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うつつ世とまどろみの境を泳ぐ、とある妖の手記・・・らしいもの
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「・・・かり・・・ん?」

鈴を振るかのような。
細く高いと夫に評される、女性時の伽藺の声によく似た。
しかしそれよりも、さらに頼りなげな声が問い掛ける。

恐る恐ると、そして・・・おずおずと。
ベッドの天蓋の中で、小さな影がもぞりと起き出す。

その姿は明かり取りの窓からの間接光に照らされ、まるで影絵のように見えていた。
小さな、とても小さな影だ。小柄なんてものではないかも知れない。
伽藺は固まったように動かない。返答がないことを不安に思ってか、声はもう一度名前を呼ぶ。

衛士長に肩を叩いて促され、ようやっと伽藺は足を進めた。



「お久しゅうございます、母上」
「かりん・・・、なのね・・・? まぁ、すっかりもう、大人の声ね。
お願い・・・もう少し、こちらに来て・・・?
ママに、お顔を、見せて・・・??」

まるで幼児に話すような口調。いやそもそも彼女自体が、『幼児のような口調』だ。

伽藺の母であるのだから、どう若く見積もっても、40は越しているはずだ。
長命の種族だとも聞いてはいない。
だが、声と話し方だけではどうにも、年齢や容姿がイメージ出来なかった。

伽藺がゆっくりと近付き、天蓋に引かれているカーテンを引く。
後ろで見ているアッシュには最初、細い細い手首しか見えなかった。
細い腕に幾筋もの皺が寄り、まるで80過ぎの老婆のような手だ。
しかし伽藺がカーテンの引き幅を広げて行くうちに、ふわりと明るい亜麻色の髪と栗色の大きな瞳が目に入った。

夢見師・カテリーン。

結論から言えば、年齢よりは確かに若く見える顔立ちだ。
外見年齢が20歳ほどの伽藺と並んでいても、たいした差は感じない。
むしろ母の方が、表情や声音から若く見えることさえ、あるかも知れない。

確かにそっくりだ。
かつて見た絵姿の頃からさらに歳を重ねていることが、余計に伽藺との顔立ちの差を小さくしている。
・・・しかし、痩せ過ぎている。
本来は丸いのであろう頬はこけており、眼窩は薄黒く落ち窪んでいる。
それでも、生き別れの息子に会うために化粧を施したのだろう、一見した頬や唇は薔薇色を湛えて輝くようだった。

だが、本来医師であるアッシュは彩られた部分よりも、
こめかみや首筋に浮かぶ、夥しい毛細血管や黄疸、内出血を見てしまう。
異常なほどに飾られた花々は、彼女の内臓が発する腐敗臭を紛らわすためだろう。
ふんわりと少女趣味なまでに装飾された寝間着の中の体は、不必要な肉どころか必要な肉さえも残ってはいないのだろう。

「本当に大きくなったわね、もっとこちらに来て・・・?」

保って一ヶ月というところか?
いや、寧ろよく生きていると、言った方がいいかも知れない。

「きりんは元気? 貴方と同じできっと、若い頃のパパにそっくりに、育ったのでしょうね」

もう少し出会うのが早ければ、何らかの医療技術の提供で少しは、進行を抑えられたかも知れない。
しかしもう腐臭どころか、死臭を放っているではないか。

この、街に、医師らしい医師は、いないのだろうか?
いたとしても宗教的な理由などで、出入りに制限がかかるのだろうか?
貴人の体にメスどころか、針を刺すことさえ禁じられるという、宗教もあると聞く。
死すべき女は、このまま・・・民どもに生命を刈り取られ、ただ供物となるべきというのか??

