の容態が急変しても、対応は出来ると思います」
アッシュに了承を得ると、伽藺は双子を寝かし付けるべく、屋敷の子供部屋へと向かった。
妹たちは待合室に通されて、冷たいジュースを飲みながら寛ぎ。
示蓮は、一刻も早くカテリーンを休ませたいと、アッシュに寝床への案内を頼んだ。
◆
消耗の具合から点滴を施した方がいいだろうと、まずは処置室に運んだアッシュの後に続いた示蓮は。
最新鋭とは言えないまでも、一通りの医療器具が揃った処置室を眺め、静かな声で切り出した。
「・・・レオン殿。
間借りをする身で、こういった頼みをするのも気が引けるのだが、貴殿にお願いしたいことがある」
処置の準備をしていたアッシュの瞳が、表情を映さないままに義父に向けられる。
「カティが・・・妻が、現状どのような状態なのか、本当にもう手の施しようはないのか。
正式に調べていただきたいのだが」
エディンにも医者がいるにはいるが、そのほとんどがいわゆるウィッチドクターのようなものであり、
解剖学的見地からの検査や診断は難しいのだという。
しかも相手は夢見師である。
神殿の中では下手にことを起こせば不敬に当たり、思い切った検査や治療を行おうとする者は、誰もいなかった。
針を刺したりメスを入れることなど、発言さえも許されない雰囲気だったのだ。
しかし、万にひとつでも回復の可能性があるなら、示蓮はその手段を試してみたいと言う。
勝手に大きくなる夢見師の名前、そして娘のプロデュースを経て発展してゆく神殿の規模に、
彼はずっと恐れていたのだという。
そのうちカテリーンというただのか弱い女性は、ごく普通の者ならば享受できる筈の恩恵さえも受けられず、
形だけの崇拝を受たまま見殺しにされるのではないかと。
アッシュからしても、現状のカテリーンの状態や決定的に体調を崩した時の話を聞き、
ひょっとすれば処置の可能性はあるのではないかと思っていた。
とはいえ単なるカンのようなものであったし、もし当たっていたとしても治療に必要なものが、
簡単な薬や医療機器ではなかったので、口には出すべきでないと判断して黙っていた。
「俺は・・・、貴様らのむすm・・・」
つい本音が出掛けてしまい慌てて言い直す。
「・・・息子以外を治療することなど滅多にないのだが。
俺に医師として語りかけるならば、俺も医師として忠告しよう」
静かな語り掛けと静かな頷き。
・・・無口な男同士の、静寂でシンプルな交流が、そこにはあった。
「さすがに既知とは思うが、如何に身体が回復しようと、狂気が治ることなどないぞ。
一時的に安定させることはできるが、心の病には一生涯付き合うことになる。
貴様らの息子も、同じだった。
あれは・・・かつて、狂気に苛まれていた。死にたいと願っていた、・・・らしい。
俺との暮らしも、普通の神経を持つ者にとってみれば、死んだ方が楽なものだったのかもしれん。
しかしあれにとっては、むしろ快適な生活であったようだ。
死に行く者、死にたいと願う者、生を苦痛と感じる者。
そういった意思を持つ者を、愛しているからというだけのエゴで、生き永らえさせようとするならば、
必要な根気は相当なものとなる。無論、本人の強い意志を喚起する必要もある。
・・・それを覚悟してのことか」
過去のトラウマやフラッシュバックに、狂乱する伽藺を支えて立ち直らせ。
『幸せ』という言葉を引き出すまでには、アッシュも随分と労力を払ったかと思う。
その時その時は必死だったので、特に苦労だと感じたことは無かったのだが、
思い返してみればそれは全て、彼の強靭な意志があったからこそ、出来たものだと思えたし。
同じことが常人に出来たかというと、客観的に考えれば難しいのではないか、と判断していた。
義父の物静かな蒼紫の瞳を、じろりと奥まで覗き込む。
「そう・・・だな・・・」
示蓮はアッシュの言葉を噛み締めながら、自分と妻が送って来た人生に想いを寄せる。
「生涯付き合い、支えてゆく覚悟というなら、それはあるつもりだ。
いや・・・なくてはならない。彼女がああなったのは、私の非力がゆえなのだからな」
瞳はアッシュを見返すわけでもなく、ただ、もっと遠くの場所を見ている。
「それでも私はまだ未来を夢見ている。
