翌日、夜明けの少し前からカルタが狩りの誘いに来て、
アッシュを街の外周にある砂漠地帯に連れて行く。
砂トカゲというものは。
地上を動く分には鈍重だが一度砂に埋まってしまえば、人の目では捕らえられないほどに機敏に動く。
なので、トカゲの埋まっている畝を見つけてはカタパルト式の銛を撃ち込み、地上におびき寄せて狩るという手筈だった。
畝の盛り上がりが、なだらかなところはしっぽだから、撃つと余計に地中に潜ってしまう。
頭を狙って進路を断たれたと思い込ませ、飛び出して来たところを首元を狙って、長槍を持ったカルタが襲い掛かり、
手足の付け根の関節部分を狙ってアッシュが、カタパルトで援護するという手筈だった。
すぐに要領を掴む、アッシュの器用さと戦闘能力には、カルタも上機嫌になり。
1.5mほどの比較的小さなトカゲが標的の時には、長槍係を譲ろうかとまで言い出した程である。
最終的には『市場に卸してもまだおつりが来る』ほど捕れたらしい。
また小振りなトカゲはまだ『仔』らしく、ハーブ漬けにしなくとも臭みがないとかで、
その場で解体して岩塩だけを振って焼いて食べたりもした。
乗っていった小型砂上挺をいっぱいにして帰った後、カルタは市場に寄るからと館の近くにアッシュを降ろした。
「ソレじゃあ、カルタは市場デ、コレを金に代えてクルな! アッシュにはまた分け前をワタスからナ?」
「ああ」
「・・・楽しカッタか? トカゲ狩りハ」
カルタ自身は楽しんだようだったが、ふとアッシュの反応が気になったのだろう、おずおずと尋ねた。
「うむ。地味なのかと思っていたが、なかなかに愉快な遊びだった。
幼少時にも、獣を狩る遊びはしたものだが、やはり狩りとはいいな」
「ソウカ!」
アッシュも楽しんでいたと知り、カルタの表情が明るくなった。
ナラバ明日もナ、今度はカリンも呼ぼウナ、と。はしゃぎながら砂上挺に飛び乗った。
女としての魅力は全く感じないが、よく懐く弟分として考えるなら、カルタも可愛いものだとアッシュは考えた。
ふと脳裏に浮かぶ、自ら捨て去った、未来予想図。
手入れした猟銃を肩に掛け、森の奥へと家族で向かう。
まずは自分が手本として、野鳥か野兎を仕留めてみせる。
その場で手早く捌いて荒塩でも付けて焼けば、怯えていた子供たちも新鮮な肉の味の虜になるだろう。
そうなればあとは容易いものだ。猟銃を見せ付けて次は誰が撃つかと問い掛ける。
最初は二人とも、まごまごしているだろう。
アルクなどは、見た目通りの性格に育ったとしたら、伽藺の背中に隠れるかもしれない。
リンネも興味を惹かれるだろうが、退屈な振りをしているだろう。
なに、一言二言も挑発してやればいい。俺の子なのだからきっと黙っていることは出来ないだろう。
・・・なんて、な。
そんな感慨に耽ること自体、愚かしいことだと首を振った。
アッシュと妻は死を以ってその絆を永遠とする。子供たちはまだ幼いから、判断力がつくまでは生かしておく。
そう決めたのだから、それ以外の未来も可能性も、ありはしない。
一つ、口元に冷笑を乗せて、アッシュは帰途についた。
狩りの興奮が残っている間に、伽藺にこと細かく伝えてやりたい。
「かりん! 帰ったぞ、何処だ?」
ばたばたと大声で呼び掛けながら、騒がしく屋敷中を歩き回って、妻の姿を探そうとするも。
愛しくてたまらない穏やかな姿はどこにも見当たらなかった。
高揚が焦燥となり、激昂をも呼び寄せ始める。
アッシュの剣幕に気弱なサリアがびくりと肩を竦める。
気分を害した彼が大声でがなり立てるのは、今に始まったことではないので、
リンネとアルクは平然としたものだった。
子供の世話を任されていたらしい彼女が言うには、伽藺はサーシャとユノを連れて神殿へ向かったという。
「馬鹿な!」とアッシュが声を荒げて、サリアはまたびくっと肩をすくめた。
だって、あんなに約束した。
決して先走るなと。
大丈夫です、と。いってらっしゃい、と。
昨晩のけだるさを残したまま、それでもあんなに清らかに、微笑んでいたじゃないか。
あの笑顔が嘘な筈はない。嘘など吐く筈はないんだ。
・・・けれど本当は、気付いていた。
昨晩の段階で、伽藺が何か思いつめていたこと、しきりに考え込んでいたこと。
アッシュの腕の中にいてもその瞳はどこか虚ろで。
だから、何度もしきりに言い聞かせた。決して独断専行はするなと・・・。
「かりん・・・!!」
自分の目を盗んで母に会いに行き、一体何をするつもりなのだろうか?
アッシュの中の激昂や焦燥は、極まって一種の冷静さを生み始めた。
伽藺が何かしてしまうならそれはそれで仕方がない。
問題は、妻がきちんと退路までを考えているか、そうではないかだ。
アッシュは激情的な人間だから、妻子にも気持ちは抑えず晒け出せと、常々より教えている。
押さえ込まれて圧縮された欲望ほど、後々に厄介になってくるものはない。
しかし爆発も発散も、きちんと退路を確認してからでなければ、意味がない。
アッシュのように、腕づくで退路を切り開ける自信が、あるならいい。
しかし伽藺は違うだろう。
あぁ見えても妻は計算高い。二進も三進もいかなくなるまでにはきちんと転進するだろうが、
それでもいざ手を下さねばならぬ状況に陥るまでは、虫一匹も殺せないような部分がある。
だから。
アッシュは自負していたのだ。
伽藺が何か究極的な手段に出てしまったときは、その身を抱えて逃げるのは自分の役目だと。
後を追ってすぐさま神殿に乗り込もうとも思ったが。
それよりも先に寄るのは下町歓楽街かと考える。
こんな土地でも、マフィアか盗賊ギルドくらいは、あるだろう。
金目のものは、この部屋をぐるりと見回しただけでも山ほどあるのだから、
足掛かりに困ることは無さそうなものだし。
あとはその者たちが『本当に』信用が置けるかについての目利きだが、
これについては本当に自分の勘を信じるしかない。
ギャングどもがアテにならなくとも、金さえ払えば忠実に動くような奴らは、いくらでもいる。
一枚岩の強固な宗教都市ならまずかったが、聞いた話によると実質ここの市長的存在であるジータは、
多少の差別や弾圧も政治のうちに盛り込んでいるという。
さすれば弱い立場に置かれた者が徒党を組み、差別をかいくぐるための組織を作っていることは、
どこの土地においても明白な理である。
どちらにしてもこんな、上級市民街で探せるものではない。少々寄り道をする必要がありそうだ。
方針を決め、行動に移そうと考えた折。
館の扉が開き、ばたばたと騒がしい足音と子供の泣き声が、玄関ホールに響き渡った。
◆
「やっぱ・・・、早計だった、・・・かなぁ?」
高い部分にある窓を見上げて伽藺は小さく呟いた。
監守は先ほどまで牢のすぐ横で見張っていたが、ただぼんやりと座り込むだけの伽藺を見飽きたのか、
今は見えない部分に引っ込んだようだ。
「ふふ。旦那様に怒られちゃいますね、これ」
きょろきょろと周囲を見渡す。他にも放り込まれている者はいるようで、そこかしこから気配を感じる。
「となると正面から堂々と出て行くのは、いくらなんでも危険に過ぎるかぁ」
当然ながら脱獄するなら、人目はなるべく無い方がいい。
「・・・あの窓かなぁ。ちょっと高いし格子も狭いから、『人の形』じゃ駄目ってことか」
片手をしゅるしゅると柳枝に変える。
妖怪、特に変化と幻術を得意とする樹妖の伽藺には、人間用の牢など押入れの障子戸にも等しい。
丸腰で来たものだから、特に武装解除などもされていないし、このまま出てしまっても問題はない筈だ。
「うーん・・・。とりあえず監守さんは、あとで怒られちゃったりしたら、ごめんなさい」
言うと柳枝を細長く伸ばして、窓に突き立った柵にくるりと巻き付けた。
◆
「か・・・伽藺坊ちゃまが・・・っ!」
「うわああぁん、うわあああぁん!」
「ゆ、夢見様へ乱暴を働いたとして、衛士団に捕らえられてしまいましたっ!!」
「何だと!?」
その言葉はアッシュにとって、信じられないものだった。
まさか『あの』伽藺が。
甘く優しいだけの妻ではないが、それにしてもいきなり暴力を奮うようなことを、
あの平和主義者がするとは思えない。
「馬鹿を言うな、何かの間違いではないのか!?
一体、何があった、何のつもりだ! かりんは何処だ!?」
老婆の襟元を掴むと、アッシュは矢継ぎ早に問い質した。
「え・・・いえ! 私も何が何だか・・・。
私は待合室で待っておけと言われて、ジュノーお坊ちゃまだけを連れて行かれたのです」
老婆も混乱しているようで、詳しい話を聞けるような状況には、思えなかった。
そこに、泣きじゃくった顔のままのユノが割って入り、アッシュにしがみ付いた。
「サーシャおばあちゃんいじめないで!
おばあちゃん悪くないよ、ゆのが悪い子だから、ママが怒っちゃったの!!」
「いえ、悪いのは軽率であったサーシャでございますよ、ユノ様はいい子でした」
どうやら唯一の目撃者はこの幼児であるらしい。
的を得た受け答えも出来ない子供から話を聞き出すなど、アッシュの最も苦手とするところだが、
伽藺の身柄が掛かっているのだから仕方がない。
これがそこいらを走っているような糞餓鬼なら、殴り飛ばしてでもきりきりと吐かせるのだが。
途切れ途切れかつ断片的な証言から話をまとめると、待合室にサーシャを待たせることにした伽藺は、
ユノを連れて夢見師の居室に入った。ここまでの手順はどうやら昨日の通りだったらしい。
しばらくは伽藺もカテリーンも和やかに話していたが抱いている子は誰かという話になり、
「誰だと思いますか」と伽藺は返した
「かりん・・・? いいえ違うわね、かりんはここにいますもの。じゃあきりん・・・??」
と悩み込む夢見に伽藺は、「わかりませんか? 末の弟のジュノーです」と、答えた。
ものごころ付いてから今まで母に会った記憶はなく、
「いい子にしていれば、母に褒めて貰える、抱きしめて貰える」と聞いて育っていたジュノーは、
どきどきしながら母の反応を待った。
しかし返って来た言葉は「知らないわ」というものだった。
ショックを受けたジュノーは泣き喚いた。
生まれてからずっと、会ったことは無いが話に聞いていた母に、拒絶されたのである。
たった5歳の子供に冷静でいろという方が無理な話であろう。
しかしそのけたたましい泣き声を聞いて、カテリーンも過去のトラウマを思い出したのか、
混乱したかのように泣き叫び始めた。
「泣かないでよ! 好きで置いて行くのじゃないわ!!」とユノに掴み掛かり、
そのまま胸を抑えて倒れ、騒ぎを聞き付けた衛士たちに、伽藺は連行されたのだという。
来賓扱いだったジュノーはサーシャに返され、二人はとりあえずそのまま戻って来たらしい。
「何だ・・・。まったくかりんは暴行など、犯しておらんではないか」
となると妻は投獄されているということになる。
早々に助け出す必要がありそうなものだが、神殿の牢ということは妻の両親の膝元になる。
多少の尋問はあるかも知れないが、拷問というレベルのことまでは、されはしないだろう。
となれば、根回しの方を先にしたほうが、いいのかも知れない。
奪還なら夜闇に乗じた方が良いだろうか・・・。
そこまで考えて、ふと先ほどの証言の一つに、疑問を持った。
「先程『悪いのは軽率であったサーシャ』と言ったな。
軽率だと言えることを、貴様は何かしたことがあるのか?
伽藺の言うがままについて行ったことか?