何も気にせずそれらを問うことは簡単であったし、それによって起こる波乱に物怖じするほど、
アッシュは小心者では無かったが。
ただそれをこの場でするのは無粋を極め、また彼女とその一族が得る花の栄華を、
穢すだけのように思われた。

「そちらのおおきな方は? どうぞ・・・側にいらして」

医師としての目で、遠目ながらも状態を見立てていたアッシュにも、ふと声を掛けられる。
改めて視線を合わせると、かつては健康的で美しかったのであろう女が、ふわりと微笑みを向けている。
憔悴しきったその身に不釣り合いな程、きらきらと夢心地に輝く、童女のような瞳。

恭しく帽子を取りながらアッシュが進み出ると、灰白色の癖毛が無造作にばさりと広がる。
その濃い褐色の肌色と長身が相俟って、見る者によっては威圧感さえも感じる風貌だが、
むしろ安心さえ感じているかのようにカテリーンは微笑んだ。
砂漠の民であるためか周囲に、濃い肌色で長身の者が、多いからなのかも知れない。

「初めて目にかかる」

低い声が静かに響いた。普段の話し口よりもさらに、起伏を抑えているかのようだ。
疲れやすいであろう病人への、この医師なりの気遣いなのだろうか。
しかし次に放った言葉はやはり彼らしい、常人からすれば突飛なものであった。

「かりんの夫だ。貴様の大事な息子を掻っ攫った」
「・・・はい」

一瞬、不思議顔で見上げたカテリーンであったが、すぐに笑みを取り戻して頷いた。
話の流れを理解しているのかいないのか、その浮世離れしたような様子からは、汲み取り難い。

「あの、ええと・・・、これは・・・」

慌てて何か捕捉を入れようと、口を開いた伽藺の方を向き。

「夢で見ていました」

と、カテリーンはさらりと、まるで日常のことを報告するかのように、答えた。

「え・・・、ぁ、・・・夢・・・?」
「あぁ、でも。夢でも詳しいことまでは、わからないのよ。
まさかこんなに立派な方だったなんて」

死相の浮いたような顔に似合わず、悪戯っぽく笑うと「旦那様のお名前を教えて?」と、
甘えるように伽藺に問い掛けた。

「あ、えっと、ア・・・」

『通り名』の方を答えようとして。
伽藺は少し口ごもり、そして短い逡巡の末に、言い直すことにした。

「レオン、・・・です」

普段は名乗らずにいる本名を伝えた妻に、咎めるような視線をアッシュは送ったが、
すぐに息を吐いて諦めることにした。
一度言い淀んで、それでも口にしたということは、伽藺にも思うところがあるのだろう。
彼の妻は、うっかりしたところも多分にあるが、決して考え無しなタイプではない。

(『嘘を吐きたくない相手』というものがあったということだろう)

夫の『死』に付き合うというのだから、そのくらいの我儘は許してやってもいいと。
アッシュはそう考え、これについてはもう、何も言わないことにした。

伽藺からすれば、本当はフルネームで紹介したかったのだが、さすがにそれは控えた。
絶縁されつつも夫が、それでも正式な場では、きちんと名乗るファミリーネーム。
夫が自身で決めた名も決して悪くはないし、軽視されていると思っている訳でも無いのだが、
その名を他者に紹介しまた自身も名乗るのには憧れがあった。

まぁ、本名には言霊が宿ると信じているが、さりとて強い拘りがある訳でもなし。
人妻としての憧れという程度の、たいして重要でもない事ではあったが。
けれど死ぬまでに一度は、名乗ってみたい名でもあった。

「そう、いいお名前。
ではレオン様。・・・伽藺をどうぞ最後まで、可愛がってあげてね」

『最後まで』と言った。
死出の旅に出ることはまだ、一言も伝えていないのに。
それも彼女は、『夢で見ていた』のだろうか。

「・・・・・・死ぬのか?」

じっと見据えながら。
アッシュは目前の、どう贔屓目に見ても長生きはしそうのない夢見師に、
単刀直入に問い掛けた。

「さぁ、どうかしら。自分の未来だけはあまり、夢で見ることも出来ないの。
でも・・・今はまだ死にたくないな。まだ・・・後継者が幼いから・・・」

少し困ったように首をかしげ、笑顔のままで小さく舌を出す。
こともなげな彼女とは逆に、大きく反応して気色ばんだのは付き添っていた衛士長だが、
カテリーンは「いいのよ」と静かに片手を上げて制した。