私たちはすっかり年老いた。それでも助かる可能性がないか、逃げ出す隙はないものかと。
今回、もう一生会えないかと思っていた、伽藺に会えた。
これで希鈴に会えれば、ひょっとしたら・・・と、甘いかも知れないが希望を抱いている」
言った表情は少しの後悔と自嘲を含んだ微笑で、伽藺がアッシュと出会わないままに成長すれば、
こうなったのではないかと思う程度にはやはり似ていた。
「ふむ・・・」
吟味するようにアッシュが頷く。示蓮はその相槌に促されるように続けた。
「魔法や呪いではない。
純粋に私が彼女を振り回し、傷付け狂わせた結果、こうなってしまったに過ぎない。
それでも。・・・エゴだとは思うが私は彼女が、私を愛するゆえにこうなったことを、
どこか嬉しくも思うのだ。・・・酷い夫だとは思うが」
そういえば伽藺も、傷付けたい訳ではないが自分のために傷付いてくれるのは嬉しい、と言っていた。
モラリストゆえ、相反する愛と欲望に悩むところは、妻は父親に似たのかも知れない。
「だが、娘や息子たちを哀しませたまま、終わらせたい訳でもない。
ひょっとすると今回のことで、正気が戻ったとしても、
娘たちや息子との、あったはずの愛を取り戻す、それにはまだ時間が必要だ。
・・・命、という名の、時間が」
言うと『喋り過ぎただろうか』という顔で、首を巡らし視線を逸らせた。
「・・・・・・。分かった、とりあえず検査は行おう。
必要量の生体組織さえ採取できれば、義母上も義父上も休んでいて構わん。
ひと晩もあれば概ねの結果は出るだろう」
ただし、と。低い声で改めて告げる。
「これは個人的なことになるが、検査や治療の結果、命を永らえたとしても、
俺は俺の妻を傷つけるものを許さない。
如何に義母上といえど今後、妻が傷つくような言動を取るようなことがあれば、
相応の処置はとらせてもらうから、そのつもりでな」
「心得た」と示蓮は頷く。
表情は神妙であったがその実、自分たちの子は本当に大切にされているのだと、
ほのかな嬉しさを感じていたのも事実だった。
「まずは何処がどう悪いか、調べて貰えるだけでいいかと。治療は結果次第で考える。
謝礼・・・は・・・」
少し口ごもり、考えながら口を開く。
「金品なら多少は持って来ているが、今の貴殿らに渡しても仕方がないだろう。
なので、孫たちを預かる話が決まったとしたら、その分・・・。
彼らには不自由はさせないと約束する」
「・・・・・・。分かった。価値の在る取引きだと言えよう」
アッシュとて。
置いていくことを決めはしたものの、伽藺と共に生み育てた子供たちは、大事であった。
偽り無くそれを約束されるとするならば、これで後顧の憂いが断たれることになる。、
「魔法だとか呪いとか、訳の分からんものでなければ、これでも概ねの病は治療できる。
まあ魔法でもここ数年齧ってはきたため、少々ならわかるかもしれんが生憎専門ではない。
・・・さて、邪魔だ、出て行け」
旅装を脱ぎ捨て身の埃を払うと、普段の白衣に着替えて、医療器具の準備を始めた。
「あぁ、頼む」
示蓮も頭を深く下げて退室しようとするが、ふと気付いたように踵を返して告げた。
「診たらわかると思うが妻は歩けない。
なので移動の必要があるなら、私が眠っていても起こしてくれて構わない。
あと、起き抜けに知らない人物がいたら、錯乱するかも知れないが・・・」
じっと、頭一つ近く高いところにある、アッシュの黒い顔を顔を眺めながら。
「いや、レオン殿は外見的には砂漠の民に近いな、大丈夫か」
と、呟いて一つ息を吐き。再び頭を下げて退室した。
外見年齢は20歳ほど、実年齢は20代後半。
夫との間に男女の双子あり。
性格はおっとり。
行動は良く言えば優雅、悪く言えばどんくさい。
少し急ぐとすぐ転ぶ。
ネバーランド・ナハリ国の軍務省にも補佐官として所属している。
ユエルティートという名の少女を、小鳥と思い込んでペットとして飼っていたことがあり、
人の姿を現した今でも、娘代わりとして可愛がっている。
義兄にはウィルフェア氏とティーラ氏。氏の家族や同居人諸氏とも懇意で、何かとお世話になっている。
お茶が大好きでお茶菓子も好き。
甘党で大食漢。カロリーコントロールを言い渡されるレベル。