そもそも何故、今まで親と隔離させていた訳有りの幼児まで連れて同行することを、承諾したのだ?
そいつの実質的な親権者はあの小生意気な長女で、隔離についてもあの女が判断したことだろう。
だとすれば貴様の独断で面会させることは、乳母としては越権になるとは思わなかったのか??」
「そ、それは・・・、そう・・・ですけれど・・・」
老婆が怯えて口を噤むのを見て、アッシュはしまったと思った。
自分はいつもこうなのだ。
別にこの老婆を糾弾したかった訳じゃない。
ただ単純に、越権を犯してまで伽藺の頼みを受け入れた、その詳細が聞きたかったのだ。
それを知ることによって、伽藺が嘘をついてまで独行した、理由が読み取れるような気がしたから。
「責めているのではない」
今はそう呟くことが精一杯だった。
伽藺に対してなら最近では、特に意識しなくとも柔らかい言葉がいくらでも出るのだが、
他人には未だ冷たい言葉しか吐き出すことが出来ない。
しかしそれでもサーシャの緊張はほぐれたのだろう。
ユノのたどたどしい言葉を整理しているうちに、混乱が落ち着いて来たのかも知れない。
「伽藺坊ちゃまが昨晩ジーナ様から、どこまで聞いたのかはわかりません。
けれど私に『少しでも後悔されているのなら、今をおいて取り返す機会はない』と言われ・・・。
確かに私はかつての軽率で、ジータ様を・・・ひいてはユノ様を、歪めてしまいました」
サーシャから伝えられた話はおおまかには、昨晩に伽藺から聞いた話と同じような内容だったが、
ジータを引き取った前後に重点が置かれていた。主観がどこにあるかの問題だろう。
「ジータ様が夢見様からの虐待を受け、私が引き取ってからしばらくの間は・・・。
すっかり萎縮したジータ様に対して、私も腫れ物に触れるような接し方しか、出来ませんでした。
しかしこのままではいけないと。
このままでは、ジータ様とカテリーン様の間に、大きな深い溝が出来てしまうと。
カテリーン様は悪くないのだと、悪いのはあの方を狂わせてしまった、異国なのだと・・・」
そこまで言うと項垂れて、サーシャはユノを抱き締めた。
「それがジータ様を、あれだけ変えてしまうことになるとは、私は思っていなかったのです。
軽率でした・・・。カテリーン様を憎んで欲しくないばかりに、私はあの方の血の半分・・・。
お父様を、恨ませるような言葉を、吐いてしまった・・・」
ジータはその日から、丸まって怯えたように暮らすことは、無くなったが。
自らの父を含む全ての異国人を憎むようになり。
また、両親自体にも特別な幻想を抱かなくなったのか、『宗教という強い力を生み出す存在』として、
家や都市を大きくするための材料として扱うようになった。
「今のジータ様にとっては、街の運営も教団の管理も、全てはゲームに過ぎないのです。
・・・所詮、遊戯盤上の駒だと思い込むことで、孤独感に潰れそうな心から切り離したのでしょうが。
ユノ様の教育も・・・、人生も・・・。あの方にとっては多分、盤上の出来事の一つなのです・・・」
ぎゅっと強く、ユノを抱き締める。「こまー?」と、話が理解出来ていないユノは訊き返した。
「なぜユノ様を伴うのかと尋ねた時、伽藺坊ちゃまは『その子がいなければ母は欺瞞に気付かない』と言い、
また『親に愛されていることを知らずに育つと、無条件な愛を信じることが出来なくなる』とも、
言っていました。
あれは・・・坊ちゃま御自身のことだったのでしょうか・・・」
あぁそうか。アッシュは胸の奥から、何かのつかえが落ちた気がした。
◆
伽藺は常々、愛情の理由を聞きたがった。
理由などは無いと言っても伽藺は納得せず、やれ白い肌が好きだとか長い髪が好きだとか、
どこまでも服従するその姿勢が好きだなどと、一晩に渡って説明させられた夜もあった気がする。
擦れ違いが起きる時も、大体は伽藺が自分に向けられた愛や想いに気付かず、
自分は嫌われている・・・もう飽きられたんだと、落ち込んだ時に起こっていた。
アッシュからすれば愛することに理由などは無いのだ。
それは魂の咆哮であり、本能が指示する行動なのだから。
確かに、最初に惹かれたのは儚げな容姿であったし、都合がいいから側に置こうと決めたのもある。
しかしそれは単なるきっかけにしか過ぎず、それが恋から愛となった今においては、
表面的過ぎて無意味な事象でしか無いのだ。
多分、今の自分なら妻の美しさが失われても、愛し続けることが出来るだろう。
家事をすることも、自らへの奉仕が出来なくなったとしても、変わらずに愛することが出来る。
それは魂がそう望んでいるから。
・・・しかし妻はそれを、理解出来ないという。
理由のない愛や理由のない信頼、そんなものを信じて甘えるような、恐ろしい真似はできないと。
やがて、恋人から婚約者となり、夫婦となって。悪戯に不安がることは少なくなったが。
それでもやはり時折は怯えて、アッシュの想いを拒絶しようと、することもあった。
捨てられるくらいならば、自分から壊して逃げた方がまし。
妻の反抗や憎まれ口の原因が、大体においてそこにあると認識できてからは、
アッシュも随分と寛大になったかと思う。余裕が出来たのかも知れない。
けれど。
そんな理由で妻からは、揺ぎ無き意思力を持つと思われているであろうアッシュにだって、
伽藺の不安がわからない訳ではないのだ。
寧ろこの臆病な伽藺でさえ信じているような愛も、アッシュは信じられていないのかも知れない。
アッシュはそもそも他者からの愛が、自分に向けられる可能性があるなど、考えたことも無かった。
自分は常に残虐で非道で。狙われた者からすれば、悪魔以外の何でもなく。
だから自分から伽藺に対する愛は、この上なく信じられるものの一つではあったが、
伽藺から自分に返される愛など、ある筈はないと長らく信じ込んでいた。
そう。この世の悪徳を体現したかのような、こんな男に向けられる愛などは無い。
期待しなかったから、絶望もしなかった。伽藺と愛し合うまでは。
・・・自分がそうなったのも、ひょっとするとその言葉の通り、親からの愛情のようなものを、
感じたことが無かったからなのかも知れない。
◆
「そりゃあ私も反省するところがありましたし、協力出来ることならしようとは思っていましたが、
まさかこんなことになるとは・・・」
困り果てて呟く老婆に、抱き竦められたままのユノが、問い掛ける。
「ユノ・・・ママの子じゃないの?」
カテリーンの言葉が胸に刺さったままになっているのだろうか。
「いいえこんなに、カティ様にそっくりではありませんか。示蓮様にもそのうち似て来ますよ」と、
サーシャはその小さな頭を撫でた。
「ふん、貴様らの自己嫌悪などは、どうでもいい。
要は狂人よりぽんぽんと産み落とされた赤児が、母の愛憎を巡り歪んだということだ。
・・・下らん。俺はかりんを連れ戻しに行く」
大体の事情は飲み込めた。あとは退路を確保しつつ、妻を奪還すれば問題は無い。
資本金を漁ろうと、館の奥に引っ込もうとした時、静かな音を立てて扉がそっと開いた。
「あのぉ~・・・。えへへ、ただいま、です・・・」
扉の向こうでは頭から埃を被った伽藺が、申し訳なさそうにアッシュを見つめていた。
エディンまで転送して貰ってからは、またしばらく平和な日々が続いた。
最初の方こそ、錯乱することが多かったカテリーンだが、住み慣れたエディンの暮らしに少しずつ癒され、
数年も経つ頃には安定して見える日の方が多くなった。
そして驚いたのは、予知夢の頻度と精度がどんどん、上がっていったことだった。
時折、「今日は伽藺にこんなことがあったの」「赤ちゃんは希鈴って名付けられたみたい」などと、
報告のようなことを言って来る様子に示蓮は、子供を案ずる心がそんな夢を見せるのだと思ったのだが。
明日の天気から始まって、来客の予定やオアシスの感知、疫病の予知など・・・。
いつしか彼女の周りには悩める者が集まるようになり。
カテリーンにとっても、自分が誰かの役に立っていると自覚することが、
失われた自信の回復に繋がっていった。
最大の転機は、この土地にはあるはずが無いと諦められていた、豊かな水脈を探し当てた時だった。
当初は半信半疑で土を掘っていた者たちも、染み出す水を目の当たりにしては、張り切らない訳にはいかず。
やがて、こんこんと湧き出す水脈に突き当たったところで、噴き出した水は豊かな川となった。
大集落が組み上げられるのもそう時間はかからず、カテリーンは『夢見様』として崇められるようになった。
示蓮も最初は、カテリーンを守れなかった不甲斐ない男として、彼女の縁者から白い眼で見られた。
しかし、献身的に彼女に尽くし保護している様子から、少しずつではあるが許されていった。
示蓮としてはもっと厳しくされても良いくらいであった。
暮蒔の里でカテリーンが味わった孤独や絶望に比べれば・・・。
少し元気になり。
自信が戻ったようにも見えるカテリーンは、しきりに一つの欲求を示蓮に囁くようになった。
「子供が欲しい」と。
もう会えないかもしれない息子たちを、忘れようとしているのだろうか。
・・・いや、それは無い。この妻に限って。
かつて幸福だった親子3人の生活を、純粋に取り戻そうとしているのだと思った。
母性の強い女性だ。生活と心身が安定したら当然、子供を育てたくもなるのだろう。
斬られた足の腱はそのままだし、自分では歩くことさえ出来ない。
しかしそれでも周囲のサポートさえ整えれば、出産や子育てだって行うことが出来るだろう。
少し考えて示蓮は、夢見師であるカテリーンを中心とした、小さな教団を組織することにした。
宗教というよりは親衛隊に近く、体の不自由なカテリーンを補助することで彼女の集中力と霊感を高め、
より精緻な啓示を受けるということを目的とする団体であった。
教義自体はかつてカテリーンの先祖たちが仕え、未だにエディン全体に浸透しているアース教を基盤に、
コリーア教の良いところを取る形とした。
やがてカテリーンは妊娠。
今度こそ幸せな環境で、平和に穏やかに・・・親子で生活が出来ると、思った。
・・・思っていた。
身篭ってからというもの、安定したように思えてきたカテリーンの様子に、また翳りが出始めたのだ。
まず夢見の力はますます精度を増していった。
しかしそれと同時に、過去のトラウマを思い出すことも、多くなったのだ。
一度思い出せばしばらくは狂乱状態が続く。
置いてきた子供たちの夢もよく見るようになり、泣きながら目覚めることも多くなった。
伽藺に会いたい、希鈴に会いたいと、毎日のように呟くようになり。
そして、出産。
幸せに満ちていたはずのそれは、幼子を一目見たカテリーンの悲鳴によって、引き裂かれた。
「嫌あああぁぁ・・・! どうして・・・示蓮に似ていないわっ!?
やっぱりこの子は、貴方の子じゃないんだわ。産んではいけない子だったのよ・・・!!」
「お、落ち着けカティ。もうここは暮蒔じゃないし、あれからもう、5年以上も経ってるんだ」
「私っ・・・、私、貴方を裏切・・・、・・・裏切って・・・!!」
「大丈夫だから! この子は間違いなく私の子で、そのうちきっと似て来るから!!