「せっかくだから貴方も、被り物を取ればいいわ。
親子水いらず・・・語らいましょう?」

衛士長はしばらく躊躇っていたようだが、他には誰もいないのだしとカテリーンが頼み込むと、
渋々という感じで全身を覆う白布を取った。

その下からは少し線の細い印象を持つ、しかし体は十分に鍛えているように見える、
砂漠の民とは違う民族の壮年男性が現れた。
 彼を見て伽藺が少し、曖昧な笑顔を見せる。
衛士長の方が少し鋭利な印象を持つが、二人がどこか似ていることだけは、間違いがなかった。

「カティ・・・」

助けを求めるかのように、彼はカテリーンを見つめたが、彼女は無邪気な笑みを崩さない。
その楽しそうな顔は子供が気になる相手に対して、好意の裏返しの意地悪をしているかのように、
見えるほど。

「ふふ、だって貴方こうでもしないと、最後まで名乗らないでしょう?」

何かを諦めたかのように夢見師から視線を外すと、アッシュほどではないが威圧感のある瞳を細め、
どこかぎこちなく挨拶を始めた。

「示蓮(じれん)だ。夢見師・カテリーン殿の伴侶に当たる。
・・・レオン殿にはお初にお目にかかる」

表情は固いまま、眉一つ動かしはしない。
その様子からは息子の伴侶に対して、どういう感情や感想を持っているかというのも、
いまいち汲み取れはしない。

「伽藺は、・・・・・・久し振りだな」
「はい父上。お久しゅう」

父子の交わした挨拶は、ただそれだけであった。
伽藺もこの父に対しては、緊張もあるのかも知れないが、随分と無口になるようだ。
アッシュの知る限り社交的な妻であるが、実の親に対しては・・・いや親だからなのか、
言いたいことも言うべきことも言葉にならない様子が見て取れた。

「。」

アッシュに預けられていた、双子をふと見止めて、カテリーンの頬がふと緩む。

「その子たちね?
・・・娘たちには、ちゃんと話しておくから、安心して」
「え・・・あ、いえ。・・・まだ何も言って・・・」
「夢で見た、って、言ったでしょう?」

静かに首を振って頬笑む。
そしてアッシュに「もう少し、近付けて下さります?」と頼むと、
二つの顔をかわるがわる覗き込んで、その柔らかな髪を順番に撫でた。

「この子は、かりん。貴方にとてもそっくりね。きっと優しい子になるわ。
こっちの子はレオン様によく似ているのね。
まだ小さいのにもう、随分と賢そうなお顔をしているわね。
・・・ふふ、二人ともとても元気で、可愛らしいわ」

頬を撫でる冷たい手を、小さな二人は不思議そうに触っていた。
まさに生まれ出たばかりでこれから沢山の未来が待っている赤子と、
人生の灯し火を使い切って今まさに消えんとしている女。
示蓮は何といっていいかわからないようで、ただじっとその様子を見つめていた。

「はぁ」、と。
やがてカテリーンは大きくため息をつき、その小さな頭を羽根枕に深く沈めた。

「ごめんね、せっかく来てくれたのに、ママ少しはしゃぎ過ぎてしまったみたい。
もう眠たいわ・・・。
何かあれば明日にでも、・・・また来て・・・」

そう言葉を吐き出して閉じる瞼は、随分と黒く落ち窪んでいた。

「今日のこと、娘たちに、伝えておいてね。大体・・・私が言った通りだから」

示蓮が頷いた。
うっすらと開いた視界の端でそれを確認したカテリーンは、
その瞳を再び閉じると、まるで夢でも見ているかのように、ぽつりぽつりと言葉を紡ぎ出した。

「思い出すわ・・・。初めて貴方の訪れを、悟った日のこと。
私、嬉しくて嬉しくて。まだお医者様が見てもわからないのに、産院に駆け込んだのよ」

生まれた瞬間は驚いたわ。髪が若葉の色なのですもの。
でもこの乾いた土地の中で、きっと貴方はオアシスの神様に恵まれのだ、って思ったわ。
示蓮から祖母方の血だと聞くまではね。
 