ほら、今はカティにそっくりだから、まだわからないだけなんだ」
「・・・・・・、・・・ほんと・・・?」
しばらくの間、発作的に狂乱したら、すぐに落ち着きを取り戻す。
そうしてその後はすぐに、元の母性的な彼女に戻るのだ。
狂乱したことは全くもって覚えていないかのように。
カテリーンによく似た、亜麻色の髪に栗色の瞳。愛らしい女の子。
混乱していない時のカテリーンは、待ち望んだ赤ん坊をそれこそ可愛がった。
愛する夫と大切な子供。
宝物を全て、手元において暮らすことが出来るなど、何年振りだろうか。
けれど不意に思い出す。伽藺、希鈴。そして・・・あの恐ろしい里での生活。
機嫌良く鼻歌でも歌っていたかと思えば、病的なほどに怯えて娘を抱き締め。
そして時折狂ったように、あなたは生まれてはいけない子だったのだと、泣き喚きながら糾弾する。
娘・・・ジリエッタ、ジータはそのうち何を言われても、何をされても。
表情も変えなければ言葉も発さない、生きたまま死んでいるような子供に、育っていった。
そしてある日、家事を手伝いに来たサーシャが目にした、その場面は。
「あなたは罪の子」と呟きながら、虚ろな表情で娘の首を絞める、カテリーンと。
何の抵抗もせずにぐったりとしている、まだ二歳にもならないジータの姿であった・・・。
サーシャは、慌ててジータをひったくると病院に運び込み、救命を行った後にそのまま、
自分の家で育てることにした。
最初の方こそ無感情で無表情な様子ばかりを見せていたジータであったが、
じきに日々怯えて泣き暮らすようになり、それから少しずつ笑顔を見せるようになった。
言葉も少しずつ話すようになり、普通の子と変わらない・・・いや、平均よりは幾分か利発な子に、
成長していった。
しかしカテリーンは、またも子供を奪われたとばかりに、激しく嘆き悲しんだ。
狂乱している間の記憶を保持しないカテリーンは、引き離された理由がわからないままに落ち込み、
新たな子が欲しいと示蓮に詰め寄った。
そうして次にカルタが生まれたが、同じ悲劇を繰り返してはいけないと、
サーシャがその子を育てるために連れ去ってしまう。
それも、正しいことなのだと理解出来るから、示蓮には止めることが出来ない。
しかしやはり、また引き離される理由のわからないカテリーンが、新たな子を望み。
明るい少女だった妻を、狂わせてしまった負い目もあって、逆らえない示蓮は・・・。
そうしてカルラと、それからジュノーが生まれた。
元々あまり体の強く無かったカテリーンは、ジュノーを生むと同時に決定的に体を壊し、
本格的に伏せる生活に入ることになった。
それ自体は辛いことなのだが、もうカテリーンに新たな子を望まれることが無いと思うと、
どこかほっとしてしまう示蓮がいた。
それが後ろめたさにも繋がり、罪悪感から逃げるために示蓮はますます、
忠実に誠実に《夢見師》カテリーンに仕えた。
そうすることで彼女以外の『家族』、・・・つまり子供たちに向き合わなくて済むんだことも、
その時の示蓮にとっては一つの救いであった。
もう、彼は人生における選択ミスを、重ね過ぎていて。
どうしていいのか、どう生きていいのか。妻や子供にどう接していいのか、わからなくなっていたのだ。
◆
「ですから私たちは、ほとんど・・・父母と過ごした時間が、ありません」
気弱げに困り笑いの表情を浮かべるジーナ。
「私たち姉妹、そしてユノにとっては、サーシャこそが母親で・・・。
実の母は幼い頃に引き離された『夢見さま』なのです。
そして父は・・・、父は私たちにどう接していいのか、きっとわからなかったのだと思います。
母の身辺を守護する衛士として、徹底した振る舞いをすることで、私たち・・・という。
愛すべき対象でありながらも、自らの罪と失敗の証である、その存在を・・・。
・・・直視しないように、生きることにしたのだと、思います」
親に疎まれていた・・・という訳ではない。
確かに自分たちは、愛し合っていた両親から生まれたし、望まれて生まれた子でもある。
なのに・・・、・・・なのに・・・。
どうして素直に家族と呼び合うことが出来ないんだろう?
「それでも私たちは、それが当然のことだと思って、生きて来た。
けれどジータ姉様は・・・、多分・・・覚えているんです・・・。
母親に抱かれるぬくもりや愛される喜び、そして・・・それとは真逆の突き放される辛さ。
罪の子・・・と糾弾される、その痛みも・・・」
やがて、ジータは歳相応以上の知性と閃きを、才覚として現わすようになって来た。
10歳になるかならぬかのうちに教団の形式に口を出し始め、
いろんな集落から人が集まって来ただけであった街にも統治が必要だとして、
ちょっとした宗教都市へと変えてしまった。
信仰の対象として大きな神殿を作り。
夢見師を神格化することで。
『大いなる存在』に依存したがる集団心理を煽り。
彼女が動き始めてからの数年で、ここはすっかり大きな都市となってしまった。
信者たちが落とす金、それから整備された土地に住まう者が収める税金は、
さらに街の整備と上下水道設備に充てられ。
この土地で生きるうえでの命綱となる『水』は、決められた法の下で管理されることになった。
良く尽くす市民には水は、惜しみなく並々と与えられる。
逆に無法の者や後ろ盾のない者、働かない者はたった一杯の水を得るために、
それなりの苦労や恥辱を払わないといけないようになった。
圧制だとされないよう、弱い者や理由のある者には、そこそこの福祉を与えるようにした。
制限は自分の名において。恵みは夢見師の名において。執行は衛士の名において。
そうしてさらに信仰を、揺ぎ無きものにするために。
「人の弱さにうまく切り込んで、秩序と規律を組み込んだ・・・。
政治家としての彼女は、とても有能なのだと思います。
彼女のおかげでこの街は安全になり、私たちは名士の一族として何不自由のない暮らしを、
出来るようになりました。
・・・ただ、それらを考え付くことが出来るのも、実行することが出来るのも、
心の奥底にある不信感や劣等感・・・そういうものが働いてのことだと思うのです。
そう考えると姉は、とても淋しい人なんだなって、・・・思います・・・」
ジーナは俯いて唇を噛む。
「私くらいは・・・あの人の側にいて、助けてあげたい・・・。
けれどあの人の行う行動は時折、側で見ているには・・・、私には・・・辛過ぎて・・・。
あの方は市民や土着の者にはとても優しい。勿論、都市運営にプラスになればですけれどね。
ですが・・・異国の民にはとても厳しく、時として迫害さえも扇動することがあります。
異国の民を・・・。『得体の知れぬ者』を、心から憎んでいますから・・・」
そのことについてお話するのでしたねと、気を取り直すように薄く微笑み。
「サーシャはとても素敵な育ての母親です。明るく優しく時に厳しくてユーモアがある。
けれど彼女だって心を持った人間です。
表立って口には出さずとも、母を悲しませて壊した異人に対しては、敵愾心があったのでしょう。
そしてまた、心を閉ざしてしまっていた幼い姉を、癒す必要もあったのだと思います」
元・乳母として、娘同然に思っているカテリーンを、憎まれたくないという思いもあったのだろう。
幼いジータにあれは本当のカテリーンが行った行動ではないと。
彼女は本来とても明るく優しい女性で、それを狂わせてしまったのは異国に住む、
人の姿をした悪魔たちなのだと。そう説明して育てた。
根は素直な少女であったのだろうジータは彼女の言葉を信じて育ち。
そして優しかった母を狂わせたという異国の民と、その仲間である父を・・・強く憎むようになった。
「そんなことが・・・」
伽藺は痛ましげな表情で、ティーテーブルに肘をつき、組んだ手に額を付けた。
「今はサーシャも後悔しているようです。
夢見様への誤解を解きたかったとはいえど、また幼い子供に聞かせる話では無かったと」
しかし今となっては仕方のない話。
過ぎてしまった時間は戻らず、後悔が先に立つこともない。
誰が悪かったのか、今となってはもう、わからない。
沢山の失敗と沢山の後悔が絡んで、その結果としての今がここにあった。
◆
「・・・あなたも、サーシャ様から、その話・・・を?」
えへへ、と困ったように笑って、ジータが告げる。
「私は・・・、私も母様ほどではありませんけれど、一応は夢見師ですから・・・」
「・・・、それ・・・、は・・・」
「特に母とは波長が合うようで、あの方の考えていることや記憶は、よくよく私の中に流れて来ます。
時折・・・ですが、父からも・・・。
あっ、でも気にしないで下さいね!
こうして起きている時に、人の心を覗いてしまうなんてことは、ありませんから!!」
ぶんぶんと慌てて手を振る。
そうだ、相手がこんな小さな子供だとはいえ、いや・・・子供だからこそ。
自分の記憶や思考が、覗かれるかも知れなければ、人は警戒するのだと思う。
そんな反応を彼女は今まで、何度も向けられて来たのだろう。
内気だが素直で愛らしい、人好きのする少女である。
だから、初見の者は大抵好意を持って可愛がるのだろうが、彼女の能力を知ったら・・・。
姉とは違う形の絶望を彼女も、何度も味わって来ているのだろう。
「いえ、私は大丈夫ですよ・・・」
安心させるように笑ってみせるが、内心は伽藺も気味の悪さを感じていた。
伽藺もまた過去にいろいろあった身の上である。
胸を張れるような経歴ではないし、人には言えないこともいくつかは、して来ている。
もし心や記憶が誰かに覗かれるとしたら、とても居心地の悪い思いをすることになる。
けれど彼女は、そういう警戒の眼を向けられることにも慣れていて、
それは仕方のないことだともう、諦めているのだろう。
そしてまた彼女はその能力により、両親のトラウマを引き継いでしまっている。
母がその恐怖から狂った一夜・・・。
父が誰にも語ることのない秘密と、心の奥底に仕舞いこんだ罪・・・。
たった10歳の少女の身の上でありながら、両親の心さえも壊してしまったそんな事件を、
夢とはいえ経験してしまった彼女は。
それでも目の前でこんなに。
今にも手折られそうな花のように、儚げに夜風に吹かれ微笑んでいる。
自分が10歳くらいの頃は、ここまで強くあれただろうか。
「強いのですね」
「えっ・・・」
「いえ。まだそんなに小さいのに、あなたは強いな・・・って思って」
「・・・・・・?」
言葉の意味を、少し考えてから、ジーナが口を開く。
「小さいから・・・。子供だから、なのだと思います」
「え・・・?」
「まだ、何が辛くて何が辛くないのか。わからないような子供だから。
だから平気でいっらえるのだと思います。
このまま私が大人になった時、これがどう響いて、関わって来るのか。
それはわかりません」
俯き加減に呟く少女の顔に薄く浮かんだ笑み。
自嘲の色が浮かんだと感じたのは、伽藺の考え過ぎだったのだろうか?
「何も怖いと思わないかわりに、大切なものや愛する気持ちも、持てなくなる・・・。
そんな大人になる可能性も、あるかも知れないと・・・思っています」
高過ぎる知性と、早過ぎる諦念。
その代償が何であるかを、彼女は姉の姿を見て、既に知っていた。
だから。
いつか自身もそうなるかも知れないのだと、日々覚悟を決めて生きているのだろう。
その覚悟がさらに、彼女自身から夢や希望を奪う結果になるかも知れないと、
そこまで気付いているのかいないのかはわからないが。
「だいじょうぶ、・・・ですよ」
強くあろうと。
こんな小さな体で、それでも吹く風に飛ばされず、生きて行こうとしている妹。
「信じることです。あなたはそんなに強くて、賢くて、そして・・・優しい。
それだけのものを与えられたのだし、もっと自信を持ってもいい筈です。
あなた自身を信じてあげなければ、起こる奇跡だって起こりませんよ?」
「奇跡・・・?」
自分のものよりも、さらに柔らかな緑の髪を、伽藺はふわりと撫でる。
「あなたならきっと、奇跡さえも起こせるように、なると思います。
苦しみや悲しみではなく、思い遣りや愛をその原動力にして、
母上とは全く違う新しい力を持つ、『夢見師』になれる筈です。・・・・・・ね?」
ずっと離れて暮らしていた兄の言葉は、妹の心にどう響いたのだろうか。
頭に置かれた手の温もりに薄く頬を染めると、小さく・・・しかししっかりと頷き。
「はい」と。消え入りそうな声で返した。
すっかり陽も落ち、辺りは真っ暗になった。
暑い地方とはいえこの時間になるとさすがに冷える。
そろそろ戻ろうかと伽藺が促し、手を掛けたジーナの肩が冷えているのに気付くと、
自身が羽織っていた薄手のショールを着せ掛けた。
◆
アッシュが。
ゆっくりと眠りの世界に招かれ始めた頃、扉を静かに開けて伽藺も戻って来た。
普段ならすぐ隣に潜り込んで来そうなものだが、今日ばかりは深くため息をついて、
ベッドの隅に腰かけたままでいる。
「そ・・・か。そうだよな、歳が離れ過ぎてた。・・・でもこれで繋がった。
母も被害者だろうけれど、彼女も・・・被害者だったのか」
母を怨むことが許されないなら、父に憎しみを転嫁するしかない。
身近にいる憎むべき相手といえば、母を狂わせた者たちの同族である、彼しかいないから。
けれどそれはあまりにも、哀しい選択でもある。
自分の親を憎むということは、自分の血の半分を憎むことでも、ある。
「母上・・・今は、大丈夫なのかな・・・。
私に話掛けてくれた母上は、正気の母上・・・なんだよね?
やはり私は今さら、頼るべき・・・では、無かったの、かな・・・」
別れ際。
「それでもやっぱり、母・・・夢見様にとって、幸福な時代の象徴は、兄様なのだし。
今でも会いたい・・・会って確認したい、父にちゃんと似たのか知りたい子供、は。
『キリン』という名の・・・二番目の兄様だと思うのです」と。
ジーナに言われた言葉が脳裏を過ぎる。
「僕は・・・どうするべきなのだろう?
何が出来ると・・・、いうの・・・かな・・・」
小さく呟きながら考え込んでいたが、首をふるふると振って思考を飛ばすと、
夫が横になるベッドに入った。
その感触に気付いて目を開けると、アッシュは静かに伽藺を抱き締めた。
「話はどうだった? 疑問は解けたが、不安が的を得た、という顔だ」
薄暗がりの中の妻に笑い掛けると、伽藺もそれに返すようび、曖昧な笑みを浮かべた。
「・・・かりん。
貴様がやはり預けたくはないというなら、それは貴様が決めていい。
そうなれば、俺のろくなのがおらん知り合いのからでも、探してみる」
よほどまともな人脈が無いのか、前々からアッシュは自分の関係者にだけは、
預けたくないと言っていたのだが。
その意見を曲げてもいいと思うほど、伽藺の様子は憔悴していたのかも知れない。
けれど妻は静かに頭を振った。
「彼女自身がかつて、保護者の手によって生命の危機に曝されていた、立場のようですから。
子供を相手に露骨ないやがらせをすることはしないでしょう。
・・・成人したらそれこそ、財産分与上のトラブルを避けるため、
容赦なく放逐されるのでしょうけどね」
「ふん。
幼少時にトラウマを抱え、しかも解消し得てないものこそ、鬱屈を子にぶつけるものだぞ?」
「それについても大丈夫でしょう、ある程度の年齢にまで育てばあの子たちは、
強く生きてくれると思います。それだけのしたたかさはある子供たちだと思いますから。
ですが・・・、それより・・・」
小さく俯く伽藺は何か、言い辛いことを言おうと、しているようだった。
アッシュがゆったりとその背を撫で、緊張を解しながら言葉の先を促す。
「私自身が・・・。今回のお話を壊してしまったら、・・・ごめんなさい」
「・・・ん?」
意味を掴み損ねたアッシュに伽藺が、同じ言葉を伝えることは無かった。
「何のことだか知らんが、貴様の思う道を行け。
俺はいつだって、貴様の隣を歩いている。フォローくらい任せろ」
頼り甲斐のある夫の言葉に、一瞬嬉しそうな顔をした、伽藺は。
しかしすぐに淋しげな表情に戻って、「はい」と小さく返して微笑んだ。
「明日も会いに行こう。貴様の母にな」
「。 ・・・そうですね、明日。・・・明日・・・。
・・・そう、・・・会わなきゃ。このままじゃ、駄目・・・。」
少し、驚いたような風情を見せたのは、何故だったのか。
不審に思ってアッシュは、もう一度しっかりと念を押した。
「共にだぞ? いいか、独断専行は、するなよ??」
その言葉には返さず、伽藺は薄く笑っていた。
そのまま、夫の手指に自らのそれを絡み合わせ、唇同士を深く噛み合わせた。
外気よりも温度が、低いのではないかと思えるくらい、ひんやりとした舌が愛撫を求める。
そんな妻の体がふっと消えてしまいそうな気がして、アッシュは背中を強く掻き抱いた。
「ぁ、・・・っ・・」
力いっぱい抱き締められ、薄い肉の中で背骨が軽く軋む。
伽藺は細い声を絞り、静かに問い掛けた。
「私の身内の面倒など、関わりたくは…ないでしょう?」
「面倒は確かに嫌いだが、貴様に関することには、立ち会わんで何とする。
傍にいてこそ護れることもあるだろう」
アッシュの。・・・最愛の夫・レオンの想いのこもった言葉に、伽藺は少し涙ぐみそうになった。
それを誤魔化すかのように唇を這わせれば、夫の手が夜着をはだけて素肌をなぞり始める。
「かりん。男の体であっても、可愛いぞ・・・?」
「ふふ、貴方は逞しくて、とても素敵ですよ。レオン」
女体である普段よりも硬質な感触を楽しみながら、アッシュは妻の身を覆う夜着を下着ごと全て脱がし。
乱雑にベッドの下に落とすと、一糸纏わぬ裸の体の肩に、胸元に、臍に、そして膝に・・・、
あらゆる場所に接吻けを落とし。
不安を振り払うかのように絡み、飽きるほどに愛し合う二つの姿を。
カーテン越しに煌々と光る、砂漠の月だけが見守っていた。
夜のエディンは、日中の陽射しがうそであるかのように涼しく、乾いた風が髪や頬を撫でていった。
そこに、よく似た姿の兄妹がゆったりと、夜着をひらめかせて歩いてゆく。
庭は緑豊かで、多くの花が咲いているように見受けられたが、その殆どが多肉植物の一種であるようだ。
乾いた地方は乾いた地方で、やはり植物も独自進化を、するのだろう。
「姉は外の世界の・・・特に倭人の方が嫌いなんです」
細い声が言葉を紡ぐ。
どこか思い詰めたような細くて高い声。
自分ではよくわからないけれど常々、女性化した伽藺の声を甲高いと評している夫に聞けば、
またよく似ているというのだろうか?
「それは父さまに対しても同じ・・・。
あまりに幼い頃から父に反発するものだから、今では父自身もあまり私たちに構わないように、なってしまいました。
私だけは夢見師の修業をしている関係で、まだ父や母には可愛がって貰えますけどね。
カルタもあの通り屈託がないからいいんですが、カルラやユノはかわいそう・・・だと、・・・思います」
カルラという名の末の妹は、幼いながらに寡黙で毒舌で、どこか大人っぽい雰囲気を持つ少女だ。
(共通語がまだあまり流暢ではないようなので、伽藺からすればあまり喋る印象がないからかも知れないが)
考えてみればあの冷静さは、幼さに似合わない諦めを重ねた末に、得たものなのかも知れない。
ユノという末弟に至ってはまだ幼過ぎて、分析のしようもないのだけれど。
カルタもそんな悩みには無縁なように思えるが、ひょっとすればあの明るさや少年っぽい活発さ、
アッシュにやたら懐く態度などは、父親の影が薄いことでのの寂しさが、影響しているのかもしれない。
「そう・・・ですか・・・。
親がすぐ近くにいるのによそよそしいというのは、離れて暮らしているよりも淋しいことかも、知れませんね」
「あ・・・すみません。カリン兄様は両親の側にさえ、いなかったというのに」
「いいえ、私にはよくしてくださる方たちが、おりましたから」
里長家の者という立場上、表に見える形での不自由は無かった。
異人の子だと言外の迫害は受けたが、それは特に言う事でもないだろう。
「そう・・・ですか、はい。私たちにも・・・、サーシャがいてくれたから・・・」
あの騒がしい老婆は末弟にはいたく懐かれていたようだ。
「ええ、ああいう方の存在は、頼もしいものですよね。
けれど・・・ジータ様は何故そこまで、倭人を嫌っているの・・・です?」
「その理由も説明したいと思って」と、ジーナは幼い娘に不釣り合いなほどに、しっかりと言葉を紡いだ
夕食の席で萎縮するように座っていた娘と同じ人物だとは到底思えない。
最もその顔色には強く緊張が表れており、たった10歳の少女が話すにはあまりにも重い事情が、
隠されているようであった。
「・・・少し、長いお話になるかも知れません。テラスにお茶を運ばせましょう」
◆
「父さまと母さまの出会いは、もうほとんど30年近く前。
まだ若かった父さまがこの世界・・・エディンに迷い込んだことから端を発するようです」
当時、示蓮はまだ、15歳。
けれどもう既に、郷里では若き里長として、多忙の日々を送っていたという。
「とはいえまだ先代の長さま・・・、つまり私たちのお爺さまはご存命でしたから、
内々のことよりは部隊を率いて、一族の使命の元に戦いに赴くことの方が、多かったようです。
ええと・・・確か父さまのご実家は、人ならぬ者たちと戦うことを、生業としていたのですよね?」
その通り。
『暮蒔』の一族は、半妖であるその身・その血を利用して、人の世に迷い込んだ妖を狩る。
穏やかに会話で解決した後に送還する場合もあるが、大体においては血みどろの戦いを繰り広げることになる。
「そう・・・ですね・・・」
半妖の里とはいえ、その中には妖の特徴の薄い者から、濃い者まで雑多にいる。
どちらかというと幼い頃から体術よりは魔力に優れ、召喚術で妖と接する機会の多かった伽藺からすれば、
同族殺しを定められた一族に思えて仕方が無かった。
「そんな中、何らかの事故でエディン・・・。
当時はまだ巧妙に封じられ隠されていた、この世界に飛ばされてしまったようなのです」
戦いの中にしか、生きることを許されない少年は、そこに生きる少女に恋をした。
その娘は行動も性格もおっとりとして、まったく平和を体現しているかのようであったが、
過酷な自然環境の中で暮らしているためか、示蓮よりもよっぽどしっかりしている部分もあった。
ただの漂流人であったはずの示蓮はいつしか、この少女と離れたくないと思うようになり。
少女もこの異国の少年に対し、興味や愛着を通り越した何かを、覚えるようになった。
やがて少女が15歳の成人を迎え。
彼ら二人は、それが当然の流れであるかのように、小さな小さな結婚式を挙げた。
今のような大きな街ではなく、まだ水場を探してさまようような、小さな集落の主であったこの一族には。
血縁や素性を探るような慣習は無く、ただ健康で働き者であることそれだけを見込まれて、
示蓮は改めて、この少女・カテリーンの配偶者として、集落に迎え入れられた。
もっとも、この時。示蓮はカテリーンを失いたくないあまり、彼女に伝えていない秘密があったのだ。
自分は里長の身分であるので、いつか戻らなければならないこと、と・・・。
親族が決めたことで、自分の意思では無かったとはいえ、もう既に故郷には妻がいること。
その妻とは死別しているが、未だ幼い娘が一人いること。
◆
若い夫婦の間にはほどなくして、玉のような男の赤ん坊が生まれた。
名前はカテリーンの愛称である『カリン』にちなんで『伽藺』。
カテリーンの方は改めて『カティ』と呼ばれるようになった。
両親のどちらとも違う緑の髪にカテリーンは驚いたが、示蓮から樹妖である祖母の血から来たものだと聞いた。
それでも水や緑に乏しい砂漠の土地に、神が恵みの子をもたらしたのだと、若い母親は喜んだ。
特別元気とは言えない赤子だったが、それでも大きな病気をすることもなく、ごくスムーズに育児は進んでいった。
カテリーンの両親は数年前に亡くなっていたが、彼女のかつての乳母・サーシャの助けも得ることが出来た。
そして飛ぶように過ぎる日々が一段落した後。
示蓮はとうとうひた隠しにしていた事実を、カテリーンに打ち明けたのだった。
カテリーンは最初、何故そんなに示蓮が恐縮しているのか、わからなかった。
妻とはいっても、親族が決めた相手だというし、既に死別して久しいという話だ。
残して来た子供というのが、心配だという気持ちはわかるので、その子は引き取ろうと夫に話した。
けれど夫は首を振り、その子は既に里の重要な位置に置かれていて、引き取ることは出来ないという。
それどころか自分もいずれは、里に帰らなければいけない、という。
ならば。
愛しい人が旅立つというなら、それに従うのが妻というものだと、カテリーンは夫に告げた。
遠い、遠い。異郷の地。それでも愛し合っているなら、困難だって乗り越えて行ける筈。
厳しい自然の中で身を寄せて暮らす、ある意味平和で暖かい人々の中で育った、カテリーンには。
その先に待つ苦難や恐怖を、予測する術は・・・無かったのだ。
◆
ムロマチのさらに奥地に位置する半妖たちの里・暮蒔。
灼熱の砂漠とは全く違う、いっそ清涼ともいえる季候のその土地に、まずカテリーンは驚いて。
そして言葉が全く通じないことに強い不安を露わにした。
それでも夫が無事な姿を見せることで、人々が喜んでいるのを見ると嬉しく思ったし、
夫のことをこんなに想う人たちなのだから、きっと自分も受け入れて貰えるに違いない。
と・・・思っていた。
まず、案内されたのは、小さな小屋だった。
すぐ家に入れる訳にはいかないから、ここで待っていて欲しいといわれたので、
素直なカテリーンは頷いて従った。
子供は手渡した。既成事実が説得の材料になるかもしれない、と、夫が説明したので。
・・・でも何故、説得なんかしないと、いけないのだろう?