・・・ずっと、ずっと・・・会いたかったのよ。

あの土地から離れる時。
私たちの力が足りなくて、連れ出しては来れなかったけど、それでもただ捨てた訳じゃなかった。
ずっと気に掛けていた。どんな顔をしてどんな暮らしをしているのかしら、って。
私は幸せになれなかったあの土地で、貴方は・・・幸せをつかめているのかしら、って・・・。

たまに貴方の夢を見た時は、夢の中の貴方と共に笑い、そして涙したわ・・・。
けれど、なんとなくの状況だけが分かる、でも口出しも手出しも出来ないというのは、
本当に辛かった。
孤独にあるのだろう時は側に飛んでいきたかったし、旅立ちを決意した時は本当に心配した。
苦難に遭っているのだろう時は、心の休まる暇が無かったわ・・・?」
 
ゆっくり、ゆっくりと。吐息に乗せるように静かに話す。
そんな女の声を聴きながらアッシュは。
かつての自分の両親・・・。
息子のことなど見向きもせず外に出てばかりいる母、虚空を見つめ母以外の何ものも瞳に映さない父を、
ぼんやりと思い出していた。

何をしても何を考えていても、誰にも関心を持たれなかった、少年時代。
両親がいて、豪邸と呼ばれる立派な家と、莫大な資産があって。
全てが揃っているように他人からは、見えていたのかも知れない。
しかしその実、何一つとして彼の心を、満たすものは無かった。

書庫を満たす蔵書に目を通せば、一時的な好奇心は満足したかも知れない。
生き物を捕らえて殺せば、書にしたためられていた内容の確認が出来、
また幼いながらにくすぶっていた嗜虐侵や優越感を、納得させることも出来た。
だがどれも一時凌ぎの暇潰しでしか無かった。すぐにアッシュの心は次の刺激を求めた。

自身が本当は『安らぎ』を欲しているのだと気付けないまま、
ただ、ただ、激しい『刺激』だけを、次々と求めていた。

そんな・・・。
居ても居なくても良い存在、として扱われていた自分に比べ。
家名を存続し、虚像を広げるために養育され、その役に立たないと判断されるや、
失敗作だとばかりに放逐された自分に比べ。

親は側に居なかったかも知れないけれど。
ただ捨てられたのだと、思い込んでいたのかも、知れないけれど。
けれど・・・確かに。
妻は生まれる前から望まれ、愛し合う男女の間に舞い降り。
そして、袂を分かち合った後もずっと、想われていたのだと・・・。

自分が愛するより随分以前から、強く深く愛されていた存在なのだと、思い知らされた。

しかし夫婦にはその後も、沢山の子が生まれたと聞く。
だから伽藺が必要ない、などということは彼らには、全く無縁の感慨だと思うが。
それでも、アッシュには。

アッシュの孤独を埋め苛立ちを癒し、安らぎを与えることが出来るのは。
枯れ果てていたはずの彼の『愛』を引き出すことが出来るのは。
『伽藺』、ただ一人しか、・・・いない。

近い未来。
その愛する妻と世間を隔絶させんと、自分が行おうとする行動に想いを馳せる、
アッシュの心を見透かしたかのようなタイミングで。
カテリーンが、伽藺に語り掛けた。

「かりん。
その命を貴方自身が、何に燃やそうかは、・・・自由よ。
私たちは何もしなかった、何も出来なかった。
貴方の命を、人生を育んできたのは貴方自身であり、また貴方の側にいた人たちだわ。

でもいい?
手放す時には、必ず思い出して。

貴方がその命を手にした瞬間、喜んで・・・涙した、まだ幼かった夫婦がいたことを。
貴方がこの世の空気を吸うその為に、身を裂く激痛と命を張って戦った、
一人の女がいたことを。

・・・一度だけでも、思い返してね」

「母・・・、上・・・」

返すべき言葉が見付からず、途方に暮れているような伽藺に、小さく微笑むと。
栗色の瞳はそのまま、傍らに立つ長身の夫に、移された。

「貴方も・・・忘れないでいてね。

 もぎ取ろうとするその実は、決してありふれたものでも、安っぽいものでもないの。
少なくとも、私たちにとっては・・・ね?