私と示蓮が夫婦だというのは、もう神様にも誓った決まり事で。
子供がいることだって、今更覆しようもない事実なのに。
次に、示蓮の顔を見ることが出来たのは、深夜に近付いた頃だった。
頬が青く腫れている・・・。
カテリーンは、「どうしたの」とその痣に触れ、簡単に治癒の術を施した。
示蓮はそのままぎゅっと彼女を抱き締めると、「駄目だった・・・」と搾り出すように呟いた。
子供は、その手の中には、居なかった。
落ち着いた示蓮が話すには、カテリーンの存在を親族たちに、認めて貰えなかったという。
前妻との婚姻が解消されていないというのに、新しい妻・・・しかも異国の素性の知れない女など、
認めるわけにはいかないと言われた、というのだ。
前妻といっても亡くなっているのでは、と返すと、姻戚関係やら何やらが複雑で、
親族対親族の話し合いで解消せねば、死後も夫婦という関係は続くのだという。
素性の知れない女というが、自分の一族は両親こそ亡くなっているものの、
エディンではかなり古い神官家に属すると伝えたが、
「駄目なんだ。やつら自分が理解出来るもの意外、全てが『素性の知れないもの』なんだ」
と、示蓮はうなだれるだけだった。
しかし、子供のことだけは好意的に、受け取られたという。
前妻との間にいるのは娘だけだが、こっちは息子だったからかも知れない。
赤子なのでまだ顔立ちなどはわからないが、髪や目の色が示蓮の祖母である樹妖に、
似ていたせいもあるのかも知れない。
「じゃあ子供のことは認めてくれるのね」
「あぁ・・・だけど下手をしたら、伽藺を取られてしまうかも知れない」
「どういうこと?」
「子供を認めて、その母親を認めないということは、つまり・・・。
母親はいないということにして、他の乳母や養育係を付けて、育てる・・・ということだ」
「な、何・・・、それ・・・」
狂っている、と、カテリーンは思った。
健康上にも倫理上にも、何の問題もない母子を引き離して、育てるなんて。
けれど示蓮はそのことについては、何の疑問も抱いてはいないようだった。
この常識の中で育った人なのだと思うと、急に彼との距離が開いたような気になった。
子供を取り戻して、エディンに帰ろうと訴えたが、簡単には返して貰えないと告げられた。
そうして・・・ここから数年。
暮蒔の里での、夫婦にとっては辛い生活が、続くのだった。
示蓮は立場を築き、少しでも自分の意思を認めてもらおうと、里の仕事に全力投球で関わって。
カテリーンは示蓮の妻とは認められないまま、子供とも引き離されて暮らしていた。
時折、仕事の合間に示蓮が帰って来た時の、つかの間の邂逅。
それだけが生きている心地のする時間であった。
暮蒔本家で大切に育てられている伽藺を、ときたま遠目に見ることのできる瞬間があるから、
カテリーンはまだこの里にいることが出来た。
一応、妻とは認められてはいないが、示蓮の『もの』という扱いでは、あったらしい。
なので生活は保障されたし、寄越される侍女たちとの会話で、言葉も少しずつ覚えた。
時折、意地の悪い侍女が来て、嫌がらせをする事もあった。
どうやらそれは、示蓮の前妻の子である娘・磨凛が、させていることであったらしい。
最初は不可解な気持ちで一杯だったが、そのうちにそれも当然なのだろうなと、
思うようになって来た。
嫉妬や嫌がらせという行為があるということもこの生活の中で学んでいった。
穏やかに暮らして来た彼女にとっては、何もかもが信じられないことばかりであった。
◆
事件は、示蓮が仕事で遠征している時に、起こった。
その日は寝苦しい夜で、何度寝返りを打っても、深く眠ることは出来なかった。
この里に来てから、カテリーンはゆっくりと休んだ覚えは無かったが、
また格別に気持ちの悪い夜であった。
何度寝直しても嫌な夢を見て起きてしまうのだ。
嫌な夢を見る時は絶対に何か嫌なことが起こる。
古には神官家とされ、今なお多くの占い師を輩出する家系に生まれたカテリーンには、
予知夢を見る能力があった。
とはいっても鮮明夢ではない。また、見るものが選べるわけでもない。
なので起きた時には夢で与えられていた啓示が、わからなくなっていることもある。
いざその場面になって、ようやっと『あぁこのことだったのか』と、気付く時が多い。
カテリーンの能力は名だたる祖先たちのように、占師として生きて行ける程のものではなかった。
その時、住まわされている小屋の、障子戸が動いた。
侍女が忘れ物でも取りに来たのかと、上体を起こして声を掛けたが。
確かに聞き慣れた侍女の足音はした。
それは小走りに走り去る音であり、それとは別の重い足音が自室に近付いて来ることに、
カテリーンは気付いた。
それからの記憶は、ほぼ無いに等しい。
抵抗はしたが、小柄で非力なカテリーンが、力で勝てるわけがなく。
「ハシタメなんだろう」、「けちなこというな」という言葉が、ただただ耳に残っていた。
・・・・・・。
ハシタメ、って、なんだろう?
私は示蓮の奥さんなのに。こんなこと、許されるはずがないのに。
◆
早朝。
したたかに酔っていたらしく、男が眠ってしまった後、カテリーンは小屋を抜け出した。
頼りたい示蓮はいない。
けれど本家にも幾人かは、カテリーンを哀れんでいるような者が、いた。
意地悪な侍女はいたけれど、良くしてくれた侍女も、勿論いた。
走って、走って、本家の戸を叩いた。
汚れた体に夜着を巻き付けたままの姿で、大声で叫んで泣いて・・・そして倒れた。
男はそのまま、本家からの手の者によって連行され、処罰を受けた。
カテリーンは示蓮の『妻』と扱われていなかった。
しかし、示蓮の『所持品』としては認められていたから、男は『里長の持ち物を傷付けて奪った』、
つまり破損と窃盗の罪で裁かれたらしい。
利き腕を切断されたと聞く。
しかし、その処遇に怒り狂ったのは、その男の妻であった。
どうせどこかの国の娼婦か酌婦なのだろう、うちの人を誘ってたぶらかしたに違いない。
そういえば燃やしたゴミの中に、わけのわからない文字で書かれた文が、あったような気もする。
その女が、うちの周りをうろうろしていたと、近所の者たちが噂をしている。
覚えもない言い掛かりばかりだったが、それでも里で生まれ育った土着の女と、
言葉も満足に通じないような異国の女では、有利・不利が全く違った。
噂は風のような速さで広がり、カテリーンが男を誘ったのだと、誰もが囁くようになり。
ここまで来ては本家も庇い立てが出来ないと、カテリーン自身も処罰を受ける結果となった。
処罰の内容は足の腱の切断。
一人で勝手に出歩いたり、ましてや男を誘惑したり、しないようにという事である。
・・・やがて、遠征から帰って来た示蓮が、見たものは。
不自由になった足に包帯を巻き付け、部屋の隅のぎりぎりにまで寄っては、体を小さく丸め。
「私が悪いの?」「私は違う」と小さな声で呟き続ける、
かつての朗らかさなど欠片も見当たらない、壊れきった妻の哀れな姿であった。
◆
示蓮は後悔した。
古い因習でがんじがらめになったナンセンスな里だと思ってはいたが、
それでも長家の子として大切に育てられていたからか、
どこかで甘く見ていた部分があったのかも知れなかった。
得体の知れない異人とはいえ、まさか自分が愛する女性に対して、
こんな仕打ちをするとは思っていなかったのだ。
「すぐに逃げよう」とカテリーンに近付いたら、怯えた様子で体を丸めて泣きながら謝られた。
「ごめんなさい示蓮」「私は違うの、誘ってない」「もう痛いのは嫌」など・・・。
その様子に今は行動を起こせないだろうと考え、示蓮はカテリーンの心身の回復を待とうと決めた。
また折悪しく、カテリーンが身籠っていることも、発覚した。
事件の起こった時期から計算しても夫婦の子に違いはないようだったが、
すっかり強迫症的になっていたカテリーンは「示蓮に似ていなかったらどうしよう」と、
毎日毎晩泣いて過ごすようになった。
示蓮もすっかり遠征に同行しなくなり、空いている時間は常に、カテリーンの側にいるようにした。
壊れてしまった妻が・・・、滅多なことをしないように・・・。
侍女も信用しきれないということを、彼女から聞いてしまっていたから。
やがて、月満ちて。
カテリーンが何とか無事に子供を産み落とすと、未だ産褥のダメージから回復しない彼女を抱えて、
示蓮は暮蒔の里を後にした。
子供たちも心配ではあったが、何よりもカテリーンをこれ以上、里に置いてはいけないと思った。
実はそのしばらく後。
こっそりと示蓮は戻り、カテリーンを追い詰めた男とその妻を殺し、その家に火を放ったのだった。
これは、里長としての制裁ではない、示蓮個人の復讐。
自らの命が尽きるまで、誰にも知らせない秘密・・・、そう・・・思っていた。
視線に気付き、振り返るまでは。
そこには見慣れた少女。まだ10を越えたばかりの、彼の娘・・・磨凛。
彼女は片頬を上げ皮肉げに笑い、腹心の侍女と共に夜闇に消えてしまった。
そう、その表情に、笑いに。気付いてしまったのだ。
彼女を本当に『壊した』のは、その一連の事件を手引きしていたのが、一体『誰』だったのか・・・。
やがて充分に暖まり、さっぱりとして風呂から上がると、
屋敷中に旨そうな肉やスパイス、フルーツの匂いが充満していた。
歩くたびに風を孕んでは逃がす部屋着を靡かせ、使用人たちの案内の元に食堂に向かうと、
そこには南国情緒の溢れる豪華な宴席が設けられていた。
カルタやカルラも並んでおり、また他の姉妹かと思われる者たちも、きちんと並んで座っている。
上座には、カルタより少しだけ年長に見える、伏せ目がちの無口そうな少女。
10歳くらいだろうとおぼしき、大きな瞳が愛らしい少女。
補助具付きの椅子に埋まるように座っている、まだ5~6歳かと思われる素直そうな男の子。
アッシュ達も案内されて席につくと、メインディッシュらしきやたら大きな皿が、
数人がかりで運ばれて来る。
「ふふーん♪」
何故かカルタが得意げな顔をしている。
客人二人のグラスに、果実酒のようなものが注がれ、そしてメインディッシュの蓋が取られる。
カルタは胸を張ってふんぞり返り。
他の姉妹たちはこともなげにその中身を眺め。
そして、伽藺は。
綺麗な南国の花に彩られ、食欲をくすぐる香草の香りを纏った、『それ』。
・・・全長2~3mはあろうかという、巨大なトカゲの姿焼きを見て、顔色を蒼白にさせていた。
アッシュも呆れたように、カルタに問い掛けた。
「なんだ、これは。これが砂トカゲとやらか? あまり美味そうには見えんが・・・」
そう言って、蒼白な顔色で口をぽかんと開けている、妻の様子に小さく笑う。
「くく。かりんなどは固まっているではないか」
「見た目はコウだガ、味はホショウするノダぞ?」
まずは一口食べてみろと、しきりに彼女は皿を勧めた。
他の姉妹たちはごく普段から食べ慣れているように、静かにナイフとフォークでトカゲの肉を切り分けている
カルタはどう説明したものかと、うーんと考え込んでいる
「ソダなー、歯ごたえはチキンに近いゾ、淡泊でヤワラカイ。けど味はラム肉ミタイだナ!
脂にヨク味や香りがシミ込むから、ワタを抜いてハーブや花を詰めて焼くト、トテモイイ匂いがスルゾ!!」
「むろん、ワタはワタで食エルがナ」と、得意げに語るが、
「やめて下さい・・・チキンとラムまで食べられなくなります」と伽藺は顔面を蒼白にしていた。
アッシュは、「そんなに言うなら食ってやらんでもないが」と、まずは欠片を口にし。
シェフの腕がいいのか、意外と華やかな風味に、ほうと軽く舌を慣らした。
彼の好みというには少々淡白な味に過ぎたが、女子供の食卓には上品でいいのではないだろうか。
むしろ自分よりも、伽藺の好みなのではないかと思い勧めてみたが、
妻は頑なに拒否しつつサラダや豆スープだけを摂っていた。
「・・・・・・? カリン、砂トカゲ食わナイか??
カルタいっしょーけんめ狩ってキタぞ」
「メインディッシュ、食ワナイ。でぃなーの意味ガ、ナいゾ?」
「いや・・・あの、・・・あははは・・・」
日常的に食べ付けているらしいカルラまで加勢に入り、伽藺は少々断り辛い雰囲気を感じていた。
「アッシュもタクサン食うガイイぞ!」
「ふん、ハーブと塩などというしけた味付けよりも、ソースと胡椒の方がよほど美味そうなものだが。
まぁいい、物足りないが食えない味ではない」
「ソカ! じゃア次カラ、ソウする!!」
素直に頷くとそのまま、カルタは使用人づてのシェフを呼び出し、何ごとかをごにょごにょと耳打ちしていた。
◆
会食も進み、皆の腹がそろそろ、膨れて来た矢先。
「さて、お兄様? それからお義兄様」
同席していた妹たちのうち、一番年長だと思われる娘が口を開く
一見すれば静かな才女という雰囲気に見えたが、口を開けば出て来たのは流暢な大陸共通語だ。
その声は澄んでいて耳触りこそ良かったが、内側に込められたはっきりとした拒絶の意志からは、
決して二人・・・そして新たなる子供たちを、歓迎していないことがわかった。
「名前くらい名乗って下さってはいかがかしら」
「カリンとアッシュだって、カルタ言ったヨ!」
頬を膨らませながら叫ぶ妹を睨み付け、今はあなたに聞いているのではありません」とぴしゃりと遮る。
長女だとおぼしき妹・・・は、母親譲りの亜麻色の髪を掻き上げて耳に掛け、怜悧そうな目を細めた。
「ちなみに私はジリエッタ、通称ジータ。姉妹の中では長女で16歳。
忙しい両親に代わり家のことを取り仕切っています。当主代理という肩書きをいただいていますわ。
そちらの賑やかなのはカルティータ。すぐ下の妹…つまり次女に当たります」
「カルタのことだよー!」と、よく日に焼けた腕が振られる。
「それから、その下の妹がジリアン。10歳になったばかり。家族からはジーナと呼ばれています。
普段は神殿にて修業の日々を送っていますが、今日は特別に呼び寄せました。
・・・今、病身にある母に何かあれば多分、この娘が夢見を継ぐことになるのでしょう」
紹介された少女は、大きな瞳をさらに大きく見開くと、慌てて頭をぺこりと下げた。
髪は伽藺と同じく祖母譲りの深い緑色で、また肌は姉妹の中では一番白い。それだけ外に出ていないということなのだろう。
顔立ち的にも伽藺によく似ており、もう少し長じればきっと、姉妹の中では一番似て来るのかも知れない。
おっとりとした大人しさと、内に秘めた頑固さもまた、同じように見て取れた。
「それからカルレイア。妹としては一番年下の8歳。けれど魔導師としての適性が高く、
もう神殿回りのご用聞きとして活躍しています。
夢見の才は受け継がなかったようなので、神殿の内側に入って働くことは、無いようですが」
表情を一つも変えず、カルラが深く静かに頭を下げた。姉妹の中で唯一の藍がかった黒髪が揺れる。
神殿で見た示蓮によく似ているから、彼女は完全に父親似なのだろう。
だからかどうかはわからないが、カルタ以外の姉たちからは少々、距離を置かれている様子も見て取れた。
「それから末子にして長男、あぁ失礼・・・血縁的には貴方とそのすぐ下の方が、いらっしゃいましたわね。
では三男になるのかしら。どちらにしても時期当主であることには変わりありませんけれど。
・・・弟のジュノー、5歳です。私は親しみを込めて、ユノと呼んでいますけれど」
名前を呼ばれた子供は「あいっ! ゆのれす!!」と元気良く挨拶を返した。
そんな無邪気な彼の様子とは裏腹に、長姉の表情には『今更、長男が帰って来たところで』という意志が見え、
伽藺は『あぁ、そうだよねぇ』と納得した顔をしていた。
「そうですね、改めて自己紹介を致しませんとね。
私は伽藺、旧姓では暮蒔 伽藺。知っての通り貴方たちの一番年長の兄に当たります」
ナフキンで口元を拭うと、静かに名乗って頭を下げた。
そして柔らかな微笑みを浮かべ、最年長の妹に視線を向けた。
「けれどもう私は、結婚という形で、他家に入った身です。
貴方たちとは血縁以外、基本的に繋がりはないと思っていただいても、結構ですよ。
子供たちのことも、成人まで育てていただければ、それ以上は何も望みません」
冷たい態度にも、動じずに返して来た長兄を見て、ジータは剣呑そうに眉根を寄せた。
「そしてこちらが夫のアッシュ・クイン。もう聞き及んではおられるかも知れませんが、
私は普段は女性としてクイン家の妻たる生活を送っています。
戸籍ももう・・・女性のものを作っていますし・・・」
「女性・・・。まぁその辺りの事情は、突っ込んでお聞きしないで、おきましょう」
「お心遣い、感謝いたしますね」
ふむと彼女は鼻を鳴らした。
どうやら家督や財産を狙っての来訪でないことは、一応納得したらしい。
しかし。だからといって急に諸手を挙げて、賛成する気になれるわけでもない。
「こちらでの成人年齢は、15歳ですがいいのです?
お約束の内容だと、その日を過ぎればあとは一秒たりと、援助は出来なくなりますが」
「構いません、私の育った里での成人年齢は家によって差はありましたが、早くて12でしたから」
「そう。成人してしまえばもう、家を出て行っていただくことに、なるかも知れませんが」
「当然です」
やはりにこりと。それこそ満面の笑みを浮かべ。
「立派に働ける心と体に成長してまで、親族に甘えるような子供なら、捨ててくださったほうがいいでしょう」
「そう・・・、ですわね。・・・了解しましたわ」
どう文句を言って話を取り壊してやろうか、あの手この手で神経を逆撫でしようとするが、
伽藺は泰然としたものだったしアッシュは面白そうに眺めている。
寧ろジータの方が苛付きを隠せなくなって来ている。
「トカゲ冷めちゃうヨ? 食ワないの~??」
緊迫した空気を一瞬で壊したのは、目前にご馳走を並べられたまま食事が中断されたことで、
ひもじい思いを噛み締めていたカルタだった。
胃がきりきりと痛むような空気の中で、沈痛な顔を並べていた姉妹たちにとって、
この言葉は助け舟となった。
幼いながらも、重苦しい緊張感を感じて泣きそうになっていたユノは、
「かるたおねちゃ、とかげとって~」と小皿をカルタに回した。
カルラやジーナも和やかに雑談を始め、ジータが話を続けることの出来ない空気に、持ち込んだ。
そんなこんなで、決してリラックスしているとは言えない状態であるものの、
会食はどうにか無事に終了した。
腕利きのシェフに調理された高級な料理や酒が振る舞われたはずだが、
伽藺はあまり味わう余裕が無かったので、デザートのうちのいくつかを夜食用に取り分けて貰った。
◆
食後を見計らったかのように、サーシャが食堂に訪ねて来て、子供たちの様子をまくし立て始めた。
リンネは離乳食どころか、サーシャやサリアのまかないにまで、手を出そうとしたとか、
アルクは甘味を加えたミルク粥以外口に入れなかったとか。
気圧されてしまいそうなマシンガントークだったが、今だけはこの老婆の押しの強さが頼もしかった。
彼女に任せていれば他の者に多少疎外されようが、子供たちを守りきってくれるような気がしたから。
「お二人は食事が済んでから、サリアの子守唄を聞きながらお眠りになりましたが、連れて来ますか?」
「いえ、今晩は私たちがいなくてもあの子たちが過ごせるか見てみたいから、明日の朝までお願い出来ますか」
「心得ました、サリアにもいい勉強になるでしょう。
お坊ちゃまとお嬢ちゃまは責任を持って、私どもが預からせていただきますとも!!」
どんと厚い胸を叩くサーシャを、伽藺は頼もしげに見ると頭を下げた。
そして姉妹たちも帰途につくというので、夫婦も用意された寝室に向かおうと、食堂を後にした。
玄関でもやはり元気に、カルタは大きく手を振っていた。
「カリン! アッシュ!! カルタ帰るからナー!
・・・アッシュ、明日アサ時間アッタラ、トカゲ狩りにイカナイカ?」
「いいぞ。狩りとは面白そうだ」
食事の間に、狩りの話で盛り上がっていたと、思ったら。
活発なカルタは、アッシュとの約束を取り付けられて、飛び跳ねんばかりに喜んでいた。
柔和な伽藺より威圧感のあるアッシュの方が、カルタの『理想の兄』像には近いのだろう。
「カルラも、イエ、帰る。マス」
「失礼致しますわ、兄様、それから義兄様」
物静かなカルラの挨拶に被せるように、尖った声音でジータは吐き捨て、ジーナとユノの手を引いた。
しかしジーナはその手を引っ込め、たたっと小走りに姉との距離を空けた。
「ごめんなさい、姉様。あたし、もう少しだけ兄様に、お外のお話聞きたいの」
当然従うと思っていた、気弱な妹に逆らわれ、ジータは驚いたように目を開く。
ユノもそれに乗じて「ボクも、おとおとといもおと、みにいきたいー!
それからひさしぶりに、サーシャおばあちゃんに、ごほんも読んでもらいたい!!」と、
彼女の手の中から脱出する。
「・・・勝手になさい!