だから、大切にして。
その子が自分から貴方のものになった以上、私たちが止める理由も手立てもないわ。
でも、味わうというのなら、・・・心から・・・味わって。

貴方にとってもそうでしょうけれど。
当然私たちにとっても、それは価値のある命なの・・・」

ただ幼く無邪気に笑っていた先程までとは違う、静かながら強い意志を感じさせる言葉。
こちらが本当なら彼女の本心、『正気』の部分なのかも知れない。

「・・・・・・。当たり前だ・・・」

アッシュからすればもとより、決して生半可な気持ちではなかった。
長くに渡り捜し求めていた自らの半身と、ずっと想い描いていた終焉を遂げる。
けれどその行為は、愛する子を奪われ殺される親からすれば、どういったものなのだろうか。
憎まれても当然。罵倒や殴打くらいを受ける覚悟は、とうに決めて来た。

実際はそういったこともなく、ただ、静かに流れる時間の中で、
妻とその両親の再会と思い出話を、聞くことになった訳だが。
だからこそ、覚悟を新たにしないといけない、と・・・感じた。

自分が奪い去ろうとしているものは。
自分にとって命より大事というだけではない。『誰か』の愛も、また受けていた存在なのだと。

「生涯・・・、大切にする・・・。

御両人、そしてこれの関わってきた数多くの者どもよりも尚、
俺はかりんを愛し添い遂げよう。死して尚、決して離しはせん。

・・・絶対だ」

片腕に双子を寄せて一気に抱えると、愛する妻の肩をぐいと抱き寄せ、
厚い前髪の下の強い眼差しで両親を見据えた。
伽藺は丸みのある頬に朱を乗せて、焦って一瞬逃れようとしたが、離しはしない。
意志ある母の声に応えるように口元を引き結ぶ。

大抵の人物の言葉には、愚弄と嘲笑でもって返す、アッシュにとって。
自身の本心を話す、嘲りも罵りもせず、誠意を込めた態度で返す。
それは最大級の礼儀であり、妻をこの世に産み出した感謝を、伝える手段であったから。

その妻である伽藺本人はどうやら照れているようで、言い訳がましい目線で父母を見ていたが、
母は厳しい視線の中に小さな諦め、そして柔らかな微笑みを最後に浮かべ。
父も相変わらず表情の掴めない顔で、真っ直ぐ試すかのように、我が子の夫を見ていた。

やがて、またあの無邪気な笑みを、もう一度浮かべると。
カテリーンは今度こそ枕に沈み込み、深い眠りの世界に落ちていった。
示蓮は布を巻き直すと再び『衛士長』の姿に戻り、
「予定より時間は早いが面会時間は終了だ」と息子夫婦に体質を促した。

伽藺は静かに頷き、部屋を出ようとした。
アッシュも続こうとしたが、ふと伽藺に双子を預けると踵を返し、
衛士長の前につかつかと進み出た。
自身の懐を漁ると、何種類かの粉薬を混ぜて調剤した小さなカプセルを取り出し、
メモに軽く処方を書き付けて小袋に分け手渡した。

「栄養剤のようなものだ。
余所者の施しを受け付けんならいいが、少しは長らえるかもしれんぞ。
・・・少なくとも、かりんにはよく効く」

体調を崩し易い妻が、砂漠の熱風にやられる可能性はないかと考えて、
常備薬入れの中に納めて来た栄養剤であった。
思ったよりも季候が悪くはないようなので、伽藺が倒れることもないかと踏んで、
それならと病身であるらしい母親に渡すことにした。