けれど気をつけなさい、外の世界の男はいくらおとなしく見えても、油断も隙もないんだからね!!」
ジーナとユノにその言葉だけを投げ付けると、ジータは大股に玄関から出て行った。
他の姉妹の退出も苦笑いで見送ると、「サーシャおばあちゃんのところにお行きなさい」と、
ジーナはユノに子供部屋への道を促した。
ユノが走り去ると少女は振り向き、少し困ったような笑顔を見せる。
「ごめんなさい、いきなりわがままを言って。
でも姉が・・・失礼なことを言ったから、お詫びをしなきゃと思って・・・」
ぺこりと小さく、頭を下げる。
しかしその様子を見て、アッシュが抑えきれなくなったかのように、大きく響く声で笑い出した。
「くく・・・っ。・・・はっはっは! 面白いな本当に!!」
「え・・・?」
伽藺とジーナ。二人が同時に目を丸くする。
「親もそうだが妹もよく似ている。特にあの気の強いのは、怒った時の貴様にそっくりだ。
・・・愉快な家だな?」
「愉快・・・、です・・・か?」
伽藺が複雑な表情で頬を掻き、ジーナはどう反応するべきかと、アッシュの様子を伺っていた。
「実に家族愛としがらみの強い家柄のようだ。
貴様が女で来たらば、より嫉妬心に油を注いだだろうか」
「うぅ・・・、悪趣味ですよぅ・・・」
糾弾しても、それが褒め言葉にしかならないことを、伽藺は知っていた。
二人を交互に眺めている妹に軽く頭を下げると、「こういう方だけど悪気は無いんです」と、
小さな声で弁解を入れた。
「あ・・・、は、はい・・・。
し、失礼な発言に気分を、害されていないなら・・・、助かりました・・・」
何か一言発するたびに、何か怯えるような風情を見せる妹は、常々姉に威圧されているのだろう。
「ふん。子らにとっても、多少の疎外感などあったほうが、サバイバルとなって良い。
でないと心が逞しく育たんからな。
・・・なに、俺の子なら女どもに何と言われようが、ものとするものか」
「もし私に似ていると、些細なことでも気にする子に、なりそうですが?」
「そこは俺に似せておけ」
夫の無茶振りに、「あぅ~、今さら無理です。もう産んでしまいましたから」と、
がっくりと伽藺が返す。
まだ産んでいなかったとして、そこは調整出来る部分なのかどうかは、わからないが。
「そうだ、かりん。子らに手紙を書いておくのはどうだ?
なんなら俺を悪者にした小説を創作してもいい。
さすれば母を愛し父を憎む、典型的な子らができあがるだろう」
良いことを思いついたとばかりに、楽しそうに提案するアッシュ。
「え・・・。手紙は元より、書いて預けておくつもりでしたが、さすがに創作小説は・・・;
外の世界に出るのなら、こちらをお尋ねなさいと、心当たりを連ねておくだけです。
どうやらあの様子では約束の15歳が来たら、有無を言わせずほうり出されそうなものですから」
「む・・・。そうか・・・」
実のところ、アッシュなりに伽藺の気持ちを和ませようと、冗談を言ったつもりなのだが、
当の伽藺には通じなかったらしい。
少々残念そうな顔をしながら、妻と同じような表情で見上げている、少女の方に向き直る。
「しかし、話とはそれだけか? 楽しませて貰ったことだ、詫びは別にいらんぞ」
「あ・・・」
ジーナの様子に、まだもう少し話があるのだということを、見て取る。
ただ生き別れていた、兄妹の時を埋めたいだけかも知れないが、混み入った話もあるのかも知れない。
アッシュは気を利かせることにした。
「家族同士の話ならば俺がいないほうが、心おきなくやれるのではないか?
夜風に当たり散歩でもしているぞ」
「貴方・・・」
気弱げに瞳を細めた、伽藺がよく見せる表情。
それはアッシュにとっては、儚げで保護欲をそそるものであった。
「心細いというのならば、居るだけは居てもいいが」
そう付け足したのは、助けを求めるなら手を差し伸べるぞという、シグナルだった。
けれど伽藺は妙に遠慮してしまった。
アッシュを一族の愛憎に巻き込んではならないと考えてしまったのだ。
「いえ・・・大丈夫です。
・・・ジーナ様でしたっけ、夫は特に同席する必要は、ない話なのですか?」
「あ、は、はいっ・・・。ね、姉様の態度に、お怒りになられてないの、なら・・・」
「あは・・・それは、寧ろ面白かったよう、・・・ですよ」
苦笑しながらそう伝えると、伽藺はアッシュに背を向けた。
そして振り返り、一言だけを告げ。
「では貴方・・・。少し・・・長いお話に、なるようですから・・・」
◆
兄妹が立ち去った後、アッシュも大きく息を吐くと、外に出て庭を一回りすることにした。
伽藺にとっては20数年振りに帰って来た生まれ故郷だ。
そしてずっと生き別れていた姉妹たちだ・・・。
積もる話もあるだろう、自分のような愛想無しの第三者がいては、話せる話も話せないかも知れない。
そう考えて身を引いたのだが、本当にそれで良かったのだろうか?
「良かったのだ。俺の判断が間違っている筈はない」
門戸に絡む、薔薇によく似た花を咲かせた多肉植物を見上げながら、アッシュは呟いた。
なのに何故胸騒ぎがするのだろうか。
伽藺の不安げに揺れていた瞳を、どうして思い出してしまうのだろうか。
「・・・戻っておくか」
起きていては余計なことばかりを考えてしまいそうで。
アッシュは寝室に戻り、仮眠を取りながら、伽藺の帰りを待つことに決めた。
案内されるがままに、高級住宅地を通っていると、大きな噴水のある市民公園に出た。
噴水の中には水着を着た老若男女が戯れ、ちょっとしたプール扱いになっているようだった。
もともとはカテリーンが発見した小さな水場から発展し、しっかりとした地下水脈があったから、
街にまでなった場所らしい。
「そう・・・。この街を造るための、水場を発見したのが母上、なのですか・・・」
『夢見師』という存在が、どのようなものなのか、伽藺にはあまりわかっていなかった。
占い師のようなものだろうか、と予想はしていたのだが・・・。
どうやら思っていたよりも、具体的な効果でもって、人々を導くようだ。
「たしかにこのような、季候風土の厳しい土地ならば、人に見えないものを視る力や、
未来を予測する力は重宝されるのでしょうね」
そんな特別な力を、信仰の対象とされ。
人々を救いながらも、自分のことだけは救えず、ただ倒れ伏している母。
「貴様に、よく似ていたな。化かされた気分だ・・・」
「えっ」
アッシュがしみじみと、噛み締めるように呟く。
「そんなに似ていました? 自分ではよく分かりません・・・。
ただ想像していたより随分と弱っていて、あぁ老いたんだなぁ・・・と
・・・20年という年月を感じました」
夫にもたれるように寄り添ったまま、伽藺は高い位置にあるその顔を見上げた。
20年後。自分たちはもう、そんな未来を迎えることは、ないけれど。
もしその時まで生きていたら、この人はどう歳を重ねたのだろう。
子供たちはどんな大人になったのだろう。
自分は・・・さらにあの母親と、そっくりになったのだろうか?
「私と、母と、・・・どちらが早いのでしょうね。
でも・・・会えて良かった。
・・・良かった、・・・のかな?
母上としてはどうだったんだろう、私は会いに来て・・・良かったのかな」
いろいろなことがあり過ぎて。いろいろな気持ちが湧き過ぎて。
混乱している自覚が、伽藺には確かにあった。
「どうして疑問形なのだ」
夫に問われて、驚いたように、瞬きをする。
見上げる先には心底、不思議そうな顔。
アッシュからすれば純粋に、伽藺のネガティブさが不可解であった。
あれだけ分かり易く、親の愛情を受けておきながら、何故まだ迷惑だったかなどと、
考え込むのか。
「忘れるなと言われておいて、もう忘れたのか?
貴様の訪問でどれだけ喜んでいたか、さすがの鈍い貴様でも分かっただろう。
生き別れていた親との再会を、もっと素直に喜んだらどうだ」
がしっと頭を抱え込まれ、少々乱暴に撫でられた。
「あたた、あた、そ、そうですね、って・・・。
フードがくしゃくしゃになります~!!」
元気付けようとしてくれる夫の様子が、伽藺の心を少し明るくさせた。
そう・・・反芻してみれば、母は確かに喜んでくれていた。
父も所在なさげにはしていたが、強い拒絶は示していなかった筈だ。
なら何故に自分はこれほど、気弱になっているのか。
「あっ・・・」
そうか、と。伽藺は気付いた。
気弱になっているのではない。
心配していた再会が、思いの他いい形で終わって、だから・・・。
だから少し拗ねてみたかったのだ。
そうすれば母が、そして父が改めて、抱き締めて撫でてくれるような。
子供の時からずっと持っていた、孤独感や無価値感に気付いて、
空白だった時間の分も甘やかしてくれるような。
・・・そんな、気がして。
「ふふふっ、そうですねぇ。
私もまだまだ子供ですよねぇ、歳だけはとっているのに」
「ん?」
夫の手に自らの両手を添え。
「こうして、抱き締めて撫でてくれる人が、今はちゃんと自分にもいるのに」
「?」
孤独が友達だった自分は、もうどこにもいないではないか。
「俺が貴様を抱き締めて撫でる? 何を今更・・・当然のことを??」
「ふふ、ありがとうございますね、レオン」
「だから何故そこで礼を言う」
頬を少し染めて夫が顔を逸らす。その先には市民公園の噴水。
「この暑さだし貴方も飛び込みたいのではなくて?」
水遊びの好きな夫をからかうようにくすくす笑う。
無論、公園での水浴びは気持ちいいだろうが、泳ぐこと自体が好きなアッシュには、
この噴水では遊ぶというには少し狭すぎるだろう。
その会話を聞いてカルラは振り向きもせずぼそりと、
「水場ナラ家にモある、デス」と継げた。
そして。
公園から遠くない場所に建てられた、その白亜の大きな屋敷は・・・。
「これは・・・また・・・。
うちのお屋敷もなかなかだとは思っていましたが・・・」
確かに、プールの一つや二つはありそうな、豪邸であった。
まだ随分と新しいようで、壁に塗られている塗料も一つとして、剥がれていないし汚れていない。
伽藺が絶句していると何人かの使用人が出て来て、恭しく挨拶をしては建物の奥へと案内する。
その様子を見てカルラが言った。
「カリンは、ミオボえナクて、トウゼン。
ウチがこんなに大きくなっタのは、カルラが生まレテカラだと聞く。
昔は世話役のばあやトその息子夫婦がいタダけで、家モ少しオオキメのテント程度だったラシイ、
・・・デス」
伽藺がまだ幼い時代、この土地で暮らしていた頃は。
残念ながら伽藺にはその頃の記憶はもう、欠片も残ってはいないのだが・・・。
◆
世話役のばあやとやらが誰かはすぐに分かった。
使用人の一団の中から、ひときわ声と体の大きな老婆がやって来て、涙ながらの感動の再会となったからだ。
まず老婆は双子を鮮やかな手つきでひったくり、感無量とばかりにその柔らかな頬に、
自身の濃い色の肌を擦り付けた。
「まぁまぁまぁこのお方たちが新しい、お坊ちゃまとお嬢ちゃまでございますね!
なんと賢そうで愛くるしいお顔でしょう!!」
巨体の老婆の頬擦りにアルクは怯えたような迷惑顔を見せ、
リンネは『賢そうで愛くるしい』という言葉に反応したのかまんざらでもない顔をしていた。
「・・・む、ぬ」
乱暴に子供を抱き締める老婆を、アッシュは一括しようと口を開いたが、
すぐに次の老婆の行動を目で追い、一瞬にして黙り込む。
その視線の先にいたのはまぎれもなく、息を呑むような絶世の美女であったから。
「サリア、ちょっと坊ちゃまたちをお持ちなさい、落としては駄目よ、泣かせても駄目」
老婆に双子を押し付けられた美女は、慌ててその小さな体を受け取ると、困り顔で揺すってあやし始めた。
濃い色の肌はアッシュの好みではないが、それを補って余りあるだけの容姿と、グラマラスな肢体の女だった。
ただしその手足は折れそうに細く、赤子とはいえ二人もの子供を抱えると、不安定なことこの上無かった。
しかし老婆はそんなことは意にも介さず今度は伽藺にしがみついた。
「若さま、若さまですね! まぁまぁ顔をお見せ下さいまし!!
倭人どもにすぐにかっさらわれてしまいましたけど、若さまが生まれた時は私が取り上げたのですよ!?」
「ふえええええっ!?」
感動にうち震える老婆の勢いに伽藺は後ずさるが、全力のハグを受けてしまい背骨をぼきぼきと鳴らす。
伽藺も彼女のことを覚えているのなら、ここで互いに懐かしさを分かち合ったのだろうが、
さすがに離れた当時まだ幼児であった伽藺にこの乳母の記憶は無かった。
「はっさすがに私のことは忘れてしまいましたわね!」
困り顔に気付き、老婆は慌てて体を離して、一礼する。
「お久しゅうございます、カテリーン様の乳母を努め、その後若様の妹御たちのお世話を仰せつかって参りました、サーシャでございます。
こちらは孫のサリア。お世話係を志しておりますが、まだまだ未熟者でございます」
「あ・・・、は、はぁ・・・」
サリアと呼ばれた女も紹介され、小さな声で「どうも・・・」と呟き、小さく頭を下げた。
口から生まれて来たようなサーシャと違い、内気で無口なタイプのようだ。
見た目も、巨体のサーシャに比べサリアは線が細く、現時点では肌の色以外に似ている部分は、欠片もないように見えた。
「お孫さん・・・ですかぁ・・・」
「えぇ。さぁサリア、もっとしっかり、きちんと挨拶おし!!
まったくあんたは、私の若い頃にそっくりなくせに、こういうところは全く正反対なんだから」
「ええっ;」
どう返していいかわからず伽藺がまごまごしていると、改めてサリアが蚊の鳴くような声で挨拶をした。
そのまますぐに黙ってしまい、黒に近いほどの濃い褐色の肌でもわかるくらい、頬を真っ赤に染めて俯いてしまった。
「あ・・・ひょっとして、あがり症なのですか? ならどうぞご無理をなさらず」
「は、はい・・・」
「本当に情けない子で申し訳ありません。ですが、働き者であることは間違いないですし、愛情深い性格ですから。
私にはこのお家の幼い坊ちゃまのお世話がありますので、よろしければこのサリアを伽藺若さまのところの、
お坊ちゃまとお嬢ちゃまのお付きにさせたいと思っております」
「ほう」
背後から口を挟んで来たのは、サリアを眺めていたアッシュだった。
その容姿の美しさにしばらく目を奪われた後、子供の抱き方やあやし方を観察していたらしい。
特に機嫌も損ねていないということは、その手際が決して悪くは無かったのだろう。
「・・・頼んだ。
かりんに似て、利発な子らだ。粗相をしたら遠慮なく叱っていい。
美女に育てられれば、目も肥えるだろう」
はっきりと美女と言われ、さらに肩を小さく竦めて、縮こまってしまった。
それでも両手に抱えた子供たちは、しっかりと落とさないように、持ち上げていたのだが。
伽藺の半分の太さくらいしか無さそうな腕で、それでもまだ何とか安定した姿勢を保てているので、
言葉に偽りはなく真面目に世話係を志しているのだろう。
「ええと・・・確か若さまの、ええと、だ・・・旦那様?」
サーシャにも一応、関係については軽く伝えられているようだが、いまいち良く掴めていないらしい。
男同士の夫婦に何故子供がいるのかも、サーシャの知識量ではいまいち想像がつかないが、
そこはそれ使用人として主人の事情には、あまり深入りしないようにしているようだ。
「お子様たちのお世話は、このサーシャとサリアが引き受けますからご心配なく!
安心して新天地を探す旅に出て来て下さいな。若様をどうぞよろしくお願い致します!!」
どうやらそういう形で説明を受けているようだ。
まさか死出の旅になるとは、カテリーンは話していないらしい。
エキセントリックな性格をしていそうなサーシャが騒ぎ出さないようにとの配慮なのだろう。
アッシュは「あぁ」と軽く一言だけを返すと、さらに何事かを喚き立てる老婆から、すっと視線を逸らした。
他人に賑やかに騒がれるのは耳障りであまり好きではない。
確かに子育てをする上でこの老婆の明るさは一財産なのかも知れない。
しかし子供にもそこそこの朗らかさならいいが、あまり騒がしくは育って欲しくないアッシュとしては、
直接の世話役が彼女でなく物静かな孫娘であることに、胸を撫で降ろさざるを得ないのであった。
「それでは今、シェフが腕を奮っておりますから、もうしばらくお待ち下さいな。
そうだ、お風呂を沸かしておりますから今のうちに、砂埃でも落として来てはいかがです?」
言われてみてそういえば、肌がざらざらしていることに、気付く。
汗のせいもあるが、それは熱気によって随分と早く蒸発したようで、べたべたとした不快感は無かった。
ただ砂漠地帯だからか風に砂が混ざっているようで、それが乾いた汗で衣服や肌に貼り付いてしまうらしい。
「・・・では、お言葉に甘えましょうか」
伽藺は無類の風呂好きである。
アッシュは元々は風呂よりシャワー派で、漬かるなら湯よりは水の方が好きだったようなのだが、
妻に付き合っているうちにゆったり湯に漬かることも嫌いではなくなった。
子供たちも湯浴みをするらしい。
今日は世話と子守りの練習も兼ねて、サリアが沐浴をさせてみるという。
なので、伽藺とアッシュはゆっくりと時間を忘れて、水いらずの入浴を楽しむことにした。
◆
清潔な匂いのする部屋着を渡され、まるで公衆浴場かと思うほどの、大理石造りの広い風呂場に案内される。
壁一面に水槽があしらわれ、色とりどりの珍しい熱帯魚が、放されていた。
「・・・・・・;
な・・・なんというか、いろんな意味ですごいというか。
南国・・・のセンス・・・、・・・なのかしら?」
浴槽の角に据えられた、ライオンと人魚の合いの子のような彫像が、口から湯を吐き出す音が響く。
「ふん、気に入らんか?
俺はなかなか悪くない趣味だと思うが」
「ははは、そう・・・ですか」
風呂といえば、岩造りか檜造りというイメージを持つ伽藺にとって、白い大理石の風呂はまるで、
プールで入浴しているような気がして落ち着かない。
しばし呆然と見ていたが、夫の顔を見上げると、何か少し諦めたように微笑う。
「は・・・、入りましょうか、お風呂・・・;;」
「あぁ」
アッシュはもう既に服を脱いでいたらしく、筋肉の盛り上がった逞しい肩に軽く湯を掛けては、
ざぶんと大きな音を立てて浴槽に沈み込んだ。
「うむ、悪くない湯加減だ」
「そ、そうですか? なら私も・・・」
伽藺も大慌てで服を脱ぎ、脱衣籠に自分と夫の衣服をどちらも畳んで乗せ、
髪を頭頂でまとめるとタオルを持って後を追った。
「急ぐな、滑って転ぶぞ」
「こ、転びませんっ!」
そう言いながら掛け湯をし、体を洗うべきかどうか少し迷ったものの、
夫が漬かっていたので先に湯船を使うことにした。
「・・・ふあぁ。少しぬるめにしてある辺りが、またほ~っとしますねぇ」
言いながら深く息をついて、夫の胸板に身を預けた。
「しかし・・・想像より、栄えた家柄のようだ」
浴場をぐるりと仰ぎ見てアッシュが静かに呟いた。
確かにこのような浴場など、壁の水槽の維持だけでも随分と手間がかかるのだろうに、
それを別宅に作ってしまうというのだから、気前がいいというか何というか。
本宅に至ってはどのようなインテリアになっているのか。
「これなら、野生的な意味では逞しくは育たんだろうが、野垂れ死ぬこともないだろう。
このまま穏便に事が運べば、無事・・・安心できる」
子らの行く先や妻の心境に想いを馳せながら、天井を仰いだ瞳を静かに閉じた夫を見上げ、
伽藺がおずおずと言葉を紡ぐ。
「気になるのは、そこなんです」
「・・・ん?」
「想像よりも栄え過ぎている。
そしてこの家もですが、街がとても・・・綺麗・・・」
建物も、公園も。この街にあるものはみんな、あまりにも綺麗に過ぎるのだ。
「きっとまだ造られて、10年も経ってもいないのでしょう。
カルラ様もそのような事を言っていた気がしますし。
それが何を意味するのか、違和感を持つべきなのか、神経質になりすぎなのか。
まだ私にはわかりませんけど・・・」
小さく俯き、自分でも理由のわからない、違和感の正体を探る。
「母上についてもそう、再会を心から喜んで下さっている。
それは、私にもわかるんです、でも・・・。
・・・何なのかな。何かがしっくり来ないんです」
「しっくり来ない? ふむ??
よく分からんが肉親だからこそ、感じる違和感があるのだろうか」
夫の誰何にもすぐには答えることが出来なかった。
何故、不安感が募るのか。何故素直にスムーズな旅路を、喜ぶことが出来ないのか。
自分でも理解が出来なかったから。
「そうですね、肉親だからこそなのかも。
たった10年もかからずに築かれた街、たった10年もかからずに積み上げられた富。
大都会の財閥や会社なら、そんなサクセスストーリーも有るかもしれませんが、
ここは次元の狭間・・・しかも砂漠地帯。つい最近まで閉鎖されていた世界。
外との関わりはあれど決して、人の多い土地ではありません」
であるにもにも関わらず、この栄えっぷり。
そして病に倒れ臥した、その崇拝対象たる母。
何かが隠されている気がする。
そんな中、呑気に子供などを預けてしまって、いいものかどうか。
「あは・・・。
上手く行き過ぎると不安になる癖、改めた方がいいですよね。
なんだろう、強いて言うなら、上手く行き過ぎる?
20年の歳月があまりにも、簡単に埋まり過ぎている気が、するんです」
えへへ、何かおかしいこと言ってますよね、と。
夫が肩に置いた手に、自らの手を重ねる。
「ううむ。貴様が幻術師であるからこそ、感じる矛盾点でもあるのだろうか?
俺もまやかしなどにかかるつもりはないが、観察眼や感受性に関しては貴様が豊かだ。
何か気になることがあったら報告しろ」
「・・・ん、そうです、ね。何か・・・、また違和感があったら、その時に・・・」
伽藺は、正体のわからない不安感を追い出すかのように、夫にしがみついて深くキスをした。
女性の体の時とは、微妙に感触の違う滑らかな舌が、アッシュの口腔内で遊ぶ。
抱き合って絡み合い、白い大理石の浴槽の中で、舌同士を絡ませていると。
ガラッと大きく響く音がして。
勢い良く、浴場の扉が開かれた。
「おぉーっ! カリンとアッシュは風呂カ!!
カルタも入るゾ、砂で全身ガ、パサパサだー!!!
・・・・・・う?」
ぴったりと身を寄せ合った夫婦が無言で、呆気に取られた顔で見つめているのを。
良く締まった手足を広げ、腰にタオルを巻きつけただけの姿の少女は、首を傾げて見ていた。
それからすぐに「いけませんっお嬢様!!」という女使用人たちの声が聞こえ、
彼女はずりずりと引っ張られ、多勢に無勢で抵抗むなしく、遠ざかっていったようだ。
「なんでダー!? カルタのオニチャンだぞ! 一緒におフロしてもイイはず・・・!!」
「いけませんっカリン様もアッシュ様も男性です!
さぁこちらに・・・」
「エエェエエエエエェェ!? だっテ、ジュノーとは一緒に、おフロ入るぞカルタ!!」
「ジュノーお坊ちゃまは、まだ幼うございますっ、さあこちらに!」
「いやあああああァァあァ!!!」
そのままフェードアウトしてゆく声。
そして女使用人の一人がひょこりと戻って来て、深々と頭を下げた後に恭しく扉を閉めた。
「・・・・・・」
「・・・なんだなんだ、随分騒がしい家だ」
「はは、そう・・・ですね。・・・さすがに14歳の妹と裸のお付き合いは、問題ありますよねぇ;」
湯煙の向こうに見た肢体は同年代くらいの少年とたいして変わらなかったか、
むしろことさらに筋肉が付いて逞しいような気もしたのだが。
多分そういう問題でもないのだろう。
外見年齢は20歳ほど、実年齢は20代後半。
夫との間に男女の双子あり。
性格はおっとり。
行動は良く言えば優雅、悪く言えばどんくさい。
少し急ぐとすぐ転ぶ。
ネバーランド・ナハリ国の軍務省にも補佐官として所属している。
ユエルティートという名の少女を、小鳥と思い込んでペットとして飼っていたことがあり、
人の姿を現した今でも、娘代わりとして可愛がっている。
義兄にはウィルフェア氏とティーラ氏。氏の家族や同居人諸氏とも懇意で、何かとお世話になっている。
お茶が大好きでお茶菓子も好き。
甘党で大食漢。カロリーコントロールを言い渡されるレベル。