衛士長は薬をしばし見聞していたが、丁寧におしいただくようにして、その小袋を懐に収めた。
慎重に見極めようとはしているのだろうが、頭からいぶかしんでいる訳でもないようだった。
寄進物には全てそう対応しているのだろうが、丁寧な態度から多分粗末に捨てられるようことは、
無いだろうと思えた。

そして妻の元へと早足で戻ると、父との会話はいいのか、何なら席を外してもいいぞと、
双子を引き取りながら小さな声で告げた。
伽藺は静かに首を振ると「その必要はありません」と答えた。

来た時と同じように、奥の間全体を使った魔導エレベータに、一階まで降ろされると、
そこにはカルラが出迎えに来ていた。
すぐに奥に引っ込んだ衛士長の背中を挨拶をする間もなく見ていると、
カルラがの退室の報告ついでに、明日以降また面会に来た時の手順を説明するからと、
二人を受付に呼んだ。

複雑な手続きの説明を受けて一行は神殿を後にした。

アッシュは改めて伽藺に、父親と積もる話などは無かったのかと尋ねたが、
妻は大丈夫ですよと薄く笑うだけだった。

「心配なさらないで下さいましね、突き放している訳でも、突き放されている訳でもありません。
きっとあの方は、不器用な方・・・。
これ以上お側に寄ってしまうと、きっと困らせてしまいます。多分ね」

伽藺の言葉を聞いて、アッシュにもその気持ちは何となく、わかるような気がしていた。

「あの方の言いたいことは全て母上が言ったし、今までずっとそうして来た二人だと思うのです。
泣けない父のかわりに母が泣いて、笑えない父のかわりに母が笑ってきた。
そして父はそんな母を、ただ護ることだけを生き甲斐に、心の温もりにしてきた」

自分もそうなのだろうな、と、思う。

生育環境のせいか、それとも生まれついたものか。ひょっとして実家の血の呪いなのかも知れない。
『普通』の喜怒哀楽がわからない。
興奮か静謐、その両極以外の感情はどう発露すべきかわからないまま、妻に会うまで生きていたのだ。

妻に出会ってからは、世間的にいう『健全な感情』に近いものも、その表現法も学んだかと思う。
それでもまだ、思うことを完全に伝えるには、浮かぶ言葉が足りないし。
表情もよほど注意深く読み取れる者でも相手にしない限りは、
体格や肌色のせいか、鍛えてこなかった表情筋のせいか、威圧していると受け取られることが多い。

だからアッシュにとっては妻が。
伽藺が外界との窓口であり、伝えたくても伝えられない気持ちの、代弁者でもあったのだ。
失うことなど有り得ないし考えられない。ましてや他の誰かに渡すなど耐えられる筈がない。
もう妻は自分の一部になっているのだから。

義父にとってもそうなのだろう。
義母が彼の全てで、彼の体の一部で、人生の全部で。

「大丈夫、私は両親に愛されていた。
母の言葉を信じるなら、それは確かなはずです。
だから・・・、大丈夫です・・・」

伽藺の『大丈夫』は、大抵の場合において『無理をしている』というのと、同義語ではあったが。
今回だけはその言葉を、アッシュは信じようと思った。
伽藺自身が『大丈夫』だと自分に、言い聞かせようとしていたから。

返却されたべビーカーに双子を乗せると、ぽんと、妻の頭に軽く手を置いて、小さく撫でる。
さらりと落ちる真っ直ぐな深緑を指に絡めたら、えへへと少し照れたようないつもの顔を見せた。


強い花の香気にやられてはいないか、よもやアレルギー症状などは出していないかと、
双子のバイタルを軽く診てはみたが、娘も息子もとても元気なようだった。
体質の強さは自分に似たなと、瞳孔をチェックしながら、安堵の息を吐く。

産まれる時はせめて見た目は美しくなれと、二人とも妻に似ることを強く願ったものだが、
この砂漠の街で今後成長することになるなら、多少は自分に似たほうが有利かも知れない。
最初に見た時はがっかりした、娘が持つ淡褐色の肌も、この季候では助けになるだろう。
むしろ、ゆで卵のような白い肌と桃色の頬を持つ、息子の体質が心配だ。

「貴様らもよく大人しくしていた。泣き出しやせんかと思ったが」

言葉の詳細はともかく、褒められていることは察知したのだろう、娘は元気に返事を返し。
息子は少し照れたように父親に笑い掛けた。

「コレから、なのダが」

先導して歩いていたカルラが、静かに振り返って言葉を発した。
どうやら、妹たちによる歓迎の準備が、もう整っているとの事。

今後もし子供を預かるのだとしたら、丸1日かけての様子の観察がしたいから、
少なくとも今晩くらいは泊まっていけとの、乳母の意向であるらしい。
クイン一家には滞在中、彼女たち一族が所有する別宅をひとつ、貸し出すという。
子供の様子を見るために乳母も泊り込むし、ハウスキーパーとして姉妹も訪ねるので、
家事の心配はいらないと伝えた。

「ふむ、俺も異存はない。
子らも物ではない。ハイドウゾと渡すわけにも、渡されるわけにもいかんだろう」

アッシュは、もっともだとばかりに頷き、ぐるりと周囲の景色を見回した。
砂漠のオアシスというには、かなり栄えているように、見える街。

来た時はゆっくりと眺める余裕も無かったが、街には随分な数の人々が居住しているらしく、
また神殿を出てすぐのこの辺りは高級住宅街らしく、身なりの良さそうな人々が行き交っていた。
夕刻。暑さの厳しいこの辺りではようやっと、過ごし易い気温になる時間帯ということか。
バザールが行われているらしい通りも、ごった返しているように見えた。

結果的に手放すことになるとはいえ、伽藺がアッシュのために産み出した、大切な子供らだ。
万遍なく夫婦に似ているところは、愛着を覚えまた行く末を楽しみにするに、充分なものだった。
愛しているかと聞かれれば首を傾げるが、粗末に扱われたいかと冗談でも言われれば、
その相手を有無を言わせず殴るだろう。
それは伽藺がアッシュのために作った料理でも、編んだベストでも同じなのであったが。

ならばしっかりと、育成される環境も見極めなければと、アッシュは思った。
気温や湿度は申し分ない。暑くて乾燥した程度の方が、彼の好みには合うから。
あとは、直接に手を触れるであろう乳母とやらの人となりと、属するであろう親族の状態だ。

「あぁ・・・そうですね・・・。風土、食事、生活習慣・・・。
この子たちが、ここで過ごして行けるかどうか、きちんと見て貰わなくてはいけませんね」

まだぼうっとした風情の伽藺は、力なくアッシュに寄り添った。

両者の了承を確認したカルラは前方に向き直ると、一家に貸し出す予定となっている別宅を目指し、
小さな足を再び進めた。

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自己紹介
HN:
伽藺(カリン)・クイン
性別:
女性
職業:
アッシュ医師の妻/ナハリ軍務補佐官
趣味:
家事、お茶、お喋り
自己紹介:
医師アッシュ・クインの妻である柳の樹妖。
外見年齢は20歳ほど、実年齢は20代後半。
夫との間に男女の双子あり。

性格はおっとり。
行動は良く言えば優雅、悪く言えばどんくさい。
少し急ぐとすぐ転ぶ。
ネバーランド・ナハリ国の軍務省にも補佐官として所属している。

ユエルティートという名の少女を、小鳥と思い込んでペットとして飼っていたことがあり、
人の姿を現した今でも、娘代わりとして可愛がっている。
義兄にはウィルフェア氏とティーラ氏。氏の家族や同居人諸氏とも懇意で、何かとお世話になっている。

お茶が大好きでお茶菓子も好き。
甘党で大食漢。カロリーコントロールを言い渡されるレベル。
来客
[07/10 威紺]
[07/06 ティーラ]
[06/24 威紺]
[06/23 ティーラ]
[06/23 威紺]
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